第3章:ようこそ極寒の辺境伯領へ
王都を出てから、どれほどの月日が経っただろうか。乗合馬車に揺られること、実に二週間以上。道は次第に険しくなり、緑豊かだった風景は、灰色の岩肌と、針葉樹の森へと姿を変えていった。空気は日に日に冷たさを増し、薄手のマントでは肌寒さを感じるほどだ。
そしてついに、私たちの旅は終わりを告げた。
「ここが……ベルク辺境伯領……」
馬車を降りたエマが、目の前の光景に呆然と呟く。
目の前に広がるのは、ひたすらに荒涼とした土地だった。空は低く、どんよりとした雲に覆われている。町並みは石と木で造られた素朴な家々で構成されているが、どこか活気がなく、人々の表情も厳しい。噂に違わぬ、雪と氷に閉ざされた厳しい土地。それが、私たちの新たな生活の舞台だった。
まずは役所へ向かい、追放者としての届け出を済ませる。役人はこちらをジロリと一瞥すると、無言で書類に判を押し、一本の錆びた鍵を差し出した。
「これがお前たちの家だ。場所は地図に書いてある」
ぞんざいな物言いに内心むっとしたが、事を荒立てる必要はない。私たちは黙って鍵を受け取り、地図を頼りに指定された場所へと向かった。
町の中心部から少し外れた、寂しい路地裏。そこに、私たちの「家」はあった。
「……え?」
思わず、声が漏れた。それは家というより、廃屋と呼ぶのがふさわしい代物だった。壁にはいくつも亀裂が走り、屋根瓦はところどころ剥がれ落ちている。かろうじて形を保っているのが不思議なくらい、傾いた小さな一軒家。
「お嬢様、ここで……私たちが暮らすのですか……?」
エマが不安げに私の袖を掴む。
「……入ってみましょう」
意を決して錆びた鍵を鍵穴に差し込むと、ぎぃ、と嫌な音を立てて扉が開いた。中へ足を踏み入れると、ひやりとした黴臭い空気が私たちを包む。中は板張りの床に、小さなテーブルと椅子が二脚、そして奥に粗末なベッドが二つ。部屋の隅には石造りの暖炉があるが、煙突が詰まっているのか、煤で真っ黒になっていた。窓ガラスにはひびが入り、そこから容赦なく冷たい隙間風が吹き込んできている。
王都の公爵令嬢が住んでいた、天蓋付きのベッドやベルベットのソファが置かれた豪華な部屋。それと比べるまでもなく、あまりにも過酷な環境だった。
「うぅ……ひどすぎます……」
とうとう堪えきれなくなったのか、エマの目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。無理もない。貴族の屋敷で侍女として働いていた彼女にとって、この現実はあまりに衝撃的だろう。
私はそんなエマの背中を優しくさすった。
「泣かないで、エマ。大丈夫よ」
「でも、お嬢様……こんな場所では……」
「いいえ、違うわ」
私は部屋を見渡し、にっと笑ってみせた。
「ここが、私たちの城よ!」
「え……お城……?」
きょとんとするエマに、私は力強く頷く。
「そうよ! 誰にも文句を言われない、私たちだけの自由なお城。少し古くて、隙間風がひどいけど、それも直せばいい話じゃない。暖炉を掃除して、壁の穴を塞いで、床をぴかぴかに磨くの。そうしたら、きっと素敵な城になるわ」
私のあまりに前向きな言葉に、エマは涙を浮かべたまま、ぽかんとしている。
「さあ、まずは掃除からよ! 二人で力を合わせれば、今日中には眠れるくらいにはなるはずだわ。頑張りましょう、エマ!」
腕まくりをしてそう宣言すると、エマは戸惑いながらも、こくこくと頷いた。
「……はい、お嬢様!」
その夜。
二人で必死に掃除をし、なんとか暖炉を使えるようにして火を熾した。パチパチと燃える炎が、冷え切った部屋と私たちの体を温めてくれる。買ってきた固いパンとチーズだけの質素な夕食だったけれど、二人で暖炉を囲んで食べると、不思議と美味しく感じられた。
王都での贅沢な暮らしはもうない。けれど、ここには自由がある。誰にも指図されず、自分たちの力で未来を切り拓いていく自由が。
暖炉の炎に照らされたエマの顔に、いつの間にか笑顔が戻っているのを見て、私は心から安堵した。大丈夫、きっとやっていける。この厳しい土地で、私たちは必ず幸せになってみせる。
そう固く誓いながら、私は辺境での最初の夜を過ごしたのだった。




