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友達の弟④

朝、紫の小さくなった制服を貸して貰う。

「教科書も貸してあげる」

それじゃ紫の勉強が…。


「行ってきまーす」

「行ってきます」

在宅で仕事をするという艶子に声を掛けて、紫と家を出る。と、

「俺も出る」

と蒼が追い掛けてきた。

「いつも姉弟(きょうだい)二人で登校するの?」

仲良いな、と透子が聞くと、

「んなわけない」

と二人揃って言う。

「蒼はいつももっと遅いじゃん」

「姉ちゃんだって透子さんいなきゃ遅刻スレスレだろう」

仲良いなあ。

透子がニコニコ見てると、蒼が欠伸した。

「眠い?ごめん。昨日、夜遅くまでお騒がせして…」

「透子さんのせいじゃない」

と眠そうに蒼が言う。

「蒼は、朝弱いのいつもだから」

「そういえばずっとボーッとしてたね、朝食の時」

朝弱いんだ。可愛い!

ここに来て、可愛いまで加わるの?完璧なんですけど。


「透子さん、今日、家帰るの?」

蒼が電車を待ちながら聞く。

「うん。あ、制服はクリーニングして返すし、えーとあとお金も、今度、持ってく」

「制服はあげるよ、もう小さいし」

と紫。

「でもまだ着られるからスペアで取っておいたんでしょ」

と透子は言い返す。

電車が来ると、蒼は混んでる車内を透子を引っ張っていって反対側の窓際にもたれさせ、その回りを囲うように腕をついて、あっという間にスペースを作ってしまった。

「ゆかりんが」

はぐれた、というよりは蒼がわざと置いていったようにも思える紫の姿を透子は探したが、

「姉ちゃん、電車ではソシャゲ回すから。邪魔するとキレるよ」

「ええ…」

その姿、想像つく。

蒼と距離が近くて、透子は落ち着かない。

「透子さん、俺、透子さんち行きたい」

と、蒼が耳元で囁く。

「ふわあ」

こそばゆくて、変な声が出た。

透子は耳を押さえて、

「い、いつも来てくれてる…」

「中に入りたい。透子さんの部屋、見たい」

何故か蒼は、その透子の手首を捉えて耳から剥がし、また耳に声を吹き込む。

「ん、そん、面白いもんじゃ…ないっ」

耳に息が掛かっ…。てか、近…すぎ…ない?

「今日、行っていい?」

「ふあ?」

「校門に迎えに行く。姉ちゃんにLINEするから」

透子はピンと来た。

「あ、あ、蒼くん…!それ、『優しい』でしょ」

「ん?なに?」

透子は左手首を蒼に掴まれたまま、赤い顔で蒼を睨んだ。

「昨日の今日だからって、心配してくれてるんでしょ…」

「…」

蒼はちょっと目を見開いて透子を見下ろす。無言で。

「…」

「蒼くん?」

固まった蒼を怪訝に思ってると、蒼が、透子の手首をパッと離して、「…あー、もう、うるさい」と呟いてさっきからブーブー振動していたスマホを出す。

「…ちっ」

画面を見て舌打ちする。

「どした?」

「姉ちゃんからLINEで…、いや、なんでもない」

ゆかりん?

透子は背伸びして紫を探すが、蒼の身体に阻まれて全然見つからなかった。

チビって悲しい。

「透子さん、次の駅だよ」

「あ、ほんとだ。…蒼くん、本当にありがとう。今日、迎えに来てくれなくて平気だからね。お金と制服と靴は後日持ってくし、あと、あと、ええと…」

「ハイハイ」

蒼は笑って、透子の髪の毛を撫でると、

「昨日言ったこともう忘れた?透子さん」

「昨日?」

なんだっけ、と丸い目をくるんと回して考える。

「『優しい』で俺は動かないってこと」

そう言われて、開いたドアにそっと押し出される。

透子は慌てて振り向いて、

「蒼くん、行ってらっしゃい」

と笑顔で手を振った。

驚いたように透子を見返した後、ふっと笑って手を上げた蒼の残像を残してドアが閉まり、閉まったドアのガラスに、透子の後ろで中指を立ててる紫の姿が写っていて透子は仰天する。

「ゆかりん!そんなことやっちゃダメ!」

蒼というより、蒼以外の人に誤解させるのが怖くて、透子は紫に飛びついて腕を下げさせた。


いつの間に姉弟(きょうだい)喧嘩したの?

まったくもう。


「満員電車むぎゅむぎゅイベントのチャンスだったのに」

「なに?そのイベント。ゲームでも満員電車とかあるの?」

「うぉーいうぉいうぉい。透子が妹になるのは嬉しいけど、柔らかな無垢な心とオッパイをあの野郎に明け渡すと思うと心がキリキリする」

「何を言ってるの?帰っておいで、ゆかりん。お弁当食べよう」

昼ごはんは艶子さんがお弁当作ってくれた。頭が上がらない。

「あ、あの野郎」

と紫がスマホを見て言う。

「けっ」

吐き捨てる。

「ゆかりん、見た目は美少女なんだから、けっとか言わないの」

中身は小5男児だけど…。

「どうした?」

「…透子を迎えに来るって。蒼が。15時半くらいに校門前に来られるってよ」

「え!蒼くん?」

透子はピンッ、と背を伸ばす。

「え!いいって言ったのに。こ、来なくていいって言って!?」

「了解!あんたなんて嫌いだから来るなこの痴漢、と…」

「違う!ちっがーう!嫌いじゃない!送っちゃだめ!」

なんだ、痴漢って。

「じゃあ、なに?」

「えっ」

透子は口をぽかんと開けた。

「じゃあ、好き?」

紫は揶揄うような、それでいて茶化すのを許さぬような瞳で透子を見つめている。

透子はその視線から逃れるように目を伏せて、

「…蒼くん、好きな人、いるよ」

ポツンと溢した。

「優しくて、可愛くて、頑張り屋さんで、料理上手な子だって」

「げえ、あいつ、何言ってんだ」

紫が本気で嫌な顔をした。

「だから、もう、送ってもらったり、そういうのやめるんだ」

やめないと、大好きな人に迷惑が掛かる。

大好きな人の大好きな子に誤解されてしまう。

「…ん〜、突っ込むべきか、放っとくべきか、悩ましいね」

紫はスマホをいじって蒼に何か送ると、

「ま、透子の意向は伝えとく」

とニコリと笑った。



「透子、裏門で男の人が透子を待ってるよ」

そう告げられたのは、放課後、まさに帰ろうとしていた時だった。

「え、男の人?」

まさか、蒼くん?

「ゆかりん、あの、ちゃんと伝えてくれたんだよね?」

と放課後補習だという紫に聞くと、

「一言一句違わず」

と誓う。



「大丈夫かなあ。なんか、大人の男の人だったけど…」

と呼びにきた女生徒が心配そうに言ったのは、透子が教室を出た後だった。



裏門に行ったが、誰も見当たらない。

透子がキョロキョロして、首を傾げた直後、透子の後ろから白い車が近付いてきた。

「透子」

透子はビクリとして振り返る。青褪めた。

井草が、門の脇に車を停めて、降りて大股で近付いてくる。

「い…」

「昨日、どこ行った?ダメだろう、あんな遅くに。皆を心配させて」

井草は自分がしたことを忘れたかのように、笑顔で近付いてくる。

それが恐ろしくて、透子は無意識で後退りしたが、それを見咎めた井草に手を掴まれる。

「いやっ…」

「ほら、家まで送ってやる。車乗れ」

「嫌!の、乗りません…!」

震える声を精一杯張って抵抗するが、

「何言ってんだ。ほら、駄々こねんな」

と呆れたように言われて、腰に手を回されて引き摺って行かれる。

「やだ!」

触られてる所が、気持ち悪い。

裏門の辺りには部室棟があるのだが、丁度部活が始まったばかりの時間で、タイミング悪く誰も通りかからない。

「の、乗らない!離して!やだ!…気持ち悪い!」

耐えきれずに本心を吐露すると、

「なんだと…!この、そんなこと言えねえように調教してやる…!」

激昂した井草が透子の頭を掴んで車に押し込もうとする。

ぶちぶち、と鋭い痛みと共に、髪の毛が掴まれて何本か抜かれた音がした。

痛い!!…怖い!!


「やめろ!」


幻聴のように、蒼の声が聞こえて、透子の身体が井草の圧から解放される。

転ぶように車の脇に膝を付いた透子の後ろで鈍い音がして、井草が吹っ飛んで道路に転げる姿と、蒼の背中が見えた。


…来てくれた。


蒼はそのまま井草の襟ぐりを掴んで引き起こして頭突きすると、倒れた井草の股間を思いっきり踏んだ。

「汚い手で透子さんに触りやがって…」

本気で激怒している。

「あ、あ、蒼…くん」

透子が掠れる声で呼ぶ。

蒼がハッとして「透子さん」と駆け寄って、座り込む透子の側にしゃがんだ。

「透子さん、大丈夫?痛いところない?」

「だ、だいじょ…うぶ。蒼くん、蒼くん…」

実際は掴まれた頭も、擦りむいた膝小僧もズキズキ痛んでいたが、そんなことよりも男に引き摺られた恐怖心の方が後を引いていた。

「蒼くん、蒼くん…」

真っ青な顔でただただ蒼の名前を呼ぶ。

「大丈夫、もう大丈夫」

蒼は透子を怖がらせないように、そうっと肩を抱く。

「透子!…先生!早く!こっち!」

紫が先生を引き連れて来て、透子は保護されて、とりあえず井草と蒼は揃って事情聴取の為に校内に留置された。



その後は、ちょっと、大変だった。

井草が透子と付き合ってると主張し出すわ、透子の父親も「そのはず」だなんて言い出すわ。

蒼の暴力に被害届を出すだなんて言い出した井草に透子がブチギレて、逆に性被害で訴えると啖呵を切った。

透子が押さえつけられた頭は、髪の毛を抜かれたせいでちょっと血が出ていて、透子がそれと擦り抜いた膝を見せながら井草の親に、婦女暴行犯で訴えると言うと、普段温厚な透子の剣幕に井草の両親がびびって二度と倉橋家に出入りさせないと誓った。


徹頭徹尾、透子の敵は実の父だった。

「こんなことぐらいで」「佑太には世話になってるんだし」

を繰り返す父親に、透子は今更ながら失望した。

…一体私がどこまでされたら、「こんなことぐらい」ではなくなるんだろう。

言っても無駄だ、というどうしようもない敗北感を覆したのは、水澤父だった。


「さっきから聞いていれば…」

父を連れて、蒼の家に御礼とお詫びに訪問した時に、蒼の父が静かにキレた。


佑太も悪いやつじゃないんですよ、むしろ透子には勿体無いいい男なんだ。まあ暫く反省させて、またウチに呼んでやろうかと思ってますよ。


そんな話を父が得意げに披露した時だった。


「性被害者になった娘さんではなくその加害者の肩を持って…。それでも父親ですか?」


「せ、性被害ったって…何も…」

父親がたじろいだ。

「血が出るほどの暴力で持って車に押し込んで、娘さんにあの男は何をしようとしたと?だのにあなたは未遂だから今後もその男を家に招き入れると?」

蒼の父の声は、低いのによく通る。静かなのに聞かずにいられない、不思議な声だ。

「いや…だけど」

父親は何か洒落たことでも言おうと頭を回していた。

「あなたがしてることは虐待ですよ。娘をレイプしようとする男を招き入れるんですから」

「…っ」

強い言葉に、言葉を失う。

透子も青褪めた。

「透子さん!」

蒼が慌てて透子の横に座り、肩を抱き寄せる。

「透子!」

紫も飛び上がって、ソファに座る透子の前に膝をついて、透子の両手を握った。

「お父さん、言葉が強すぎる」

咎めるように、蒼が言う。

レイプという言葉は、その場に出ただけで十代の少女を怯えさせる言葉だ。

だが、蒼の父は続けた。

「うちの娘も、透子ちゃんも、女性である限り、男からの理不尽な暴力の脅威に晒され続けています。それ自体がとても不条理で、不公平なことだ。せめて我々良識ある男が…」

チラリと蒼を見る。

「身の回りの女性を守ってあげることで、その不公平を少しでも解消してあげたいと、私は思うのです。ましてや、我々は父親だ」

「それは勿論…私だってそう思ってます」

透子の父が不満げに言う。

「でしたら、家に男性を呼んで酒盛りするのを我慢できますね?」

「え!いや、なにも…佑太以外なら、なあ…?!」

とよりによって透子に同意を求めて、蒼と紫に睨まれて口を閉じる。

「お父さん、私、齋藤さんの息子さんに着替え覗かれた時も、大田さんに体を触ら…れた時も、ずっと、寄り合いやめて欲しいって言ってたよ」

透子が必死に言い募った。言葉の途中で、涙が込み上げて来て声が()れたが、泣くと父に馬鹿にされるので懸命に堪える。

蒼と紫が、透子の肩と手をぎゅっと強く握ってくれた。

透子の父が気まずそうに目を泳がせる。

「でも…俺の唯一の楽しみで…」

と粘る。

「じゃあ、透子さんの受験が終わるまで我慢するのはどうですか?」

「受験?」

娘が二人とも受験生であるのに、初耳かのように目を瞬かせる。

「聞いたところ、透子さんが志望校に合格したら、透子さんと妹さんだけで暮らす部屋を確保することを約束されているそうですね?」

「あ、そ…それは…確かに、言ったが」

言ったが、本気で出て行かないだろう?と言いたげな父親の視線に、透子はぐっと睨み返す。

「では、受験まで娘さん二人と一緒に頑張って、受験が終わって二人とも居なくなったら、お一人暮らしですから、思う存分飲み会でもなんでもやればよろしい」

「…そ…それはまあ…そうですね」


そう言って、水澤父の条件を飲んだ父親は、今初めてあの家に一人になることに思いが至ったらしかった。

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