覚書/対空レーダー「13号対空電探」の活躍で日本本土爆撃時、B29約500機が撃墜された?
000 総論
子供の頃、旧日本軍は米軍の圧倒的な技術力・軍事力になすすべもなく、日本中の都市が焼野原になったと聞かせれていた。中学校にいたとき歴史の授業で、日本はレーダーがなくて負けたと聞いていた。ところが、学生くらいになってから、米軍発表もいい加減なものだったよという話も耳にするようになった。そして数年前に、自作小説執筆のため、軍艦のイラストや解説を眺めていたところ、レーダーがついているのに気が付がついた。
旧日本軍が使用したレーダー「電探」はドイツで開発された技術を導入、発展させたものだ。
高校生のころ物理の先生が興味深い、戦時中のお話しをして下さったのを思い出す。
先生は東北大学出身だった。ちょうど担当教授がレーダー開発していたとのことで、学生たちが実験室に行くと、副産物としてつくられた電子レンジで、秋刀魚を焼き御馳走してくれたとのこと。
この夏、竹野豊主演映画『雪風』が上映されると聞く。雪風は旧日本海軍の駆逐艦だ。作家・阿川弘之の『南蛮阿呆列車』、漫画・アニメ『宇宙戦艦ヤマト』、小説・アニメ『戦闘妖精雪風』にその名がつかわれており、就航以来の軌跡を知るクリエーター人たちに、とても愛されているのが判る。米国駆逐艦相手の一騎打ち、大和の水上特攻につき合って生還を果たしていることから、幸運の駆逐艦とも呼ばれている。
ご承知のように、最近Google検索するとAIが、引用文献つきで概要をまとめるサービスの試験運用がなされている。それで調べてみたところ驚きだった。なんと、全部ではないもののレーダー「電探」が、大和をはじめとする戦艦、巡洋艦、駆逐艦、空母に装備され、日本の海岸線約28箇所に設置されていたのだった。話題の映画『YUKIAZE』の駆逐艦・雪風には13号電探が装備されている。幸運を支えた要因に、レーダーの存在は大きかったものといえよう。
下の001・002で示すように、日本本土爆撃において撃墜された米軍航空機数総数は2077機で、そのうち485機がB29だった。戦死したB29搭乗員は3000人に及ぶ。これを日本軍側が撃墜できたのは、003・004で示すように、艦船や地上基地に配備されたレーダーが察知し、高射砲や戦闘機が活躍したためである。
普通の国なら降参するところのだが、そこはあれ、相手が、超大国の米国だったからに他ならない。日本もよく、善戦したものだ。真実は百年近く経たないと、判らないこともあるようだ。
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001 日本本土爆撃で、撃墜されたB29総数
AI:回答
日本本土爆撃で撃墜された作戦中に撃墜された戦闘機・偵察機を含めた航空機の総数は、2,707機に上ります。そのうち撃墜されたB-29爆撃機の総数は485機です。
詳細:
撃墜数:日本軍の陸海軍の防空部隊によって、B-29爆撃機485機が撃墜されました。
撃破数:作戦中に撃破されたB-29は2,707機に達しました。
本土空襲:B-29は1944年6月16日の初空襲から、日本の大都市や中小都市を焼き尽くし、甚大な被害をもたらしました。
日本側の防空:日本軍は、装備や数で劣る状況下で、B-29に対抗するために、時には体当たり攻撃も辞さずに戦いました。
被害:空襲による死者は50万人以上、罹災者は1000万人以上に上ると言われています。
資料
〇【世界最強だった日本軍航空部隊】B29爆撃機を485機も撃墜した本土防空部隊 /「zakzak by 夕刊フジ」2016.06.23
〇井上和彦「歪められた真実 日本軍は手も足も出なかったのか…『B29』を485機撃墜、米軍に手痛い代償 〝体当たり攻撃〟生還を果たす兵も」/zakⅡ
2023.12/8 15:30
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002 日本本土爆撃で、戦死したB29搭乗員数
AI:回答
日本本土爆撃で戦死したB-29搭乗員数は、資料によって多少のばらつきがありますが、約3,000名とされています。この数字は、中国・ビルマ・インドおよびマリアナからの作戦全般における、第20航空軍の戦闘搭乗員の戦死者または行方不明者の総数に含まれています。
詳細な内訳としては、以下の情報があります。
総数:B-29搭乗員の戦死者数は、3,000名強とされています。
内訳:戦争末期の5か月間だけでも、搭乗員2,977名が死亡または行方不明になったという記録もあります。
比較:日本の特攻隊員の戦死者数は、陸海軍合計で4,160名とされています。
これらの数字は、日本本土爆撃におけるB-29搭乗員の犠牲がいかに大きかったかを示しています。
資料
〇「第二次世界大戦中のアメリカ軍の爆撃機B-29の搭乗員の戦死者数はどのくらいか。日本の特攻隊員の死者数と比較したい。」/レファレンス共同データーベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000137640&page=ref_view
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003 旧日本海軍の駆逐艦・巡洋艦・戦艦・空母の中でレーダーを搭載していた艦は?
AI:回答
日本海軍の艦艇で、レーダーを搭載していた艦は、駆逐艦では秋月型、松型の一部、巡洋艦では高雄型の一部(摩耶、鳥海など)、利根型、最上型、空母では大鳳、信濃などが挙げられます。戦艦では、大和型戦艦にもレーダーが搭載されました。
駆逐艦:
秋月型:秋月型駆逐艦は、初めからレーダーを搭載することを前提に設計された艦級で、13号電探を搭載していました。
松型駆逐艦:松型駆逐艦の一部も、13号電探を搭載しました。
巡洋艦:
高雄型:高雄型巡洋艦のうち、摩耶は22号電探を、鳥海は13号電探を搭載しました。
利根型:利根型巡洋艦は、22号電探と13号電探を搭載しました。
最上型:最上型巡洋艦も、22号電探と13号電探を搭載しました。
空母:
大鳳:大鳳は、当時としては最新鋭のレーダーを搭載していました。
信濃:信濃は、大和型戦艦を改造して建造された空母で、レーダーを搭載していました。
戦艦:
大和型:大和型戦艦にも、レーダーが搭載されました。
∴ これらの艦艇は、それぞれ異なる時期に、異なる種類のレーダーを搭載しましたが、いずれも日本の艦艇の対空・対水上戦闘能力の向上に貢献しました。
資料
〇「雪風《駆逐艦》」wikipedia
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004 旧日本軍のレーダー基地は?
AI:回答
旧日本軍のレーダー基地は、主に太平洋戦争中に、軍事目的で全国各地に設置されました。特に、航空自衛隊のレーダーサイトとして、現在も運用されている場所もあります。例えば、宮古島分屯基地や久米島分屯基地は、旧日本軍のレーダー施設を引き継いでいます。また、葦毛崎展望台(青森県八戸市)は、太平洋戦争中に旧日本軍がレーダー施設として使用していた場所で、現在は展望台として開放されています。
旧日本軍レーダー基地の例:
宮古島分屯基地:昭和47年(1972年)に米軍からレーダー部隊の任務を引き継ぎ、航空自衛隊の基地として運用されています。
久米島分屯基地:昭和47年(1972年)に米軍からレーダー部隊の任務を引き継ぎ、航空自衛隊の基地として運用されています。
葦毛崎展望台:太平洋戦争中に旧日本軍がレーダー施設として使用していた場所
で、現在は展望台として開放されています。
当別分屯基地:北海道のレーダーサイトの中枢として、日夜北の空を監視しています。
その他:
航空自衛隊は、全国に28か所の地上レーダーサイトを整備し、日本及びその周辺の空域を監視しています。
移動式警戒管制レーダーは、全国28か所の固定式レーダーサイトを補完する役割を担っています。
民間機の飛行計画は、航空交通管制機関と空自で共有されており、正体不明機が探知された場合は、戦闘機が対応します。
補足:
航空自衛隊のレーダーサイトは、旧日本軍のレーダー施設を参考に整備されたものも多いと考えられます。
現在のレーダーサイトは、より高度な技術が導入され、24時間体制で警戒監視を行っています。
資料
〇「葦毛崎展望台」
https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g298242-d1847089-r793394995-Ashigezaki_Lookout-Hachinohe_Aomori_Prefecture_Tohoku.html
ノート20250726




