第12章:忍び寄る影と、辺境伯の守護
『陽だまり亭』の繁盛は、辺境の町に活気と笑顔をもたらした。しかし、光が強ければ、影もまた濃くなるのが世の常だ。私の店の成功を、快く思わない者たちも当然のように現れた。
その筆頭が、古くからこの町で唯一の食堂を営んできた、食堂ギルドの長、バルガスだった。彼は恰幅のいい中年男で、強欲で知られていた。彼の店は、例の固いパンと塩辛いスープを法外な値段で出すだけの、お世辞にも良い店とは言えなかった。そんな彼の店から客足が遠のき、『陽だまり亭』に流れたのは、自然の摂理だった。
最初は、些細な嫌がらせだった。店の前にゴミを撒き散らされたり、無言電話ならぬ、無言の来訪者が扉を叩くだけ叩いて去っていったり。私とエマは、気にしないようにしながらも、少しずつ不安を募らせていた。
しかし、嫌がらせは次第にエスカレートしていく。
ある日、いつも食材を卸してくれていた市場の商人が、申し訳なさそうな顔で訪ねてきた。
「アリアさん、すまねえ……。もう、あんたの店には食材を卸せなくなった」
「どうしてですか!?」
「ギルド長のバルガスさんから、圧力がかかってな……。逆らったら、この町で商売ができなくなっちまうんだ。本当に、すまない……」
バルガスはギルドの権力を使い、私の店への食材の流通を止めようとしたのだ。幸い、他の正直な商人たちがこっそりと食材を回してくれたため、店の営業に大きな支障は出なかったが、彼のやり方の汚さに、私は強い憤りを覚えた。
そして、ついに決定的な事件が起こる。
その日の夕方、店の前に、柄の悪いチンピラ風の男たちが数人、屯するようになった。彼らは店に入ってくるわけでもなく、ただ店の入り口を塞ぐようにして立ち、客たちを威嚇する。怖がった常連客も、店に入れず、すごすごと帰ってしまう。明らかな営業妨害だった。
「お嬢様、どうしましょう……」
エマが不安げに私の腕を掴む。
私がどうしたものかと思案していると、チンピラの一人が、にやにやしながらこちらに近づいてきた。
「よう、姉ちゃん。ぽっと出の素人が、調子に乗ってんじゃねえぞ。大人しく店を畳んで、バルガス様に詫びを入れな」
「お断りします。私たちは、正当に営業許可を得て、この店をやっているのですから」
私が毅然と言い返すと、男はカッとなったように顔を歪めた。
「なんだと、このアマ……!」
男が私に掴みかかろうと、手を伸ばした、その瞬間だった。
「――そこまでだ」
地を這うような、低く、冷たい声が響いた。
声のした方を見ると、そこには、いつもの平服ではなく、騎士団の制服に身を包んだレオンハルトが、数人の騎士を率いて立っていた。その灰色の瞳は、怒りによって凍てつく氷のように、鋭い光を放っている。
「へ、辺境伯様……!?」
チンピラたちは、領主の突然の登場に、一瞬にして顔色を失った。
レオンハルトは、チンピラたちを一瞥すると、ゆっくりと口を開いた。
「私の領地で、私の認めた者に手を出すとは、いい度胸だ。貴様ら、どこの息がかかっている?」
その圧倒的な威圧感に、チンピラたちはがたがたと震えだす。誰もが口を開けないでいると、レオンハルトは静かに剣の柄に手をかけた。
「言え。言わぬのなら、反逆罪とみなし、ここで斬り捨てる」
その言葉は、決して脅しではない。本気の殺気を浴びて、チンピラの一人が悲鳴を上げた。
「ひぃっ! わ、私たちは、食堂ギルドのバルガス様に頼まれて……!」
「そうか。バルガスか」
レオンハルトは短く呟くと、背後の騎士に顎でしゃくった。
「全員捕らえろ。バルガスもだ。営業妨害、及び脅迫の罪で、牢に叩き込んでおけ」
「はっ!」
騎士たちは、あっという間にチンピラたちを取り押さえ、連行していく。あまりの出来事に呆然と立ち尽くす私に、レオンハルトが向き直った。
「……怪我は、ないか」
その声には、先程までの冷徹さはなく、不器用な優しさが滲んでいた。
「は、はい……。大丈夫です。ありがとうございました、レオンハルト様」
「気にするな。領民を守るのは、領主の務めだ」
そう言って、彼は私に背を向けた。けれど、その力強く、大きな背中は、どんな言葉よりも雄弁に、私を守ろうとする彼の意志を伝えていた。
その背中を見つめながら、私は初めて、自分の心臓が、彼に対して、ただの領主様としてではなく、一人の男性として、大きく、そして温かく高鳴っているのを感じていた。




