第1章:偽りの断罪、目覚める記憶
【登場人物紹介】
◆アリア・フォン・クライネルト
本作の主人公。クライネルト公爵家の令嬢。乙女ゲームの悪役令嬢に転生したが、断罪イベントをきっかけに前世(日本の料理好きOL)の記憶を取り戻す。逆境にめげないポジティブさと芯の強さを持ち合わせ、料理の知識を武器に辺境の地で成り上がっていく。
◆レオンハルト・フォン・ベルク
本作のヒーロー。王国の北の盾と謳われるベルク辺境伯領の領主。黒髪に灰色の瞳を持ち、無骨で無愛想な「氷の騎士」と噂されるが、内面は領民を深く愛する実直な青年。アリアの作る温かい料理と彼女の天真爛漫な人柄に、凍てついた心を徐々に溶かされていく。
◆ジュリアン・フォン・エルグランド
アリアの元婚約者である王太子。金髪碧眼の美青年だが、プライドが高く人の表面しか見ない浅薄な性格。乙女ゲームのヒロインであるリリアに心酔し、アリアを断罪・追放するが、それが国の危機を招くことになる。
◆リリア
乙女ゲームのヒロイン。平民出身の聖女として王宮に迎えられる。庇護欲をそそる可憐な見た目をしているが、その実、計算高く腹黒い。ジュリアンを手玉に取り、アリアを陥れて成り上がろうと画策する。
◆エマ
アリア付きの侍女。アリアがクライネルト公爵家から勘当されてもなお、ただ一人付き従うことを選んだ忠義に厚い少女。アリアの一番の理解者であり、料理の助手として彼女の挑戦を支え続ける。
王立学園の卒業記念パーティーは、その年の社交界で最も華やかな夜会となるはずだった。天井できらめく巨大なシャンデリアが、着飾った貴族の子弟たちを宝石のように照らし出している。その喧騒の中心で、私は、公爵令嬢アリア・フォン・クライネルトは、人生最大の窮地に立たされていた。
目の前には、婚約者であるこの国の王太子、ジュリアン・フォン・エルグランド。彼の腕の中には、涙を浮かべた可憐な少女、聖女リリアが庇われている。
「アリア! 君という女は、なんて嫉妬深く、陰湿なんだ! 聖女であるリリアに数々の嫌がらせをしていたこと、言い逃れはできんぞ!」
金色の髪を輝かせ、ジュリアンが私を指差して糾弾する。周囲の貴族たちがひそひそと囁き合い、侮蔑と好奇の視線を向けてくるのが肌に痛い。
ああ、この光景。このセリフ。なんだか、ひどく見覚えがある。
「聖女リリアを虐げた罪は重い! よって、アリア・フォン・クライネルト! この場をもって、貴様との婚約を破棄する! そして、未来の王妃にふさわしくない貴様には、王都追放を命じる! 行き先は、極寒の地、ベルク辺境伯領だ!」
ジュリアンの高らかな宣言が、ホールに響き渡った。
その瞬間、私の頭の中に、まるでダムが決壊したかのような勢いで、膨大な記憶の濁流が流れ込んできた。
日本の、とある会社で働く、ごく普通のOLだった私の記憶。残業帰りにコンビニでスイーツを吟味するのがささやかな楽しみで、週末は作り置きレシピを検索してはキッチンに籠るのが趣味だった、しがない私の、二十数年分の人生。
そして、思い出した。この状況が、前世で私が夢中になってプレイした乙女ゲーム『星降る夜に君と』の断罪イベントそのものであることを。
ジュリアンが攻略対象の王子様で、リリアがヒロイン。そして、私、アリア・フォン・クライネルトは、ヒロインをいじめる典型的な悪役令嬢。ゲームのシナリオ通りに進めば、このまま没落し、悲惨な末路を辿るキャラクターだ。
普通なら、絶望するところだろう。けれど、私の心を満たしたのは、不思議なことに絶望ではなかった。
(え……? 婚約破棄? 追放? それってつまり……)
脳内で、歓喜の鐘が鳴り響く。
(もう、あのクソ面倒なお妃教育を受けなくていいってこと!? 毎日毎日、刺繍だのダンスだの歴史学だの、興味もないことを詰め込まれる地獄の日々から解放されるってこと!?)
目の前のジュリアン。顔はいい。声もいい。でも、中身は空っぽで、耳触りのいい言葉を囁くリリアに簡単に騙される、残念な王子様だ。この男のご機嫌を取り結ぶために、どれだけの神経をすり減らしてきたことか。
(それも、もう終わりなんだ!)
そう理解した途端、体の奥底から歓喜が湧き上がってきた。口元が緩みそうになるのを、必死で扇で隠す。
「……何か言うことはないのか、アリア」
私の沈黙を反省とでも受け取ったのか、ジュリアンが少しだけ声のトーンを落として問うてくる。
私はゆっくりと扇を閉じると、これ以上ないほど優雅にカーテシーを決めてみせた。
「王太子殿下のご決断、謹んでお受けいたします。これまで、至らぬ私を婚約者としてお側に置いてくださり、誠にありがとうございました」
私のあまりにもあっさりとした反応に、ジュリアンも、彼の腕の中のリリアも、ぽかんと口を開けている。彼らは私が泣きわめき、見苦しく命乞いでもすると期待していたのだろう。残念でした。
「殿下とリリア様の末永いお幸せを、遥か辺境の地よりお祈り申し上げておりますわ」
にっこりと、悪役令嬢にふさわしい完璧な笑みを浮かべてみせる。その笑みに何を感じたのか、ジュリアンの顔が微かに引きつった。
私は彼らに背を向け、毅然とした足取りでパーティー会場を後にする。背中に突き刺さる視線が心地いいくらいだ。
ざまぁみろ、じゃない。ありがとう、だ。
私に破滅を用意してくれたゲームのシナリオに、私を自由にしてくれた愚かな王子様に、心からの感謝を。
さあ、行こう。しがらみだらけの公爵令嬢アリアの人生は、今日ここで終わり。明日からは、ただのアリアとして、自由なセカンドライフを掴み取るのだ。極寒の辺境? 上等じゃないか。どんな場所だって、美味しいものさえあれば、きっと天国になるはずだから。
私の胸は、絶望ではなく、未知なる辺境での食生活への期待で、大きく膨らんでいた。




