その4
昨日の昼下がり。
昼食と一緒に例の美人女中さんが持ってきて下さった籐の籠を持って、休憩の準備をするべく仕事の手を止めた。
いつものごとく、わたしの分まで用意されていた焼き菓子をテーブルに準備し、午後のお茶の時間を上司に告げる。
これまた室長のお家の方が用意してくれる高級茶葉で香り高いお茶を淹れ、今手がけている古代文書について室長の意見を聞いた。話の流れで、室長と同じ歴史学研究者でもあった曾祖父の研究論文が、王宮の中にある禁書庫、すなわち持ち出し及び関係者以外閲覧禁止の貴重な蔵書ばかりが収められた書庫に眠っていると知る。自由に閲覧出来る身分を持つらしい室長を、素直に羨んだ。
「王立図書館の一職員、しかもぺーぺーじゃ閲覧は夢のまた夢ですけど、その書庫にある古代文書をいつかは読んでみたいです」
「そうか。ならば結婚するか?」
「はぁ? あぁ、フロレスタン室長の奥方様になれば見られるんですか。どれだけの身分があれば閲覧可能なのかよくわかりませんけど、配偶者にも適用になるんですか?
へええ。それは確かに魅力的なお誘いですけど、一般庶民のわたしがそんな裏技使って見て良いものでもないですよね。その為に厳重管理されているわけですし」
「…………」
「室長、ご自分の身分に頓着なさらないのは知ってますけど、冗談はよく考えて発言してください。軽々しく結婚するか、なんて、婚活中のご令嬢相手じゃ本気にされて一気に婚約即婚姻に持ち込まれちゃいますよ」
「……それでは、ユラは結婚しないというのだな?」
「当たり前です! 冗談だってちゃんとわかってますし、婚活中でもないですからね」
「そうか、わかった」
「一応言っておきますけど、そういうことを軽々しく口にしたら駄目なんですよ?」
「…………」
「室長、世間一般の常識に疎いですもんねぇ。世俗を超越して研究に没頭したい気持ちもわかります。けど、いつかは相応の身分のご令嬢との縁談があるんでしょうから、もっと……」
「戻る」
世間一般常識を説こうとして逃げられるのは初めてではない。自分の世間知らずを突きつけられて耳の痛そうな顔をするのも。
だから、気にも止めていなかった。
あれが本気の求婚だったなんて、気づきもしなかった!
しかも休憩中の他愛もない世間話の流れだよ!?
それで気付けって方が無理でしょう。
「そりゃあ冗談かと思うじゃないですか」
「だから今誤解を解くと共に、改めて求婚している」
「………………」
何故わたしに。
呪われた空気はともかく、顔よし身分高し性格…は、まぁ、根暗なりにいいとこありますけど、とにかく一般庶民の一部下であるわたしを相手にするようなお方ではないでしょうが。
今鏡を見たら、相当困った顔をしている自信がある。
硬直しているわたしの指先を親指の腹でそっと撫で、室長が更に言葉を紡いだ。
「そなたが言ったのだ」
は?
「重ねて説けばいつかは成就する、と」
ええぇぇっそういうつもりで言ったんじゃないんだけどなぁ。
「一度や二度拒絶されたからといって、諦めるべきではないと言ったではないか。わたしもそう思う。
自分が他人にとって疎ましき存在であることは、薄々わかっている。しかし、どれだけ根暗だ世間知らずだと罵倒され拒絶されようとも、これだけは譲れぬ」
「いや、そこまで室長を拒絶したわけでは……」
あたかも自らの人間性を否定するかのような口振りだったので、自虐的な発言を遮るようにフォローの言葉を口にした瞬間に後悔した。
だって、呪いの大型人形…じゃなかった、室長の目の奥がキラリと光ったのが見えて、背筋が凍り付きそうになったから。
いいいいっいやな予感がする!




