第4章:領主様は氷の騎士
辺境での生活が始まって数日。まずは住環境の改善と、当面の食料を確保するため、私たちは町の中心部へと向かった。廃屋同然だった我が家も、二人で力を合わせて修繕し、なんとか快適と呼べるレベルにはなってきた。次は、この町のことをもっと知る必要がある。
町の中心には小さな広場があり、そこでは市場が開かれていた。並んでいる品物は王都に比べてずっと少ないけれど、見たことのない野菜や、ごろごろとした岩塩、香りの強いハーブなどが並び、私の料理人としての好奇心を刺激する。
「お嬢様、見てください! 大きな鳥の卵ですわ!」
「本当ね、エマ。それに、あっちには干し肉がたくさん。燻製のいい香りがするわ」
二人できゃっきゃっと市場を眺めて歩いていると、不意に広場の一角が騒がしくなった。人だかりの中心に目をやると、一人の男性が、鉱夫らしい男たちの集団に囲まれている。
「領主様! これ以上税を上げられたら、俺たちは冬を越せねえ!」
「そうだそうだ! 王都にばかりいい顔しやがって!」
領主様、と呼ばれた男性は、群衆の怒声にも一切表情を変えず、静かに彼らの言葉を聞いていた。背が高く、がっしりとした体格。黒曜石のような黒髪を短く刈り込み、彫りの深い顔立ちは驚くほど整っているが、その灰色の瞳は凍てついた湖面のように冷たく、一切の感情を映していない。腰に下げた長剣と、その立ち姿から滲み出る威圧感は、彼がただ者ではないことを示していた。
(あの人が、このベルク辺境伯領の領主、レオンハルト・フォン・ベルク……)
王国の北の盾と謳われる、若き辺境伯。戦場では鬼神の如き強さを誇り、その冷徹さから「氷の騎士」と噂される人物。まさかこんな場所で遭遇するとは思わなかった。
彼は鉱夫たちの言葉を最後まで聞くと、低い、けれどよく通る声で静かに口を開いた。
「お前たちの言い分は分かった。だが、王命だ。私の一存ではどうにもならん。しかし、領民を飢えさせるつもりもない。対策は、必ず講じる。今は下がれ」
有無を言わせぬその声に、あれほど息巻いていた鉱夫たちも、渋々といった様子で引き下がっていく。その様子を、私は少し離れた場所から見つめていた。冷たいと言われているけれど、領民の言葉にきちんと耳を傾ける、真摯な人なのかもしれない。そんなことを考えていると、不意に、彼と目が合った。
凍てついた灰色の瞳が、まっすぐに私を射抜く。その視線に、思わず心臓が跳ねた。
レオンハルトは私の方へ向かって、ゆっくりと歩み寄ってくる。彼の背後には騎士と思われる男たちが数人控えていた。
「……君が、王都から追放されてきたというクライネルト公爵令嬢か」
目の前に立った彼が見下ろしてくる。その声は、鉱夫たちに話していた時よりもさらに低く、冷たい響きを帯びていた。
「はい。アリアと申します」
私が貴族式の挨拶をしようとすると、彼はそれを手で制した。
「結構だ。元、だろう」
その言葉は、私の出自を明確に否定するものだった。そして、彼の灰色の瞳には、あからさまな警戒と軽蔑の色が浮かんでいた。
「王都の揉め事を、この地に持ち込むのはやめてもらいたい。大人しくしている分には何も言わんが、問題を起こすようなら、即刻つまみ出す。肝に銘じておけ」
「……!」
それは、あまりにも一方的な物言いだった。私が何か問題を起こしたわけでもないのに、初対面で「厄介者」と決めつけられたのだ。王都の貴族たちがどれほどこの地を蔑み、面倒事を押し付けてきたのか、その態度から透けて見えるようだった。
少しだけ、胸がちくりと痛む。けれど、ここで引き下がる私ではない。
私は背筋を伸ばし、彼の冷たい視線をまっすぐに見返した。
「ご忠告、ありがとうございます、辺境伯様。ですが、ご心配には及びません。私は、この地で静かに、自分の力で生きていこうと決めておりますので」
「……ほう」
私の予想外の返答に、レオンハルトはわずかに眉をひそめた。その表情に、ほんの少しだけ興味の色が浮かんだように見えたのは、気のせいだろうか。
彼はふん、と鼻を鳴らすと、それ以上何も言わずに私に背を向け、騎士たちを伴って去っていった。
その後ろ姿を見送りながら、私はきゅっと拳を握りしめる。
(見てなさいよ、氷の騎士様。元公爵令嬢だからって、泣き寝入りするような女じゃないんだから。絶対にこの地で根を張り、あなたを見返してやるわ)
心の中で高らかに宣言し、私は新たな闘志を燃やす。まずは、この貧しい食生活から抜け出すこと。私の挑戦は、まだ始まったばかりだ。




