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その1

ざっくり世界観のなんちゃって異世界が舞台です。

突っ込みは嚥下してスルーしていただけるとありがたいです。

「…………!!!!」


一目その切り口を見るなり絶句したわたしの反応など意に介さず、直属の上司であるフロレスタン室長は、無言のまま目を部下からはずし、地下蔵書庫へと続く薄暗い階段へと姿を消した。


「…………なにあれっ!!!」


一体全体、上司に何が起こったのか。


枝毛や切れ毛の疑いなど常に見当たらない、腰まである鴉の濡れ羽色の長髪。

その長さでどうしたらそんな艶髪を保持できるのか、男のくせに必要なのか!と、女性なら誰しも悔しがらずにはいられない美しい髪。

その持ち主が、王立図書館に勤務するわたしの直属の上司、古代禁出文書管理室長フロレスタンであった。

そのはずなのに。


昨日までは麗しく背中を流れ腰を覆っていたはずの黒髪は、肩口のあたりから背中にかけて、見事なまでにバッサリと斜めに断ち切られていた。


……切るにしたって切りようってもんがあるでしょうが!!!


職員専用の地下入り口階段前で見事に茫然自失、薄暗闇を睨んで立ち尽くしながら、上司の黒髪とそれにかけられた労力とを惜しみ、うっすらと涙を浮かべた。


詳しいことは知らないが、わたしの上司は名門貴族出身らしい。身分も容姿も平々凡々なわたしとは天と地ほどの違いがある。

身分だけではない。彼が持っていたのは、一年半かかってようやく肩までの長さから背中の半ばまで伸ばした、枝毛や切れ毛が山ほどあるわたしの薄茶色の髪とは大違いの艶髪だったのだ。

きっと身の周りの世話をする人達によって、精魂込めて手入れされていたであろう。その真っ直ぐな黒髪が、なんと無惨な姿になり果てたのであろうか。

本人は深い意味もなく伸ばしっぱなしにしていただけかもしれないけれど、手入れする側はとてつもなく気を遣ってあの芸術品を仕上げていたに違いないのに。


一体全体何故に?

どうやったらあんなバッサリ斜め散切りな事態に!?



事態を推測するべく、変わった様子がなかったか、前の日を思い出してみる。

昨日はいつもと同じように朝から同じ地下二階でそれぞれの仕事をし、昼食と午後のお茶の際、一緒に休憩をとった。夕刻、仕事を終えて別れるまで、別段異常はなかったように思う。


家、いやお屋敷で何かあったのか?

それとも暴漢に襲われた?

確かに髪の美しさのみならず麗しい顔立ちをしている点は否めない。本人も周囲も詳しく語らないのでよく知らないのだが、身分も相当高貴な方のようだ。


しかし、整った顔立ちや長身という恵まれた容姿や華やかと思われる身分とは真逆を行く表情の暗さというか変化の乏しさ、更には雰囲気のおどろおどろしさによって、浅慮にも寄って来る無謀な者は人どころか獣にも殆どいない。

迂闊に近づくとその暗さに巻き込まれて生きる気力が奪われる、と、王立図書館内では専らの評判だ。

常識はずれの艶やかさを保つ黒髪は、一般的な成人男性の平均的な長さどころか、女性の長さすらも超えようとしていた。その輝きは艶やかというよりまがまがしいといった方が近く、古代文書の記述にあった、夜になると髪が伸びる呪いの人形を彷彿とさせる。

日の光が苦手だという色白の肌や色素の薄い水色の瞳を保護する為に着用していると言っていた丈の長い暗色の衣装(帽子付き)をズルズルと引きずって移動する姿は、古代の呪術師が蘇ってきたかのような錯覚を見る者に沸き上がらせ、まず近づこうという気を起こさせない。

上等な布地独特の質感が、余計に呪術の凄さを物語るかのように衣擦れの音をおどろおどろしいものにしていたせいもある。



一般庶民平均的価値観の持ち主代表のわたしことユラ・ブレイズが、フロレスタン室長の直属の部下として配属され、前触れなしに上司に遭遇してもぎょっとしない程度に慣れるまでにかかった時間は3ヶ月。呪わしい長髪が実は手をかけられた艶髪だと気づくまでには半年を要した。

一年以上経った今でも、表情の変化に乏しい上司が真顔で繰り出す冗談とも本気ともつかない言動への対処には未だに手こずっている。

仮面の様に表情筋が退化したとしか思えない上司が、大笑いしているのを見たことは、一度もない。

彼の表情の基本は真摯な真顔で、眉間に皺が寄るか目を細めるかするのが、主たる追加効果だ。

黒髪や彫りの深さがもたらす陰影によって、真顔どころか渋面に見える付加効果もついてくる。


古代文書の解析が思うように進まず苛立っている時も、休憩時に好みのお菓子を出された時も、改心の出来とも言うべき翻訳文を上司に提出した時も、大体似たような反応だった。



先ほどユラの視線から逃れるように地下階段へ消えていったフロレスタン室長も、いつもと変わらぬ表情だっただろうか。

散切り頭にばかり気を取られていたが、その表情を思いだそうと試みるにつれ、なんだか自分の記憶力は信用ならないと思えてならなかった。


まさか。

まさかあのフロレスタン室長が目を潤ませていたなんて。


どう考えても錯覚だとしか思えない。

視力には自信があるつもりだったのだが、連日の地下での作業ばかりで薄茶色の瞳も疲労しているのかもしれない。


ともあれ、階段入り口でいつまでも逡巡していては仕事に差し障りが出る。ちょっとぐらいの視力の低下ぐらい何さ、とっとと仕事に行かなくては。

はたと自分が出勤途中であったことを思い出し、少々困惑しながらも地下へ足を踏み入れようとした矢先、聞き慣れた足音が騒々しく近付いてくるのが耳に届いて体が硬直してしまった。

王立図書館の勤務者に、あれほど騒々しく歩く者はいない。

職員専用の出入り口がある部屋まで、足音も高らかに迷いなくやってくる人物の心当たりは、ひとつしかなかった。






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