第16章:王都の食糧危機と、王太子の嫉妬
ベルク辺境伯領が、アリアの知恵によって冬への備えを万全に整え、かつてないほどの豊かさに沸いていた頃。王都エルグランドは、深刻な食糧危機という名の、静かな冬に凍えていた。
聖女リリアの偽りの奇跡はことごとく失敗し、凶作は二年連続で王国全土を襲った。頼みの綱である他国からの食料輸入も、不作は大陸全体に及んでいたため、思うように進まない。王都の食料備蓄は、日に日に底を突き始めていた。パンの価格は高騰し、民衆の間では、わずかな食料を奪い合う諍いが頻発するようになっていた。
そんな絶望的な状況下で、王太子ジュリアンの元に、一つの報告がもたらされた。
「報告します! 北のベルク辺境伯領のみ、食料が潤沢にあり、領民は誰一人飢えることなく冬を越す準備を整えているとの情報が入りました!」
その報告を聞いたジュリアンの第一声は、安堵ではなかった。
「……何だと?」
彼の碧眼に宿ったのは、民を思う為政者の光ではなく、どす黒い嫉妬の炎だった。
「ベルク辺境伯領だと? あの、不毛の地が、なぜ……」
「はっ。追放されたアリア・フォン・クライネルトが開発した、新たな保存食の技術によるものかと……」
アリア。その名前を聞いた瞬間、ジュリアンの整った顔が、苦々しく歪んだ。自分が捨て、蔑んだ女。その女が、自分が招いた国難の中で、成功を収めている。民からの人望を集めている。その事実が、彼の肥大した自尊心を、ナイフのように抉った。
「許せん……。あの女が、私を差し置いて……!」
隣にいたリリアもまた、扇で口元を隠しながら、嫉妬に燃える瞳を細めていた。
「まあ、アリア様が……。きっと、何か良からぬ魔法でもお使いになっているのではなくて?」
リリアの悪意に満ちた囁きは、ジュリアンの嫉妬の炎に、さらに油を注いだ。
そうだ、きっとそうだ。あの悪女のことだ、何か汚い手を使ったに違いない。自分を陥れたように、今度は辺境伯を誑かし、何かを企んでいるのだ。そうでなければ、自分が失敗しているのに、あの女が成功するはずがない。
歪んだ思考に囚われたジュリアンは、冷静な判断力を完全に失っていた。
彼は、忠臣たちの制止も聞かず、一つの傲慢な命令を下すことを決意する。
数日後。ベルク辺境伯領のレオンハルトの元に、王都からの勅令が届いた。
そこに書かれていたのは、信じがたい内容だった。
『ベルク辺境伯領にて備蓄している余剰食料の全てを、王都に献上せよ。これは、王国全体の危機を救うための王命である』
全ての食料を、献上せよ。それは、辺境伯領の民に「冬の間、飢えて死ね」と宣告するに等しい、あまりにも理不尽で、横暴な命令だった。
余剰食料、と書かれているが、王都が要求している量は、明らかに辺境伯領が冬を越すために必要な最低限の備蓄量すらも上回っていた。これは、救済を求める命令ではない。嫉妬に駆られた、一方的な略奪だ。
ジュリアンは、アリアの成功を認め、助けを乞うのではなく、力でその成果を奪い取り、自らの手柄にしようと考えたのだ。そして、それによってアリアの築いたものを破壊し、彼女を再び絶望の淵に突き落とすことを、心の底で望んでいた。
この暴挙は、王都と辺境伯領の関係を、決定的に破綻させる引き金となる。王国の危機は、食糧問題から、内乱の危機へと、新たな段階へと進もうとしていた。




