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姉の友達②

7か月後。


蒼は軍服を着せられて不機嫌そうに接客をしていた。


蒼の高校の文化祭。


…コスプレ喫茶って去年もやった。

そんで去年も強制的に接客係にさせられた。


「蒼、ちょっと笑顔お願い」

「なんか機嫌悪くねえ?」

クラスメートが怯える。

「別に」


機嫌が悪いのは、最近会えてない透子に今朝送ったLINEの既読が付かないから。


透子が大学生になって、住む場所が遠くなって、大学も別の路線となると、必然的に会える機会が減った。

勿論蒼はせっせと会いに行って、大学内でも思いっきりイチャついて虫除けに励んだが、限界がある。


こないだは、透子が入ったサークルのことで軽く喧嘩になってしまった。

だってあそこにいる男、絶対透子に惚れてる。

信じてないわけじゃない。

でも、あの男…大人っぽくて、なんか、余裕があった。


…なんで俺、歳下なんだろ。


既読の付かない画面を見て、蒼は今までに100回繰り返した答えの無い問いをする。


押して押して恋人になって、付き合ってから益々好きになって、体を許してもらったらもう他の事が目に入らぬ程だ。


透子が好きだ。

愛してる。

1日会えないだけで夢に見るほどに。


それが…もう一週間会えてない。


「水澤あ、案内してよ〜!」

客として並んでる女子から催促されて、蒼は渋々スマホから目を離した。

「貴様ら、何人だ?」

台本通り声を掛ける。

「二人ですう〜!」

「あの席が空いてるから勝手に座れ。欲しいものがあれば言え」

「キャー!」

何が楽しいんだか…。


テーブルがもう一個空いたので、次の客に声を掛けるために蒼は廊下に顔を出した。

「貴様は…」

機械的に言って、先頭の女子を見て口を開ける。

「…透子?!」

ニコニコ笑う透子が立っていた。


「へへへ、びっくりした?」

透子は顔が緩むのを抑えられないようにニコニコしている。

「な、なんで?レポートの締め切りは?」

「今朝Webで提出した!」

「そ…な、なんで」

「びっくりした?びっくりした?」

透子がキラキラした目で蒼を見上げた。


くっそ可愛いな…!


沈んでた気持ちが急激に天まで上がる。


「…びっくりした」

掠れる声でそう言うと、透子が得意げに「頑張った甲斐があった」と胸を張った。


「蒼、どした?知り合い?」

となんかのアニメのキャラクターのコスプレをした来夢に後ろから声を掛けられる。

「あー、彼女」

「え!!」

来夢の背筋が何故かピンと伸びる。

「カノジョ!あ…蒼の…蒼の彼女キター!」

大声で触れ回り出す。

途端に教室内の空気がザワリと蠢いた。

蒼は来夢の頭を上から掴んで、

「ヤメロ、来夢」

「あ…いてて、ですよね。お客さんに迷惑…」

「俺の彼女が気後れするだろ」

「そっちかい」

それ以外何が?


「わー、これが噂の!」

「小さい!」

「可愛い!」

「顔真っ赤、大丈夫?」

「妹とあんま似てないな」

「写真撮っていい?」

来夢とやり取りをしてる間に透子は蒼のクラスメートに囲まれてる。

「いいわけねえだろ」

蒼はスマホを構えてる男にチョップして、「仕事しろ」と全員追い払う。

「なんかごめん、邪魔しちゃったね」

透子は今日ノースリーブの花柄のワンピースの上から編み目の大きなニットを着ている。

このニット、買うか迷ってたやつだ…超似合ってる。超、可愛い。

「全然邪魔じゃない。透子、席座って。こっち」

「えー」

何故か不満な声を出される。

「え、何が?」

「貴様ってやつ、やってくんないの?」

「…やって欲しいの?」

というと、ウンウン嬉しそうに頷く。

「貴様、一人か?連れは?」

「あ、ゆかちんと来たんですけど、はぐれましたっ」

変な喋り方になってる。合わせてるつもりなんだな。

…しかし、また迷子になったのか。

「よし、じゃあ、席に案内するから付いてこい」

「ハイッ」


…か、可愛い…。


教室に入ると、ほぼ全員の視線が透子に集まった。

一瞬たじろいだ透子が、こそっと、

「…皆、色んなコスプレしてるんだね」

小さな声で言った。

メイド、執事、魔女、吸血鬼…蒼以外はほぼ本人の希望のコスプレをしている。

蒼だけ、何故か強制的に軍服。しかもこれどこの国の軍服?

「透子、ここ座って。あ、食券持って来た?」

「うん、香子に貰ったのもあるからいっぱいあるよ」

今年から同じ高校に入学した妹からも招待状を貰ったらしい。

「何にする?」

「貴様ってやつやって」

「…早く言え、俺は暇じゃないんだ」

「すみません!アイスコーヒーお願いします!」

思ったより透子にウケてる。

蒼は微笑んで、

「…こういうの好きなら、二人きりの時に好きなだけやってあげんのに」

と言って透子の頬を撫でた。


真っ赤になって固まった透子から渋々離れて、「アイスコーヒー、1番テーブルで」と蒼が裏方に伝えに行くと、裏方は3人とも台に突っ伏していた。

「アイスコーヒー、1番」

「聞こえとるわ!」

と怒られる。なんで顔赤い?

「つーか、聞こえとるわ、お前らがテーブルでいちゃついてるのも全部、聞こえとる!」

「え、じゃあ俺が客に注文聞きに行かなくて良くない?」

「そういうことじゃねーっつーの!」

「てか店内でイチャつくのやめろし。お客が減るわ」

「知らんし」

蒼はそう言いながらも上機嫌で、

「な、彼女来たし、早めに当番変わっちゃ駄目?彼女帰ったらずっと働くから」

「絶対駄目」

「彼女とそのまま帰って来ないから駄目」

「お前ら、俺のことよく分かってんだな…」


クラスメートに意外と愛されてることを蒼は知った。


10時半に交代だから、それまで中庭で待ってて。

と蒼が指定したのは、中庭ではずっと漫才研究会や軽音部がライブをやっていて、退屈しないと思ったからだが…。



「蒼っ、おねえさん、中庭で女子に絡まれてるっ」

と朋希が呼びに来たのはそれからすぐだった。


「姉ちゃんが?なんで?」

「あっ、いや、お前の姉ちゃんじゃなくて、俺の未来の…。つまり、倉橋先輩が絡まれてる」

「は?」

蒼はそれだけ聞くと、持ってた盆を朋希に渡して、ダッシュで中庭に向かった。



「ただのチビデブじゃん」

「脱いで股広げたんだろ、クソビッチ」

「おばさんが高校生に手ェ出して恥ずかしくないの?」

「ヤリマン」

「別れるって言えよ!早く、言えって!」


姿の見えない透子を探して特設ステージの裏手に差し掛かった時に、透子たちの姿より先にそんな汚い言葉が蒼の耳に入る。

表でやってるバンドの音で、周りには聴こえないのだろう。

蒼はぐっと、怒りが頭を熱くするのを感じた。


「黙ってないで何とか言えよ!」

「何を言えって?」

蒼が現れると、ハッと透子を囲んでた女子4人が振り向いて息を呑む。

驚いたことに…

全員クラスメートだった。

フットサルのチームが一緒の女子も、さっき「彼女可愛いじゃん」と言ってくれた女子もいる…。


透子はちょっと不自然な格好で、ステージの背景板にもたれ掛かるように背を押し付けて、青褪めている。


「…何?なんで別れなきゃいけねーの、俺ら」

「水澤…」

「好きで好きでやっと口説き落とした彼女に何言ってくれてんの?」

わざとそういう言い方をすると、女子の内の一人…さっき「可愛いじゃん」と言ってくれた木嶋凛那が、

「だって…だって、わ、私…水澤のことがずっと好きだった…」

と泣き出した。

「りん」

と他の三人が木嶋に駆け寄って、団子になる。

「…俺はこういうことする子、全然好みじゃないわ」

蒼がそう言うと、四人とも真っ青になった。


透子を傷付けておいて…。


もっと酷いことだって幾らでも言える。

けれども言わないのは、透子がきっと、蒼が目の前で女子を傷付けた分だけ心を痛めるからだ。


「透子、大丈夫?」

告白というには醜悪過ぎる告白をしてきた女子を無視して、透子に駆け寄る。

「あ…」

透子はウンウンと未だ青褪めながらも頷く。

「あの、蒼くん、実は」

汗が凄い。可哀想に、怖かっただろう。


「実は、この板が、倒れそうなの」


「…は?」

「この板」

と目で、もたれている大きな背景板を指す。

…もしかして、もたれてるんじゃなく、支えてるのか?

「さっき、支え棒が折れてるのが見えて」

風で揺れる板に駆け寄って咄嗟に支えたものの、周囲に人が居なくて困っていた所を女子に囲まれて、顔を見て話を聞かないと失礼かもと思って体勢を変えて支えながら応対していたらしい。

蒼は慌てて透子の上から板を支えた。結構重い。

透子がふうと息を吐く。「助かった…」と言って、

「ありがとう、蒼くん」

と微笑む。


「ちょっと、誰か、学祭の実行委員か、教師呼んできて」

蒼が板を支えたまま、泣いてる女子四人に容赦なく言う。

「…」

「…呼んでこいよ」

高圧的に言うと、四人組と一緒に透子もビクリと震えて、「はいっ」と言うので、

「違う、透子に言ったんじゃないって…」

蒼は苦笑して、怯えたようにこちらを見る女子4人を睨むが、

「あ、でも、私行って、表にいる人呼んでくるよ。蒼くん、一人で支えられる?」

「支えられるけど…はあ。じゃあ、ごめん、お願い」

そう言うと、透子は蒼に少し顔を寄せて、何事か呟き、それによって益々憎悪を増した四人の視線にまたビクビクしながら、助けを呼びに行った。



「…木嶋、前川、三宅、島」

片手で板を押さえながら、大声で呼び掛けると、四人ともビクッとする。

「なんでこんなことしていいと思ったのか良くわからねーし、彼女を傷付けてお前らの何がスッキリするのかも理解できないけど」

怒りを噛み殺して、なるべく冷静に話す。

「透子は絶対お前らと同じことはしないよ」

透子は自分のことを弱虫だと思ってるけど、怖がってても向き合うべきものから逃げたりしないし、他人と群れて自分の行いを誤魔化したりしない。

他人を傷つけて喜んだり、下に見て安心したりしない。

「俺、彼女に振られても、絶対お前らは選ばんわ」

四人とも泣き出したけど、俺はもう興味を失って、透子が現れるだろう方向を見て彼女を想った。



私は大丈夫だから。

と、透子はさっき、また、そう言ったのだった。

彼女はいつも、そう言うのだ。私は大丈夫、大丈夫だから。

…でも、さっきは、続きがあった。


―蒼くんが来てくれたから、大丈夫だよ。


あの一言だけで生きていける。

蒼はそんなことを思い、透子と付き合えない他の男は全員不幸だなあ、と、誰かが聞いたら飛び蹴りされそうなことを考えながら、彼女を待った。



「透子、大丈夫?」

香子と朋希と一緒に中庭に降りてきた紫が、透子に心配そうに声を掛けた。

ステージは一時中断して、裏で教師が背景板の補修をしている。

「あ、ゆかちん。どこ行ってたの?」

「こっちのセリフやで!」

紫が突っ込む横で、

「お姉ちゃん、大丈夫?」

とシスコンの香子が姉に抱きつく。

「大丈夫大丈夫、蒼くんが助けてくれたから」

「…なるほど」

香子が舌打ちしたそうな表情で俺を睨む。

「俺が蒼に教えたんですよ、おねえさん」

朋希がヒョコッと顔を出してアピールする。

すると透子が無表情になって、「おねえさんと呼ばれる筋合いはありません」と冷たく言った。

「そ、そんな…」

とよろめく朋希に、「というか、どちら様?」と透子は滅茶苦茶冷たい。

自分が受けた暴言は何でもないことのように許しても、「でも、ああいうこと言う人が香子の側にいるのは、正直心配かな」と、妹の周りに関しては透子は存外厳しい。

それでも香子に、自分が何を言われたかは言ってない透子は、やはり優し過ぎると思う。


「お姉ちゃんが良いって言わない人とは付き合わない」と香子に言われて絶望した朋希を、蒼は暫くの間「自業自得くん」と呼んでいた。



「あ、透子」

紫が透子の後ろから、「ニットほつれてる」と指摘した。

「え?」

「どれ?」

透子の背中を蒼も見ると、2、3箇所毛糸が出てしまっている。

「さっき板で引っ掛けたんじゃない?」

と言うと、透子が眉を下げて、「あー、買ったばっかなのに」と嘆いた。

「…ごめん。同じの、買ってあげる」

蒼が言うと、

「え、いらないいらないっ。なんで蒼くんが謝るの」

と透子が焦ったように言う。

本気で言ってるんだもんなあ。 俺のクラスの女に俺のせいで絡まれたのに。

「大丈夫、多分、直せるから」と言った。

「え、直せるの?」

「どうやって?」

紫と香子が聞く。

「裏から編み棒で引っ掛けて…」

透子が説明する。

編み物も出来るのか。

…でも、新しい服も買ってあげよう。



香子のクラスのお化け屋敷と部活の展示を見て、透子が帰ると言うので校門まで見送ろうとすると、

「でも今から蒼くんちお邪魔するんだよ」と…。

「は?聞いてない!」

「レポート終わらなきゃ行けなかったからねえ」

とのんびり透子が言う横で得意げな姉の「おほほ」という顔がムカつく。

「俺も秒で帰るから、待っててね」

と言うと、

「待ってるから、ちゃんと後片付けしなさい」

と透子が年上ぶる。

へいへい、と返事をして、俺は透子の髪の毛に手を伸ばした。

「ん、なに…?」

昼の騒動で、透子がピンでアレンジした髪もちょっとほつれてしまっている。

「ごめん、今日。せっかく来てくれたのに」

絡まれたし、板背負わされるし、ニットはほつれるし。

「何が?楽しかったよ!蒼くんの高校に入ってみたかったんだよ」

と透子は満面の笑顔で、「ありがとう、蒼くん」と言った。



ありがとうはこっちのセリフだろ。

彼氏の学祭に遊びに来て、あんな目にあって笑ってくれる子、いる?



『ありがとう』


あの時も透子は蒼に笑顔を向けた。

金髪の狂犬から透子が岡本さんを助けた日。


蒼はその帰りの電車、彼女の横で、人生で初めて感じる胸に何か(くすぶ)ったような気持ちを持て余していた。


それは言葉にすると、家まで送らせて、だとか、連絡先を教えて欲しい、だとか、明日も会いたい、だとか、どう聞いてもナンパ男の口にしそうな言葉ばかりで、今まで自分から女子に言ったことのない言葉ばかりで、浮かんでは言えずに胸に(おり)を作った。


自分の家の駅が過ぎても、グズグズと彼女の隣に座り続ける。


連絡先。…とにかく、連絡先だけ聞け。それさえ聞いとけば…

…聞いとけば、何?


そんな蒼の葛藤を知らずに、透子はぴょんと席を立つと、

『今日、本当、ありがとう!』

と蒼に笑顔を向けたのだ。


…その笑顔が明日も見たい。


またナンパ男のような言葉が胸に浮かんで、けれどもそれがまごう事なき自分の本心であることに動揺して、結局蒼は何も言えなかった。



「透子の笑顔、ずっと見てたい」


あの時のリベンジのように彼女にそれを告げると、一瞬で真っ赤になって硬直する透子の横で、紫が何故か突然、靴箱を殴った。

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