覚書/星の王子様、唯一の薔薇とは
―― 6月29日は星の王子様の日 ――
1935年12月、ジュペリは「フランス‐北アフリカ経由‐ベトナム間の飛行機レース」にシムーン機で出場し、サハラ砂漠(リビア付近)に不時着します。
彼は、珈琲ポットとオレンジ1個で、老整備士とともに砂漠を3日間歩き、隊商路に出たところを、運よく通りかかったヴェドウィン隊商に救出され、欧州人技師のいる鉱山に連れて行ってもらい保護されます。――このときに得た閃きが彼の代表作『星の王子様』にある 「砂漠が美しいのは、どこかに井戸をかくしているからだよ」というフレーズに反映されています。
「コードロン・シムーン(シムーン機)」
製造:ルノー
エンジン: Renault 6P(180馬力)
航続距離: 1,500 km
初飛行: 1934年
全長: 8.7 m
最大速度: 300 km/h
―― 星の王子様、唯一の薔薇とは ――
飛行機レースでの事故後、ジュペリは老整備士とともに、エジプト経由で海路、母国フランスのマルセイユ港に帰還します。
三日間の砂漠移動でジュペリの生命をすくった珈琲とオレンジを持たせたのは、ジュペリの妻・コンスェロです。
記者たちをかきわけるように、ジュペリの母マリーともに出迎えにきたコンスェロ夫人は、大泣きしたといいます。――世間から「悪妻」と評された彼女が、ジュペリの実像をつづった『薔薇の回想』は没後しばらくして刊行され、世界に衝撃を与えることになりました。
1943年に刊行された『星の王子様』で述べらえる「唯一の薔薇」は、元婚約者のルイーズ、母親のマリー、そしてコンスェロ夫人の三人が候補に挙げられています。
しかし『薔薇の回想』を読むと『星の王子様』が旅路でみかけた、「たくさんの薔薇」は、過去の婚約者マリーや、愛人たちをさす言葉で、「唯一の薔薇」というのは素直に、コンスェロ夫人だったのだなあと察することができます。
1944年、最後の原稿をLIFE記者に渡し、自由フランス軍のライトニング偵察機でコルシカ島の基地から、マルセイユ方面に向かったところ、事故で地中海に墜落。これについては、ドイツ軍機に撃墜されたとも、鬱症状による自死だとも言われています。
また作品に登場する「子狐」は冒頭の献辞にでてくる、レオン・ヴェルトだというのは衆目の一致するところです。『星の王子様』執筆当時、この人はナチス迫害の難を逃れ、フランスの田舎に隠れ住んでいたため行方知れずでした。
つまるところ『星の王子様』は、妻と親友に宛てた遺言であったともとれるわけです。
ノート20250701




