その3
「昨日の続きだ。座りなさい」
あれ? 古代文書解読にとりかかるんじゃなくて?
わたわたと資料を山積みにしていたわたしを凍てつくような視線で制止させ、いつも休憩時に利用する書架横の長椅子へと誘導する背中に大人しく従った。
「確認しておきたいのだが」
「はい」
「一度求婚を断られたからといって、髪を切るべきではなかったというのがそなたの言い分なのだな?」
「えぇっなんですかいきなり!?」
仕事の話かと思いきや思いっきり私的用件ですか!?
なんでわたしが室長の恋愛相談を請け負わねばならぬのか。恋多き男と噂されるレスター中将の方が適任ではないでしょうか。
女心を尋ねられても、貴族のご令嬢相手の凡例はわかりかね……そうか、まさかの身分違いの恋!?
うん、心当たりはなくもない。
時々室長のご実家からつかわされて差し入れを持ってくる女中さん(美人)、まじまじと室長を見ては微笑んでいたもんなぁ。いつもわたしにも笑いかけてくれて、グレイロディアス様を宜しくね、って言われたことも一度だけある。両手をひしっと掴まれ潤んだ瞳で。
たかだか新人の部下に宜しくなんて何を宜しくされたのか? 足を引っ張るなっていう意味での遠回しな脅迫? と疑問に思っていた。
けれど、ここにきて腑に落ちた。
あれは、単に自分のご主人様が快適な研究生活を送れるように宜しく、というだけではなく、想い人である男性に変なムシがつかないように宜しくされたに違いない。
大丈夫ですよ室長、彼女とはちゃんと両思いです! 越えられない身分の壁が…、と奥ゆかしい女中さんは遠慮しただけなんだと思いますよ。重ね重ね誠意を見せるべく説得すれば、いずれ二人の思いは結ばれます!
「ユラ、人の話を聞いているか?」
「はっごめんなさい、そうですねぇ、もしかしたら彼女と室長との間に何か誤解があったのかもしれません。髪を切るというのは早まった行為だったんではないでしょうか」
「………………彼女?」
「何度でも誠意を尽くして説き伏せてこそ、成就した際の喜びも大きいというものです。くじけないで頑張ってください! さしあたってその散切り頭を切りそろえてもう一度迫ってみてはいかがでしょう」
「ふむ、一理あるな」
「でしょう? もしかしてその髪、ご自分で刃をあてたんですか? いくらなんでもあんまりな切り口です、呪い度が通常比八割り増しですよ」
「…………」
「レスター中将がまだその辺にいるかもしれません。やたら切れ味の鋭い刃物をお持ちですから、お借りしてきましょうね」
「待て」
立ち上がって地上へ向かおうとするわたしの手をとった室長は、何故か片膝をついた体勢で跪いた。
「お主の意見をいれるにしても、やはり切るより先にすべきだと思う」
「は? 何を」
「求婚だ」
「球根?」
「そうだ」
「植物園の園長からまたなんか変なもの貰ったんですか? 引っこ抜くと気持ち悪い声で鳴く植物とか、食虫通り越して小鳥まで食べそうな肉食植物とか、図書館前の花壇には相応しくないですからね!」
「…………婚姻を乞うという意味だ」
「こんいん? 根因…こんい…婚姻? 求婚ですか!? いや…室長がどうしてもっていうなら切りそろえるのは再チャレンジの後でも……って、何してるんです!?」
おもむろにわたしの指先を口元に近づけた室長は、殺意さえ感じられる狩人のような視線で、わたしを射抜いた。
えっ獲物はわたし?
室長は絶対草食系だと思ってたのにーっ。じゃなくて。落ち着けわたし!
「ユラ・ブレイズ。昨日申したことを再度繰り返す」
「は? 昨日?」
「気持ちが先行したせいで正式な儀礼をとらなかったのはこちらの非だ。今日こそは本気であることを理解してもらう」
「はい? へ?」
「そなたと結婚する栄誉を与えてはくれまいか」
「…………マジですか」
「それは是か否かどちらの意味だ?」
俗語はよくわからん、と少しだけ眉根を寄せる室長の顔を凝視しつつ、求婚されていたらしい昨日を思い出すべく記憶の糸を手繰り寄せた。




