第13章:二人きりの夜と、秘めた想い
バルガスたちによる嫌がらせの一件以来、レオンハルトは、公然と私を気にかけるようになった。昼間でも騎士を一人、『陽だまり亭』の警護として店の前に立たせるようになったのだ。おかげで、私たちは安心して店を切り盛りできるようになった。
そして、彼の夜の訪問も、変わらず続いていた。
その夜は、外で猛烈な吹雪が吹き荒れていた。昼間の喧騒が嘘のように、町は静まり返り、道行く人の姿もない。さすがにこんな夜は、彼も来ないだろう。そう思って店仕舞いをしていた時、雪をまとった大きな影が、静かに扉を開けた。
「……レオンハルト様」
「ああ。城への帰り道だ。少し、体を温めさせてくれ」
彼の髪や肩には、うっすらと雪が積もっている。よほど酷い吹雪の中を歩いてきたのだろう。
「もちろんです。さあ、暖炉のそばへどうぞ」
私は彼を一番暖かい席へと案内し、すぐに厨房へ向かった。こんな寒い夜には、とっておきの一品が必要だ。
私が用意したのは、体を芯から温める生姜をたっぷりすりおろした、鶏肉と野菜のスープ。そして、夜食にぴったりの、醤油もどきで香ばしく焼き上げた、小さな焼きおにぎり。ささやかだが、心のこもった夜食だった。
「どうぞ、召し上がってください。生姜がたくさん入っているので、温まりますよ」
「……すまない」
彼はいつものように無言でスープを啜り、焼きおにぎりを頬張る。
パチパチと暖炉の薪がはぜる音だけが、静かな店内に響いていた。他の客は、もういない。吹雪の音が、遠くに聞こえる。まるで、この世界に、私たち二人だけしかいないような、不思議な感覚だった。
しばらくして、体が温まったのか、彼はふぅ、と息をついて、ぽつりと呟いた。
「……いつも、美味いな」
「ありがとうございます」
「君は……なぜ、こんな辺境の地で、このようなことをしているんだ? 元は、公爵令嬢だったのだろう。もっと楽な生き方もあったはずだ」
それは、私が初めて彼から向けられた、個人的な質問だった。
私は少し考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「王都での暮らしは、私にとっては息苦しいだけでした。いつも誰かの顔色を窺い、自分を偽って生きていましたから。でも、ここでは……自分の力で、誰かを笑顔にできる。それが、たまらなく嬉しいんです」
私は自分の過去を、追放された時の心境を、そして料理にかける想いを、正直に語った。彼なら、受け止めてくれるような気がしたからだ。
私の話が終わると、今度は彼が、ぽつり、ぽつりと自分のことを語り始めた。
領主としての重圧。王都の貴族たちから蔑まれ、無理難題を押し付けられる日々。厳しい自然と戦い、領民の命を守ることの責任の重さ。彼が一人で抱え込んできた、孤独と苦悩。
「氷の騎士、か。そう呼ばれているらしいな。だが、本当はただ、不器用なだけだ。どうすれば、この地と民を守れるのか。そればかり考えていたら、いつの間にか笑い方も忘れていた」
自嘲気味にそう言う彼の横顔は、いつもよりずっと人間味にあふれ、どこか寂しげに見えた。
私たちは、暖炉の火だけが揺れる静かな店内で、初めて互いの素顔に触れた。彼が背負っているものの大きさを知り、私は胸が締め付けられるような思いがした。そして同時に、この人の力になりたい、この人の隣で、彼を支えたいと、強く思った。
気づけば、吹雪は止んでいた。
「……もう、行かねばな」
彼は名残惜しそうに立ち上がる。
「レオンハルト様」
私は、思わず彼の名を呼んでいた。
「……なんだ?」
「また、いらしてくださいね。いつでも、温かいスープを用意してお待ちしていますから」
私の言葉に、彼は一瞬驚いたように目を見開いた。そして、次の瞬間、彼の口元に、ほんのわずかだが、確かな笑みが浮かんだ。
「……ああ。また来る」
その珍しい微笑みに、私の心臓は、これまでで一番大きく、甘く、跳ねた。
この夜を境に、私たち二人の距離は、急速に縮まっていくことになる。それは、友情よりも深く、まだ恋と呼ぶには少し早い、特別な感情の始まりだった。




