テンプル騎士団
スラム街にある隠れ家に戻った瞬間、ユウヤは自分がいつも寝室に使っている部屋に客人が訪れていることをすぐに察した。大都市のスラム街にあるこの隠れ家に帰ってくると、いつも彼を出迎えてくれるのは猛烈な生ゴミやオイルの臭い。隠れ家の中に入っていくと、ギャングのメンバーたちが隠れ家の中にある工房で自分たちのバイクや愛車を弄ったり、持っている金を賭けてトランプをしているものだが、そういう時はこのような”匂い”はしない。
ワイルドバンチ・ファミリーの中には何名か女性の構成員がいる。しかしユウヤが率いるギャングの女性たちは香水をあまり好むことはないため、こんな匂いがすることはないのだ。
そう、この匂いがするという事は―――――――客人がやってきているという事である。
その客人もワイルドバンチ・ファミリーの一員ではあるが、普段はギャングの会合やいつもの”仕事”に顔を出すことは殆どない。いつもはバイトや”本来の仕事”で忙しいらしく、なかなかギャングの会合に顔を出すことができないという。
ドアを開けて自分の寝室に足を踏み入れ、お気に入りのハンチング帽を壁にあるフックにぶら下げておく。あらわになった赤毛とキメラの角を指で撫でながらベッドの方へと向かって歩いていくと、やはりその客人はユウヤがいつも使っているベッドに横になり、毛布や枕に頬ずりしているところだった。
「…………おい、キャロル」
「にゃ? あっ、お兄ちゃん。お帰りなさーい♪」
声をかけると、毛布に頬ずりをしていたその制服姿の少女は顔を上げ、にこにこと笑いながら素早く立ち上がった。彼女が身につけている制服は、この帝都で最大の学園である『王立ラガヴァンビウス学園』の制服のものだ。
今までこの世界の学校は、裕福な家庭の子供や貴族の子供ばかりが通う事を許されており、一般的な庶民の子供は両親から最低限の知識や読み書きを教わってから就職するのが当たり前という状態であった。しかし産業革命の発端となったモリガン・カンパニーの指導者であったユウヤの祖父であるリキヤ・ハヤカワが、王国の議会で一般的な庶民の子供たちも学校に通えるように法律を改正したことにより、今では貴族の子供たちと平民の子供たちの共学は当たり前となっている。
とはいえ、貧しい平民の生徒と裕福な貴族の生徒の間で軋轢が生まれており、今でも解決はできていない。
祖父たちの尽力によって、今では子供たちは学校に通う事が当たり前という世の中になった。多くの子供たちは大喜びしているが、ユウヤにとっては面倒なことが増えたと言える。
ユウヤもその王立ラガヴァンビウス学園の生徒の1人なのだが、校則を無視したり授業をサボるのは当たり前なので、学園の問題児扱いをされるのはいつもの事だ。貴族出身だからと威張り散らす気に入らない上級生を何人も病院送りにしたこともあり、その度に父であるタクヤが頭を下げに行っているという。
「お兄ちゃんったら、今日もサボったの?」
「まあな」
にこにこと笑いながら訪ねてきた目の前の少女は、ユウヤにとっては”腹違いの妹”にあたる。
父であるタクヤ・ハヤカワには、5人も妻がいるのである。この世界では一夫多妻制は珍しい事ではなく、貴族出身の男性や資本家たちには当たり前のように何人も妻がいるのだ。中には10人以上も妻を持つ貴族もいるという。
目の前にいる少女は、タクヤが妻にした女性のうちの1人との間に生まれたユウヤの妹なのだ。
彼女の名は『キャロル・ハヤカワ』。王立ラガヴァンビウス学園に通っている少女で、ユウヤの妹のエリカと同い年だ。更にクラスまで同じであるため、よく彼女からエリカの話を聞くこともある。
母親からあまり小遣いをもらえないからなのか、普段はバイトで小遣いを稼ぎながら学校に通っている。最近は映画のポスターを張る仕事をしているらしく、映画館の近くや駅の近くに行けば私服とハンチング帽を身に纏った彼女の姿を見ることができる。
母親から受け継いだ綺麗な金髪とツインテールが特徴的な彼女は、片手の指で自分のツインテールを弄りながらユウヤの顔を覗き込む。
「ところでお兄ちゃん。私ね、お腹空いてるの。甘いものが食べたいな♪」
「あー、そこの冷蔵庫の中にシュークリーム入ってるから勝手に食ってろ」
「わーいっ! お兄ちゃん大好きっ!」
冷蔵庫を指差しながらそう言うと、キャロルはユウヤの太い指の先にある薄汚れた冷蔵庫の扉に凄まじい速さで飛びつき、中で冷気を浴び続けていたシュークリームの箱を取り出した。数日前にギャングの構成員が買ってきてくれたものの余りだが、賞味期限は大丈夫なはずだと思いつつユウヤはベッドに腰を下ろし、シングルアクションアーミーの収まったホルスターを外す。
隣に腰を下ろしてうっとりしながらシュークリームを頬張るキャロルの表情は、小さい頃から変わっていない。エリカが生まれてから数週間後に生まれた彼女とは、小さい頃からずっと一緒に遊んでいた。だから今でも幼少の頃から仕草があまり変わっていないことはすぐに分かる。
そのキャロルの金髪の中からは、微かに真っ黒な角が覗いている。
母親は普通の人間とはいえ、父親はキメラという新しい種族なのだ。ユウヤのような”純粋なキメラ”ではないものの、隣でシュークリームを頬張る彼女もキメラの1人なのである。
そして―――――――制服の襟にさり気なく取り付けられているバッジが、彼女がユウヤたちの”仕事仲間”だということを告げていた。
バッジに刻まれているのは、2枚の深紅の羽根が交差しているエンブレム。その上にはアサルトライフルが描かれ、さらにその上には深紅の星が煌いている。
そのエンブレムは―――――――『テンプル騎士団』のエンブレムであった。
世界中で蛮行を続け、人々を苦しめ続ける転生者たちを”始末”するために、彼らの父であるタクヤ・ハヤカワはある計画を提唱した。世界中に転生者の討伐を行う転生者ハンターたちを配置し、情報を共有しつつ転生者の討伐を行うことで、この世界を転生者たちの手から守るという非常に規模の大きな計画である。
それを実行するために設立されたのが、対転生者戦闘を専門とする”転生者ハンター”で構成された『テンプル騎士団』である。この世界に転生したばかりの転生者の保護も行っているが、その力を悪用するような転生者は問答無用で討伐しており、昔と比べると転生者による被害は激減しているという。
ユウヤはそのテンプル騎士団の”次期団長候補”の1人なのだ。
「うーん、これ美味しいっ♪」
「それくらい小遣いでも買えるだろ? ナタリアさんから小遣い貰ってないのかよ?」
「だって、ママが毎月くれるお小遣いは少ないんだよ。たった金貨1枚だよ?」
「十分だろうが」
ちなみに、この世界では金貨が3枚もあればローン無しで一般的な家が購入できる。キャロルが毎月かなり高額の小遣いをもらっていることに驚きつつ、ユウヤは腹違いの兄として妹の金遣いの荒さにため息をつく。
いったいそんな金額を何に注ぎ込んでいるのか問い詰めたいところだが、彼女の事を考えるとあまりろくなことに注ぎ込んでいるとは思えなかった。これはテンプル騎士団やモリガン・カンパニーの関係者だけのジンクスなのかもしれないが、親がまともな人物であった場合、その親から生まれた子供は変人か変態になるという奇妙なジンクスがある。
彼女の母親である『ナタリア・ハヤカワ』はテンプル騎士団の参謀総長を担当し、数々の作戦の指揮を執った実績のある人物であり、組織の中でも数少ない”まともな人”だったという。つまりそのジンクス通りだとするならば、キャロルは変人という事だ。
(どうせエロ本に注ぎ込んでるんだろ…………)
以前に彼女の部屋を訪れた時に、さり気なく本棚に並んでいた”それ”の事を思い出しつつ、ユウヤは再び溜息をついた。数多の激戦でテンプル騎士団を何度も勝利に導いた参謀総長の娘とは思えない。
「ところでさー、例のギャングの話は聞いた?」
「ああ、エリカからな」
転生者がリーダーをしているというギャングの話は、つい先ほど妹のエリカから聞いてきたばかりである。ギャングの”仕事”は様々だが、今までワイルドバンチ・ファミリーが潰してきたギャングがしていたことの大半は奴隷や武器の密売であり、稀に麻薬の密売をしていたギャングもあった。どちらかと言うとそのようなギャングではなく、人々を苦しめるギャングを”狩る”自警団のような存在であるワイルドバンチ・ファミリーは、もちろんそのような蛮行に手を出すことはない。
しかし、転生者がリーダーだという事は―――――――十中八九そのようなことをしている可能性がある。強大な力を手にした状態でこの世界にやってくる転生者の大半は、その力を自分の欲望を満たすためだけに悪用する傾向があるのだ。テンプル騎士団やモリガン・カンパニーは、そのような愚か者たちを狩るために存在する。
近くに置いてあるマンガを手に取ろうとすると、口の近くにシュークリームをつけたまま笑ったキャロルが、制服の胸にあるポケットの中から数枚の写真を取り出した。
マンガの代わりにそれを拾い上げたユウヤは、白黒の写真に写っている光景を直視しながら顔をしかめた。おそらくバイトの最中に撮影したのか、写真に写っているのは駅の近くにある小さな路地の一角だ。そこに数名のスーツ姿の男たちが集まっており、真ん中に写っている少年が片手に転生者の端末と思われる物を持っているのが分かる。
おそらくキャロルは、エリカがユウヤに知らせるよりも先にこの情報を掴んでいたのだ。そしてバイトをわざわざそのギャングが活動する可能性のある地域の近くで行えるものに変更し、”小遣いを稼ぐために真面目に働く少女”を装ってこっそりと情報を集めていたに違いない。
金遣いの荒い少女だが、密偵としてはかなり有能である。
「名前は『ケンタ・フジノ』。最近結成された『ローグ・マンティス』のボスみたいだね」
「活動拠点は?」
「まだ拠点すら持ってないみたい。でも、明後日に工業地区にある廃工場で周辺の小規模なギャングやごろつきを集めて会合を開くってさ。話題は”奴隷と武器の密売の分担”だって」
「ほう…………」
結局今まで潰してきたギャングと同じだったことに少しばかり落胆したユウヤであったが、どうせこのような事ばかりするに違いないと思っていたからなのか、期待を裏切られたという感じは全くしなかった。表情を全く変えずに他の写真もチェックした彼は、その写真をベッドの上に置いてから立ち上がる。
「ご褒美だ。冷蔵庫の奥に昨日作ったパンケーキが入ってる」
「やった♪」
「それと、”円卓の騎士”全員にも連絡しとけよ」
円卓の騎士と言った瞬間、ユウヤが作ったパンケーキにありつこうとしていたキャロルがぴたりと手を止めた。先ほどまでおやつに駆け寄る無邪気な子供のように笑っていた筈の彼女は、肉親にすら稀にしか見せない真面目な表情でユウヤの方をゆっくりと振り向く。
いつも笑っている彼女だが、こうして真面目な表情になると母であるナタリア・ハヤカワにそっくりだ。タクヤに今の彼女の顔を見せたら、きっと若き日のナタリアの事を思い出すに違いない。
「…………円卓の騎士まで動かすってことは、本気で潰すってこと?」
「当たり前だ」
円卓の騎士は、テンプル騎士団で行われる会議に出席する権限を持つ団員の総称であり、簡単に言えば議員のようなものである。円卓の騎士はテンプル騎士団の主要メンバーだけでなく、一般的な団員や協力者からも選出されることになっている。あくまでも戦いではなく”話し合い”が本職であるため、円卓の騎士の称号を持っている者が全員凄腕の兵士というわけではない。
あくまでもユウヤが動かそうとしているのは、主要メンバーの方である。
円卓の騎士の称号を持つ主要メンバーは、テンプル騎士団の中でもトップクラスの実力者ばかりである。中には転生者ですらないにもかかわらず何人も転生者を討伐した猛者も含まれており、その戦力はオルトバルカ王国の騎士団では手に負えないほどだ。
その”最高戦力”まで投入して、確実に潰す。
確実に狩らなければならない相手が、この街にいるのだから。
「――――――クソ野郎は、狩る」
シングルアクションアーミーのホルスターを拾い上げた彼は、パンケーキを頬張る腹違いの妹を寝室に残し、隠れ家を後にするのだった。
転生者がこの世界の住人と結婚し、子供が生まれたとしても、基本的に彼らが持つ端末に秘められているような能力が遺伝することはない。武器や特殊な能力を自由自在に生産し、ステータスで自分自身を強化することができる能力はあくまでも端末の”機能”であり、転生者自身の能力ではないからだ。
しかし、ユウヤ・ハヤカワや彼の兄妹たちは例外である。
彼の祖父は転生者であり、父も同じく転生者である。普通ならば父であるタクヤ・ハヤカワはその能力を使うことができない筈であったが―――――――彼も同じく、例外と言える。
転生者とこの世界の人間の間に生まれた子供でありながら、タクヤの中身は普通の子供ではなく―――――――転生者たちがやって来る世界で、飛行機の事故に巻き込まれて死亡した哀れな1人の少年だったのである。
普通の転生者のように17歳に若返った状態で転生したのではなく、赤ん坊の状態からスタートした彼はかなり特殊な転生者と言える。そのような”特殊な転生者”を父に持つせいなのか、彼と結婚した女性たちから生まれたキメラの子供たちには、タクヤと全く同じ能力が生まれた時から備わっているのだ。
隠れ家にあるガレージの中で、いつものように片手を目の前へと突き出す。すると目の前に何の前触れもなく深紅の光が現れ、メニュー画面を形成する。空中に浮かぶメニュー画面には自分自身のステータスや所有しているポイントの数値も表示されており、その脇には『生産』と『装備』の2つのメニューがある。
生産は、ポイントを消費して能力や武器を自由に生産するためのメニューである。特に武器の種類はきわめて豊富で、彼らが愛用する銃だけでも一般的なハンドガンやSMGだけでなく、対戦車用のロケットランチャーや遠距離狙撃用のアンチマテリアルライフルまで生産することが可能である。
装備は生産した武器や能力を装備するためのメニューであり、生産した武器や能力を自由に装備することができる。戦闘中でもメニューを開いて操作するだけで、短時間で装備を切り替えることができるのだ。
装備のメニューをタッチし、いつも愛用している得物を用意しておくユウヤ。数多くの銃を使ってきた彼が愛用しているのは、『トンプソンM1921』と呼ばれるアメリカ製のSMGである。第二次世界大戦などで活躍した銃で、極めて高い信頼性と破壊力を併せ持っている。
ユウヤはそのトンプソンM1921にフォアグリップを取り付け、マガジンをより多くの弾薬が装填できるように”ドラムマガジン”と呼ばれる円盤状のマガジンに変更している。更に連射速度も速くしているため、近距離での獰猛さはより増していると言える。
「久しぶりだな、相棒」
新型のSMGよりも大柄で、木製の部品が使用されている古めかしい銃を見つめながら、ユウヤはこの銃を使ってギャングを潰し続けた日々の事を思い出していた。中には魔術を使うことができる賢い魔術師も含まれていたが、彼らが魔術を使うよりも先に何度も蜂の巣にしてきた。
この獰猛な得物の前では、どんな魔術師でも瞬時に穴だらけにされてしまうのだ。
「さあ、狩ろうぜ」
愛用の得物を背中に背負った彼は、ガレージの中に鎮座するバイクに跨ると、搭載されているフィオナ機関へと魔力を流し込み始めた。