【閑話】妹の友達①
「女の子に、もういいでしょなんて、口が裂けても言っちゃ、駄目だよ」
怒ってると言うより、悲しそうな目で真っ直ぐ俺を見ながら彼女にそう言われた時、俺は自分が早とちりしたことを悟った。
「トモトモ、知ってる?」
と同じクラスの木嶋凛那に話しかけられたのは、その前の週だった。
渡部朋希、だけどトモトモとは別に呼ばれてないけどな。
「なになに?りんりん」
ふざけて同じように返す。
「水澤のこと。なんか、最近付き合い悪いじゃん?」
「ああ…。バイト多めに入れてるからじゃん?」
同じクラスの水澤蒼は、元々付き合いのいいタイプではない。
モテまくってるから、誘いも多いんだけど、ちょっと女嫌いで、知らない女が参加するような誘いにはまず、乗らない。
「違うよ、それがさ、バイトのせいじゃないんだって」
「んん?」
話の方向性が見えなくて、話しかけて来たクラスメートの凛那の顔を見返す。
「一女の三年に付き纏われてて、塾の送迎をさせられてるらしいよ」
「はー?蒼があ?」
まさか。あの蒼が。
「あ、それ知ってる。変な男に付き纏われてるって言われて、ボディガード代わりにされてるらしいよ」
と、横に座ってる別の女子が口を挟む。
「なんだ、それ。まーたそういうのに捕まってんのか」
蒼は中二の時、ストーカーされてると女の子に泣きつかれて、付き合ってるふりをしてあげたことがある。
結果的にそれは彼女の狂言で、その狂言を暴いたのも蒼に片想いしてる女子だった。
蒼を好きな女子同士で取っ組み合いになって、蒼はそれで心底、女という生き物に失望したようだった。
「あ、違う違う、それ、アレだよ、ほら、朋もいたじゃん」
と、後ろから別のクラスメートの来夢が口を出す。
「いつだっけ、ほら、池袋でさ、金髪のキチガイみたいな男に追い掛けられてた女の子助けたことあるじゃん。ショートカットでなんか小さい…」
「ああ〜」
思い出した。
オッパイ大きい子だ。顔は忘れたから、俺の好みじゃ無かったんだろう。
「あの子を送ってあげてるらしいよ、まあ大方姉ちゃんに頼まれたとかなんじゃない?」
「え、あれからずっと?あれ、夏休み中じゃなかった?」
俺は顔を顰める。
狂言じゃないにしても、拘束し過ぎじゃね?
「ま、あの子可愛かったし、蒼も満更じゃないんじゃない?」
などと来夢がいい、その場の女子を敵に回す。
「可愛かった?そうだっけ?」
オッパイしか覚えてない。
「中村とか斉田とか、蒼の代わりに送って行きたがってたじゃん。あの後も蒼に紹介してって頼んでたみたい…、あ、ハイハイ、日直おれおれ」
と来夢が呼ばれて席を立ってしまった。
「…夏休みから?」
凛那が低い声を出す。
「有り得なくない?8月から送り迎えさせてんの?」
「付き合ってないんだよね。それ、完璧いいように使われてない?」
女子が口々に言う。
「確かになあ」
俺も腕組みする。
蒼は、イケメンのくせに優しいのだ。金持ちとかの意味ではなく、親の質の意味で、育ちが良い。
「利用されてんのかな」
呟くと、
「絶対そう」
と女子が追従する。
「友達が、水澤の家の前通りかかった時にさ、家から一女が出てくるの見たって」
「ここは私の彼氏の家だからウロチョロするなって言ったらしいよ」
「水澤が慌てて出てきてさ、送るから帰ってくれって一女を連れてったらしい」
まー、出てくる出てくる。悪評が。
「ねー、どうにかしてあげたら?トモトモ」
と凛那が言って、俺は深く考えずに
「よっしゃ、任せろ、ガツンと言っちゃる」
と請け負ったのだった。
蒼のバイト先に中学の後輩を何人か行かせて、足止めさせる。
『今日、お迎え代わってやるよw』
とだけLINEして、噂のイチジョを塾の前で待ってると、それらしい女子が出て来た。
俺も見て、すぐ思い出す。
あー、あれだ。あのオッパイ。
…あー、ありゃダメだ。
俺はすぐにそう判断する。
スタイルはエロいし、顔は童顔で、めちゃくちゃ男好きするタイプ。胸に頭の栄養全部行ってて、頭ん中カスカスだろうな。
話しかけると、キョトンとした丸い瞳が、庇護欲を掻き立てる。
こりゃないわ。蒼のタイプじゃないっすわ。
腹ん中真っ黒。思いっきり女を武器にしてそう。
撃退撃退。撃退一択だわ。俺に任せて、リンリン。
「蒼にはいつも家まで送らせてるんだって?今日は俺で、ごめんね」
なんて軽いジャブをかますと、
「え、いえ…」
と青くなってる。
そうそう。バレてるよ、あんたの悪行。
「迎えに来させて、家まで送らせて。付き合ってもいないのに、何様って感じだね」
「蒼はさ、ああ見えて、すっごい優しいからさ。目の前であんな風に女の子が困ってたら放っておけないんだよね。それで何回も、つけ込まれてるわけ、こういう風に!」
ガンガン釘を刺して行く。
俺は正義だと信じていた。
言うたびイチジョが落ち込んでいくのがわかって、気持ち良かった、本当に。
「てかさ、夏に一回会っただけの変質者、もう会わないでしょ、普通に考えて、こんな人がいるのにさ。演技じゃなければ怖がりすぎだし、もういいでしょ。毎日のように迎えに来させて、図々しいって自分で思わないかなあ〜」
池袋駅まで来たあたりで笑顔で言うと、イチジョが初めてハッキリ喋った。
「渡部さんの、言ってることは、よくわかる。図々しかった。もう、やめる」
「お、聞き分けいいね、先輩」
意外。泣くかと思った。
「ただ…怖がりすぎなんて、他人に言われることじゃない」
声はちょっと罪悪感を刺激されるくらい震えてたけど、真っ直ぐ俺を見据えた瞳は、意外に強く、俺はつい、言葉を失った。
「男の人に追い掛けられて、怖い思いした女子の気持ちって、わからないでしょ?女の子に、もういいでしょなんて、口が裂けても言っちゃ、駄目だよ」
一度も俺から目を逸らさず、そう言うと、こんな俺にお礼をきちんと言って、改札に消えて行く。
…あ、これ、しまったかも。
全然、思ってたのと違ってたかも。
じわっと後悔が胸に滲む。
胸に頭の栄養全部行ってて、頭ん中カスカス、だなんて。
俺…ちょっと、最低、かも。
改札前で暫く立ち竦む。
ブーブー震えるスマホに気付いて、蒼からの着信を確認して、電話に出た。
『殺すぞ』
開口一番、これ。
『今どこ?透子さんは?一緒?』
声が、もう、聞いたことないくらい怒ってる。
「あ、い、今別れた…俺は西武池袋線の改札前で」
『そこにいろ』
と切られる。
あー、これ…
まじで俺、しくじったんじゃない?
走ってきた様子の蒼が、すぐに俺の胸元を締め上げる。
「なんのつもりだ」
「…ご、ご、ごめん、あお」
「なに?お前も透子さん狙ってんの?」
目で俺を殺す勢いで睨んでくる。
「そ、そんなんじゃない…おれ、お前を、助けてやろうと思って」
「は?」
マジで怖い。
マジで怖い。
胸元掴みながら柱の死角に連れてかれて壁にドンされてる。俺、壁ドンされてる。ドンって音したもん。俺の背中が打ち付けられた音だけど。
「う、噂で…蒼が、あの子に、いいように使われてるって…聞いて、やめてもらおうかなあ、なんて」
「は?俺が、お前に、何か頼んだ?」
「い、いやあ」
「頼んだかって聞いてんの」
怖い。
「ないです…」
「ふざけんなよ」
また壁ドン。壁に背中ドンされるやつ。
「人の片想い邪魔しやがって…」
か、か、かたおもい。
片想い?!片想いって言った!蒼が。
目を丸くしてると、
「透子さんに何言った?」
「あ、あの…色々」
「全部言え」
全部吐かされた。
言う程に蒼の視線が冷たくなって、俺も…
さっきあんなに得意になって言った言葉一つ一つが、恥ずかしくてしょうがなかった。
女の子傷付けて、何を悦に入ってたんだろう、俺…
「後は?」
蒼の口調がこれ以上ないって程低く、冷たいものに変わったのに、俺の方はまだ言わなきゃいけないことが残ってた。
「後は…もう、いいでしょ、って言った。怖がりすぎ、もういいんじゃないかって…」
蒼が俺の首を締め上げてた手をパッと手を離して、はああ、と溜め息を吐いた。
「お前…妹いんのに、そんなこと言うのかよ…」
カッと、顔が熱くなった。
友達に失望されたショックより、自分が。
自分が一番、自分に失望した。
蒼が何も言わずに去って、暫くしてから、俺もノロノロ帰途についた。
「おかえり、朋希、遅かったね。ご飯食べちゃって」
家に帰ると、もう皆夕飯を食べた後だった。
「うん…制服着替えてくる」
そう言って2階に上がる。
「お、おかえり、おにい」
俺の部屋で寝っ転がって漫画を読む妹は、絵留といって、年子で一個下で受験生だ。
「おーいー、勉強しなくていいのか」
「息抜き息抜き」
なんて言う。
「…はあ」
制服のネクタイを取って、椅子に座って、溜息をついた。
「どうしたん?落ち込んでる?」
絵留が目敏く声を投げる。
「まあ、ちょっとな…やらかした」
「またあ?」
と妹は酷いことを言う。
「おにいはうっかり八兵衛だからなあ」
「俺は…俺は、やらかし八兵衛です…」
「なんじゃそれ」
妹は爆笑したが、俺は落ち込んでいる。
「なあ、もしさあ、お前が道で痴漢に追い掛けられたらさ、どれくらいで平気になる?」
などと聞いてみる。
「おにい、マジ?永久に平気にならないよ!」
「マジ?永久?」
「当たり前じゃん!おにいはそこで通り魔に刺されても3ヶ月くらいでへっちゃらになるわけ?」
「…まじかあ〜」
俺が頭を抱える。
「そういうの、痴漢にあった女の子に言わないでよ、全くもう。ノンデリ八兵衛め」
と絵留が漫画を抱えて出て行く。
ノンデリってなに?ノン・デリケート?
残された俺は、
「遅いとです…」
と、一人、項垂れた。
翌日、俺は早めに登校して、落ち着かなげに蒼を待っていた。
すると、うるさい一団がドヤドヤと教室に雪崩れ込んでくる。
「やばい、やばいよ!」
と興奮してるのは来夢だ。
「どうした?」
「どしたん?」
皆の目線が来夢達2、3人の男子に集中する。
「蒼だよ!あいつ、彼女できた!かも!」
「え!」
「嘘でしょ?!」
悲鳴が上がる。
「いやいや、わかんねーんだけど!俺ら、さっき電車で蒼と一緒の車両だったんだけど!」
「蒼が、女の子囲い込んで、めちゃくちゃ口説いてた!」
教室が騒然となる。
「口説いてたなんてもんじゃないよ、あれ。耳で孕まそうとしてたぞ!」
と来夢が卑猥なことを言い出す。
おいおい、女子もいるんだぞ。
「いや、もう、挿入してたかもしれないっ」
興奮のあまり、もっと酷いことを言う。
ぎゃー、あほ!と女子から罵声が飛ぶが、来夢らの興奮が醒めない。
「だってさ、部屋に行きたいとか…ナカに挿入れたいとか!」
「言ってた言ってた!」
「すんごい色気でさ!」
「あれは少なくとも先っぽくらいは挿入れてたな!」
やめろっつーの。
興奮する男子どもと、怒る女子どもとで、収拾がつかなくなったところで当の本人の蒼が教室に現れて、一瞬で部屋が静まり返る。
蒼は呆れたように全員を見渡した。
こりゃ、聞こえてたな。
教室の一番後ろの自分の席に鞄を置くと、一言、
「言っとくけど、俺はまだ綺麗な体だ」
と言った。
…言うの、そこ?
まさかの童貞宣言でクラスの全員の人心を一瞬で掌握した蒼は、相手の女子についての質問には一切答えず、いつもと変わらず飄々と過ごしていた。