小説の書き方解説作品への危惧
『小説の書き方解説作品』
時々ありますよね、そういうもの。僕も書いていたりします。
こういうものは小説を書き始めたばかりの人や、ものによってはある程度経験を積んだ人にとっても大変便利です。人それぞれルーツなどが違っているのでどの作品にも目から鱗な刺激があります。僕自身も何度かそういうものを読んだことがあり、どれもすごく参考になりました。
しかし、かなり前の話ではありますが新着活動報告一覧をサーフィンしていると、こんなことを書いている人を見つけました。
「今日久しぶりにプロの方の話題作を読んだのですが、びっくりしました……。なろうの皆さんの方が一人称うまいじゃないですか。下手すぎてびっくりです」
これを見て僕はまず「そんな下手なものが世に出るわけないだろ」と思ってブラウザバックしたのですが、しばらくしてとある疑問が出てきました。
『一人称うまい』って何?
一人称とは、小説では主人公の視点でストーリーが語られることを差します。つまり、Aという人物が主人公の話で、彼が道端を歩いているとすると、「俺は道端を歩いている」などと表記されるということです。
その『プロの方の話題の作品』は一人称なのに主人公を地の文で『彼』などと表記していたのでしょうか。
そんなバカな。
もう少し考えてみました。
視点が一時的に狂っていたということかな。例えば、主人公の背中側で行われていることがばっちり目視で描写されている、とか。
それでも「そんなバカな」です。一冊の本がこの世に出るまでに文章のプロが何人目を通すことか。具体的な数字は知りませんが、少なくとも作者と編集者の二人以上はいるでしょうね。
そんな初歩的なミス、果たして見落とすでしょうか。『久しぶりに』小説を読んだ素人が気付く初歩的なミスをプロが見落とすでしょうか。ほとんどありえないです。
では、一体この人は何をどう感じてプロの方の一人称が下手と感じたのでしょうか。僕が考えついた最も自然な答えは「基本的な一人称の書き方と少し逸れたことがされていたから」です。
何事も基本ってありますよね。分かりづらい例かもしれませんが、レコーディングでボーカルを録る時は『コンデンサーマイク』という高性能だけど緻密で壊れやすいマイクが使われます。ライブでは少し性能には劣るけど頑丈な『ダイナミックマイク』というものが使われます。ライブは決してマイクにとっていいコンディションではないですからね。音質を悪くしてでも頑丈なものを使わなければなりません。
ですが、時にライブ用のダイナミックマイクでボーカルをレコーディングすることもあります。とあるプロの作曲家さんによると、アブリル・ラビーンはそれをやったことがあるそうです。
それはどうしてか。そっちのマイクの音の方がその曲には合うからです。
何が言いたいかというと、レベルの高い世界へ行くと「基本ルール=正解」とは限らないのです。基本を守ることより純粋にいいものを作ることの方が優先されることもあるのです。適材適所、柔軟に。
あるいは、ある種の流派の違いのようなものかもしれません。将棋で言えば居飛車とか振り飛車とか。「居飛車が優れていて振り飛車が劣っている」なんてことはありませんよね。
つまり、『今日久しぶりにプロの方の話題作を読んだ』この人は自分が教えられてきた「この人称はこうすべき」というルールに反する表記を発見して、それが『間違いである』と勘違いしたんじゃないか、ということです。
では、どうしてそんな間違いをしたのか。何かの本か、なろうの『小説の書き方講座』作品に書かれていることを鵜呑みにしたか、ですかね。
こういうものは本当に便利です。少し執筆に立ち止まってしまった時などに助けられることもあります。キャラクターの幅が広がることもあります。ですが、同時に『執筆の自由度を失わせる』束縛のひとつでもあるのです。
僕は自分の講座作品で度々「鵜呑みにしないでください」と書いているのですが、もしかするとそこは「自分が求めているのはここに書かれている内容の中心であって、それ以外の前置きなんていらない」と読み飛ばされているかもしれません。極端な喩えを言うと、「この先は安全ではありません」という注意文を「この先は安全」までしか読まれてなかったり。
あるいは、所詮文章なので自分が伝えようとしていることが屈折して伝わってしまっているかもしれない。
少し話は変わりますが、以前「誤字や指摘などがあれば気軽に教えてください」とおっしゃっていた方がいて、僕は「それならば」ということでそれなりの長文を書きました。そのひとつに「一部箇所で人称が狂っている」と挙げました。ですが、今思うとそれは間違いではなかったかもしれない、と反省しています。それはあくまで基本的な考え方であって、決して絶対的なルールではないんじゃないか、と。
恥ずかしくて直接謝ることはできていないのですが、もし心当たりがあるというのなら「こいつは反省してるから許してやるか」と思ってもらえると嬉しいです。
最後に、前述した二件でしみじみと感じたことを言ってみます。
「小説を書いてさえいなければ、自然に楽しく読めていたんだろうなあ」