宿泊病院
空高く、上に上にと昇る入道雲。
焼けるような強い日差し。
廃墟がが続く街並み。
夏を高らかに告げる蝉の声をかき消すように、ガタガタと一際うるさい原付が、雑草に覆われ始めたコンクリートの道を進んでいた。
ハンドルを握っているのは何の特徴も見られない普通の少年。
その後ろ、様々な荷物が詰められたバック達に埋まるように座る少女。
少女の容姿としては、良く言えばスレンダー、悪く言えば少し肉付きの薄い体格、黒く艶のある髪を伸ばし、顔のパーツは整いながら、大きな瞳が無邪気な子供の様に輝いているのが特徴的だ。
そんな不釣り合いな二人が、何故一緒に原付旅をしているのか言うと、突然見知らぬ土地に仲良く倒れていたというだけ。
関係性は無く、むしろ二人揃って名前から何まで記憶を失っており、なし崩しに旅をし始めただけである。
出会ってから日も浅く、二ヶ月と少ししか経っていない。
さらに、人気のない不思議世界にほおりだされ、疑心暗鬼になった少女に、健気に声をかけ続けた少年とまともに会話出来るようになったのは一ヶ月前、原付の発見と二人乗りでのスキンシップは二週間前である。
初々しい、というより少女の警戒が強く少年は一歩踏み込めないでいた。
「少年よ」
「なんだい?」
最近の会話はもっぱら少女から。
少年は拒絶が怖くて事務的な事でしか話しかけられないでいた。
「疲れた。休憩にしよう」
「ん〜そうだね。そろそろ日も沈むし、今日の宿を探そうか。」
そう言って少年は、スピードを落として住宅地の方へハンドルを切った。
潰れた家、傾いた家、空き地。
人が見当たらないこの世界では、雨風の凌げる建物は貴重である。
明るいうちに見つかればいいが、今日は運悪く適当な家が見つからずに、住宅地を抜けてしまった。
「うーん見つからないねぇー」
「今日は野宿かな」
「こんな街中で野宿かい?気が滅入るよ。」
既に日は沈みかけ、街の輪郭も判断がつかなくなり始めた。
「あっ、あの建物いいんじゃない?」
そう言って少女が指差したのはコンクリート造りの建築物。
元々は役所だったのだろうか、6階建てで窓が多く部屋数もありそうだった。
「それじゃあそこにしようか」
宿泊先を決めた二人は、ゆっくりと目的地へ向かって行った。
原付を停め、荷物を持って入り口を探す。
だが、開いた窓や扉は見つからず、どうしようかと思案していたが、何か思いついた様に少年がきりだした。
「少女さん、ちょっと離れてて」
「?」
理由もわからず下がる少女を確認した少年は、荷物を漁ると中から一本のモンキーレンチを取り出した。
「しょ、少年?」
少女の問いかけに応えず、少年は力いっぱい振りかぶって一枚の窓にレンチを投げつけた。
パリン、という快音と共に宿への入り口が開ける。
少年は満足気に、窓の淵に残ったガラス片を別の工具で取り除いてから、振り向いて少女に言った。
「ほら、開いたよ」
「…君は野蛮だよ。まったく…」
少女は不満気に少年と割られた窓を見て、溜め息混じりに返した。
原付もといカブちゃんを踏み台にして、無事チェックインを果たした二人は、レンチを回収しガラスまみれの部屋を出て、別の部屋に移動していた。
「ねえ少年」
「なんだい?」
「もしかして、ここ病院じゃないかな?」
「もしかしなくても病院だと思うよ。ベッドの周りに仕切りにカーテンなんて病院しか思いつかないし、さっき案内図を見たけど4階がすっぽり抜けてたし。」
「そ、そう」
心なしか震えを見せる少女を、少年は怪訝に思いながらガスコンロやフライパンを取り出す。
ちなみに食事の担当は全て少女だ。
少年も料理が出来ない訳では無いが、少女は少年の用意した食べ物を口にしようとしなかった。
缶詰ならともかく、少年が畑からとってきた野菜類や調理済みの物。
野生動物の様に警戒し、食料は自らの手で集め、火を通してからでなくては食べなかった。
そんな事があるうちに、少女は食糧、少年はその他全てという役割ができていた。
少年が寝床のベッドを二人分整頓している間に、少女の方も晩ご飯の用意が出来たようだった。
「今日はなんだか茶色いね」
「嫌なら食べないで」
明らかに少年の失言だった。
やってしまったと思ってももう遅い。
ジャガイモとツナ缶の炒め物に乾パンという、栄養バランスの偏った食事ではあるが、最近食糧確保が上手くいかない中で少女は良くやってくれている。
それに、女の作った料理に男はいちゃもんを付けてはいけないのだ。
「いただきます。」
「い、いただきます。」
さらに少女との距離が離れたことを感じながら、少年は黙々と手料理をいただくのだった。
電気の通ってないこの世界では暗くなったら寝るのが一番である。
懐中電灯も無駄に消費することはできない。
暗くなったら寝て、明るくなったら起きて行動する。
それに、日中動き続けていれば夕方には眠気が襲ってくる。
しかし、今日は先程の失言が気になって少年は寝付けないでいた。
(あーやっちゃったなー)
晩飯時の少年の言葉は、唸って威嚇している犬に唾を吐くようなものである。
迂闊すぎた、と少年は反省する。
そして、明日どうやって謝ろうかと考えながら横を向いて寝ることにした。
外は既に真っ暗で、人もいないせいか酷く静かだ。
時折響く、廊下を風が吹き抜ける低い音がより静寂を際立てた。
少年が目を閉じてしばらくすると、ゴソゴソと誰かが動く音が聞こえてきた。
誰かと言ってもこの部屋には、少年と少女しかいないのだが。
4つあるベッドの一番距離が離れる対角線で横になった二人は、特に何事もなかった。
少年は、いつもと違う少女の行動を不思議に思いながら、プライベートを尊重して気にしない事にした。
さらにしばらくすると、少女の方から仕切りのカーテンが開く音が聞こえた。
そして、探るような感じで足音が少年の方へと近づいてくる。
(な、なんだ?)
少女のたてる音に神経を集中させて、少年は体を強張らせる。
足音が少年のいるベッドの真横で止まった時、少年の心臓はうるさい程緊張で脈打っていた。
晩飯時の報復か?何をされるのか?と、思考を張り巡らせ、謝ろうと少年が心に決めた瞬間、少女が口を開いた。
「しょ、少年。お、起きている?」
怯えたように震える少女の声に、少年は背を向けて横になったまま、起きてるよ、と返した。
「え、えっと。こ、こわととりねねっ」
「どうしたのさ?」
少年はさすがにおかしいと思い、寝返りを打って少女と向き合った。
そして少年が見たのは、身を縮ませて震える少女の姿だった。
「どうしたの?」
少年が会話をするため、ベッドの上で座るように体勢を変えても少女は震えたままで、口を開こうとはしなかった。
すると、会話が途切れた静寂の中に廊下を吹き抜ける風の音が響いてきた。
その音に少女は一際震えを強くした。
「怖いの?」
少女は震えながら何度も頷いた。
よく見れば月明かりで涙が溢れているのがわかる。
「隣で寝る?ああ、なにもしないから安心して」
戸惑いながらかけた少年の言葉に、少女はおずおずとベッドに膝を乗せた。
それを確認した少年は、少女に背を向けて再び横になる。
ベッドが軋むたび、少女の気配が近づいてくるたび、少年の心臓はボリュームを上げて鳴り響いた。
そして少女が完全にベッドに乗り、少年の背中の服を掴んだ時、少年は心臓が一瞬止まった気がした。
生きた心地がしない、少年ははっきりとそう思った。
少年にとって少女は腫れ物や爆弾と同じなのだ。
記憶を失って、人付き合いも忘れてしまっては、思春期の少年に同年代の少女は異世界人なのである。
服を掴まれただけで体が動かなくなる。
少女には不思議な力があると少年はこの時本気でそう思った。
少年がガチガチになりながら動けずにいると、少女が小さな声で、ありがとう、と言った。
その一言で少年の硬直は解け、少女と少年の距離が縮まった気がした。