友達の弟⑤
一人で帰した方がいい、と蒼の父がこっそり言うので、紫と勉強してから帰ると言って、透子の父だけ先にお暇する。
「透子さんがいると、色々喋って言い訳して、自分の心の中でそれを補強していきそうだ」
正に透子の父はそのタイプだ。
なんで分かるの?
水澤父が凄すぎる。
「なんて御礼を言ったらいいか…ありがとうございました」
こんなに胸が空く思いをしたことはない。
透子は御礼に来たのに、またしてもらった思いで、ソファに座ったまま頭を深く下げる。
「こちらこそ、ありがとうございました」
何故か水澤夫婦も頭を下げる。
「理由はどうあれ、蒼が井草さんに暴行したのは事実だ。透子さんが井草さん達に交渉して下さったんでしょう。性加害で訴えない代わりに、蒼への告訴も取り止めろと」
「そんな、そんなのは…当たり前です。だって、蒼くんは私の為に」
「でも告訴されていたら、少なくとも事実が確定するまで蒼はつらい立場に身を置くことになった」
透子の隣に座ったままの蒼は、気まずそうに身動ぎする。
「蒼は、もう少し上手い立ち回りを覚えないといけないよ。蒼が暴力に走っていなければ、話は全然違ったんだ」
「そんな」
蒼が返事をする前に透子が声を上げるが、
「透子さん、いいよ。その通りだ」
そう認めた後、
「でも、後悔はしてない。透子さんに暴力を振るったんだ、あいつ…殴り足りないくらいだ」
とキッパリ言った。
「うん。スッキリしたよ」
とつい言ってしまう。
と、黙っていた艶子が破顔して、
「ま、私もそこは完全同意だけどね!ざまあ」
「艶子さん…」
「まあまあ、パパはちょっと理屈っぽ過ぎるよ。でも、感謝してる、透子ちゃん。…その代わりに井草が野放しになってるんだから、本当に、我々は透子ちゃんにお詫びしないといけない」
「ひー」
また頭を下げられて、透子は悲鳴を上げた。
「本当にいいんです!井草さんを訴えようとしてもどうせ父に邪魔されただろうし、井草さんが滅茶苦茶怖がってる井草さんのお父さんに言いつけたから、井草さんももううちには来ないと思います」
「でもなあ…、蒼」
水澤父が思いついたように息子を呼んで、
「暫く、透子さんの帰りはちゃんと家まで送ってあげなさい」
「勿論」
今までも送ってくれてることをおくびにも出さず、蒼が頷く。
「い、いやいや!」
しかし透子は、もう蒼に頼るのは止めようと決意していた。
「大丈夫です。今までも蒼くんには頼りっぱなしだったので、もう一人で…」
一人で生きていきます…。
「まあ、その話は二人でしよう」
と言うと、蒼は透子の手を取って、2階の自室に連れて行ってしまった。
「…なんだ。まだ付き合ってないのか」
水澤父がポツリと呟いた。
「蒼は必死だけどねえ」
と艶子。
「必死過ぎでしょ。恥ずかしくて見てられんわい」
紫が吐き捨てて、誰も手を付けなかった茶菓子に飛びかかった。
「蒼くん、私、本当に、もう平気だからね」
「ハイハイ。透子さん、勉強教えて」
自室に行くとすぐ、ローテーブルにノートを広げられる。
最近蒼の部屋には脚が畳めるローテーブルが置かれるようになり、そこで二人で勉強できるようになった。
「教えるのはいいけど、送るのはもう、いいからね」
言い募る透子を無視して、蒼が
「ここ。この問題が全然わかんねー」
「どれ?」
蒼にチョロいと思われてることも知らず、透子は忽ち問題に没頭した。
どうせ勉強道具持ってきてるでしょ、と言われて全くその通りだったので、そのままいつも通り蒼の部屋で勉強させてもらった。
「…うこ、透子さん、おーい」
集中して机に向かっていた透子は、蒼に肩を叩かれて、ハッと我に返る。
「透子さん、休憩しよ。もう二時間くらい勉強してたよ。…すごい集中力だな」
「ふわー、なんか、ゾーンに入ってた」
透子が伸びをした。
「下でおやつ貰ってお茶でもしよう」
「頭が上がらない、水澤家に」
と言ってから、思い出して目を輝かせる。
「それにしても、さっきの蒼くんのお父さん!かっこよかったね!」
「…え、そう?」
「うん!素敵だった」
「…」
蒼は難しい顔をして、「言っとくけど、俺もああなるからね」
「ああ?」
透子は笑う。
「俺、父さん似だし」
「そうかな…」
顔は艶子さんそっくりだけど…。
「なるから」
言い張るのが面白い。
「わかったわかった。…ん?」
部屋を出ようとドアノブに手を掛けたところで、ドア枠部分に何か書いてあるのを見つける。
「10歳、11歳…あ、身長、毎年測ってるの?」
「え?ああ」
蒼が透子の頭の上から、木枠に描かれた数字を見る。
「そう、親がね。…透子さん、俺の小6の時と同じくらい?」
「そんな馬鹿なっ」
透子は焦って、
「ちょ、蒼くん、測って!測って」
と背中を木枠に着けてねだる。
「おっしゃ、待って。ちゃんと測ろう」
と定規とサインペンを取りに行く。
気を付けする透子の頭に定規を乗せて、サインペンで線を描く。
「動かないでね。…記録しといて、一年後にまた測ろう」
「え、いちねん…」
透子は思わず目線を上げる。
一年後は、一緒には…
言おうとして、思ったより近い蒼の身体に今更気付き、言葉を切ってしまう。
あ、マズい…
透子は顔が赤くなるのを感じて、焦った。
思いっきり、意識してる顔しちゃっ…
ところが、見上げて目の合った蒼は、透子と同じように、「マズい」という顔をしていた。
…え?
…定規とペンが蒼の手から落ちる。
蒼の眼に一瞬で熱が籠り、透子の頬を両手で掬うと、その唇に自分の唇を押し当てた。
「…!」
熱い、柔らかい唇の感触。
ちょっと離して、すぐにもう一度、二度…。
普段の蒼からは思いもつかないような強引さで、透子をドアに押し付け、唇を重ね続ける。
…熱い…
何故、とか、もしかして、とか、そんな言葉が一瞬透子の頭の中で渦巻いたが、蒼の腕が腰に回り、掻き抱かれて、何度も角度を変えて唇が押し当てられ、すぐにわけがわからなくなる。
…からだが、溶けそう。
透子も蒼の背中に手を回して必死に縋りついた。
「…っん」
何度目か、唇を重ねられて、本当に透子は溶けかけたのかもしれない。
脚が震えて、崩れ落ちそうになる透子の膝裏を蒼が掬い上げて、抱え上げた。透子は蕩けすぎて、不意の浮遊感にも反応できない。
蒼はそのままベッドに運ぶと、自分の膝の上に横抱きに透子を乗せて、胡座をかいて全身で抱え込む。
「好きだ」
一言、そう言うと、それで全部の説明が済んだかのように再び透子の唇に覆い被さった。
「ん、ぅ…」
唇が割られて、もっと熱いものが透子の口内に入ってくる。
蒼の舌だ、とわかった瞬間、透子の中心からトロリと何かが溢れた。
「ん…ンぅ…」
蒼の舌が、ゆっくり透子の口内を嬲っていく。
透子は無意識で蒼の着ている服をぎゅうっと掴んだ。
蒼の気持ちに答えたくて、透子もそうっと舌を動かそうとしたが、上手くできたのかわからない。
ただ、蒼は興奮したように透子の舌を夢中で絡めた。
蒼の左腕は立てた左脚と共に透子の背中を抱え、右手で透子が逃げられないように頬に手を添えていたが、そろりと動いて、透子のシャツワンピのボタンを外し出す。
透子が気付いたのは、第三ボタンまで外されて、襟ぐりを引っ掛けた蒼の手に、左のブラ紐もろともずらされながらつるりと左肩を露出させられた時だった。
「…っあ…蒼く、だめ」
やっと唇を解放された透子が焦って、それ以上ズリ落ろされぬよう両腕で胸を庇う。
「透子さん…」
自分の身体の芯の熱に浮かされた様子の蒼が、
「俺、全部我慢する。透子さんの受験が終わるまで、デートも…これより先のことも、我慢する」
そう言って、また不意に唇を塞ぐ。舌を入れずに唇を軽く食みながら、剥き出しになった透子の肩を撫でた。
「ん、…ン」
「…だから、しるし付けさせて。ここに」
ここ、と言いながら、今度は頭を下ろして透子の鎖骨の下に口付ける。
「んっ…し、しるしって…?」
透子は蒼の唇が触れるたびにふるると震えて、とろりと下着を濡らす。
「透子さんが、俺の彼女になったっていう、しるし」
言いながら、ちうっと剥き出しになった肩に吸い付く。
「あぅ…」
変な声が出る。
透子の返事を待たずに、蒼は胸の膨らみのすぐ上辺りに吸い付いた。
ちくっとして、透子の下半身がきゅうっとなる。
「んん!…な、なに?今…」
「待ってね。もう一回…もう少し濃く」
と言って、また同じ場所に口付ける。
「ん…!」
口付けされた所が痺れるようにピリッとなって、連動して透子の下着の中でまたとろっと何か溢れる。
「あ、蒼くん…もう、おしまい…。ね、お願い」
「んー」
生返事をして、吸い付いた所を凝視する。
「よし」
何がヨシなのか不明だが、満足のいく出来らしい。
また場所を変えて吸い付こうとした時、
「蒼ー、おやつ食べよー!透子連れておいで!」
と階下から紫の声がして、透子は我に返って一気に焦る。
…そうじゃん、下に皆いるのに、こんな…
しかし、蒼は1ミリも動じずに、
「キリがいいとこまでやったら行くわー!」
と叫び返した。
キリがいいって、なんだい。
焦る透子に構わず、また少し下の方をちうっと吸う。
何をされてるかも判然としない透子は堪らず、
「んっ、ん!…蒼くぅん、それ、なんか、へん」
と涙目で制止する。
蒼は透子を見て顔を赤くして、「…やばいな、俺、保つかな…」と呟くと、
「どう…変なの?透子さん」
ちゅ、とキスして、優しく聞く。
「なんか、足ツボマッサージ的な…」
「…」
蒼が顔を顰めて、「ちょっとよくわからない」と正直に言う。
胸をちうってされてるのに、お股がきゅうってなって、とろんって出てくるの。
…絶対言えない。
「ね、ねえ、なに、何してるの?」
「キスマーク付けてる」
「きすま…」
透子が吸われた肩を見る。
赤い鬱血痕が散っていた。
「はあ…ほ、ほんとだ…キスマークだ…」
「…」
蒼が険しい顔になって、透子の服を下に引っ張る。
「あ!…だめ、蒼くん、もう、だめ!」
透子が咄嗟に抑えたが、胸の膨らみの上部分が顔を出す。
「もっと」
胸のすぐ近くを吸う。
「ん、だめ」
「誰も触れてない所にしるし付けたい」
とよくわからないことを言って、今度は首筋に唇を這わせる。
「はあ、見えないとこにと思ったけど…首に付けちゃおうかなあ」
「だめ…っぁんッ」
首にキスをされて、透子は喘ぐ。
「ここに付けたら…透子さんが俺のモノだって皆にわかる」
「はわわ…」
なんて事言うんだ。
「はあ、はあ、あの、蒼くん、蒼くんの好きな人ってさあ…」
「透子さんだよ」
そ、そうなんですね…
優しくて可愛い完璧な彼女は一体…?
「優しくて、可愛くて」
透子の心を読んでるみたいに蒼が、
「カッコよくて、可愛くて、小さくて、すっごく頑張り屋で、めちゃくちゃ可愛くて、めちゃくちゃ真面目で、そこがまた可愛くて、料理上手だし、動きもなんか、いや何しててもなんか、可愛い。めちゃくちゃ可愛い。めちゃくちゃにしたい」
「ひい〜」
項目増えてるし。可愛いがゲシュタルト崩壊しそう。
「可愛いなんて、男子に言われたことないよ…!」
「…」
一瞬蒼が動きを止めて、
「とう、子さん…男と付き合うの…もしかして俺が初めて?」
上擦った声で聞く。
「うう…あ、当たり前じゃないですか…」
こんな私ですよ。と透子は真っ赤な顔で睨む。そろそろ離して欲しいという気持ちを込めている。
「マジかよ」
蒼が呟いて、一瞬、ぐっ、と透子を抱く手に力を籠めた。
「んっ、なに?」
「…い、いや。あ、…ぶね、ごめん、なんでもないなんでもない…」
はああ、と息を吐く。
「え、でも、じゃあ…キスマーク知ってたのはなんで?」
「…そ、それは」
透子は顔を赤らめて、
「好奇心で…あの…自分で、自分の腕に…付けてみたことが…」
恥ずかしい。
ちょっとエッチなシーンのある少女漫画を読んだ後に、お風呂で腕の内側を吸って…
蒼が呆然と透子を見る。
引かれちゃったかな…と透子が眉を下げると、
「俺もやったことある」
とまさかの蒼のカミングアウト。
「え!本当?…け、結構皆やるのかな?!」
「皆は知らないけど…。透子さんに付けたいと思って。練習してた」
「ふわあ」
想像の斜め上を行ってた。
やっと抱っこから解放されたかと思うと、ベッドの上で向かい合うように座らされて、蒼が肩下にずり下がった洋服を元に戻そうとする。
「あ、じ、自分で…」
「駄目」
何故…
「透子さんのことは、全部俺がやる」
ダメ人間製造機のようなことを蒼が言い、ボタンを下からはめだす。
…ブラが少し見えちゃってるし、蒼の手が透子の胸に触れそうで恥ずかしい。
透子は目を伏せて、言おう、と思い口を開くが、いや、顔を見て言わなきゃ失礼かも、と思い直して相当な勇気を消費して蒼を見上げる。
「…ん?」
人の服のボタンははめにくいのか、時間を掛けて第三ボタンを嵌めた蒼が、透子の視線に気付いて目を合わす。
「すき…」
思ったよりも全然、小さな声になってしまった。
表情を変えず固まる蒼に、聞こえなかったかも、ともう一度勇気を振り絞ろうと口を開けた。
その途端、蒼にすごい勢いでベッドに押し倒されて、のし掛かられ、荒々しく唇を奪われる。
「ん?!…ん…!んぅっ…」
喘ぐ透子の身体を、蒼の手が這う。
「…んっは、あ、蒼く…!?」
「はあ、透子さん、可愛い。好き、狂いそう。好き」
熱っぽく呟きながら、今閉じたばかりの第三ボタンを開けて、手の平を胸に――
「蒼ー!コーヒー冷っめちゃっうよー!」
ゴロンゴロンどたん、という擬音語がつきそうな勢いで蒼が我に帰って透子の上から横に飛びのき、回転してベッドから落ちた。
「あ…蒼くん?!」
透子が慌てて起き上がりベッドから覗き込むと、蒼がフローリングの床の上で仰向けになって顔を覆っていた。
「蒼くん、大丈夫?どっか打った?」
「…危なかった。今のは本当に危なかった」
「本当にね…!打ちどころが悪いと大変だよ」
「…」
蒼が溜息を付いて、体を起こそうとして…
「…っ、透子さん、見えてるっ」
とまた顔を覆う。
「え、何が?」
「…いや、俺が悪いんだけど。…下着、見えてる」
「…!」
透子は慌てて前を隠した。
「…透子さんって…」
帰り道、蒼が呟いた。
「可愛過ぎてもう暴力だわ。可愛いの凶器だわ」
「…変なあだ名付けないでね」
透子は切実に頼んだ。