覚書/能登地震(20240101発生)について
1990年代、能登半島先端にある、石川県珠洲市に所用があり1泊したら、電力会社の方2名がいらっしゃり、夕餉・朝餉を共にしました。聞けば原発建設のために住民説得に来られたのだとのこと。結局珠洲原発計画は、3.11を受けて計画2011年に撤回されることになります。
3.11(2011年3月11日15時前)のときは水戸付近に出張していました。それから首都圏にある本社に戻り資料を作成・提出して、21日に休暇をもらい、200キロ先の福島県にある実家に帰省しました。常磐道は不通。上司が内陸部の道を通ると良いとPCのグーグルマップを指して助言してくれたのですが、結局のところ、橋が落ちていたり、通行止めばかり。水戸を過ぎたあたりにあった町の茨城県警駐在所に道を尋ねると、国道6号線だけが使えると判り、そちらへ移動しました。勿来の関の手前、北茨城市の道路が半壊。土木業者さんが片側車線だけれども通れるようにしてくれたので、1泊してですが、帰省できましたよ。東北に比べ、無視されがちですが茨城の被害も甚大でした。小名浜港近くに知人がいたので立ち寄って物資を届けたとき、大小の船が防波堤に乗り上げたり、市街地や公園に乗り上げられ、人気がなく火星にでも降りたようでした。このときになって自衛隊ホバークラフトが上陸・がれき撤去を始め、関係者宿泊基地としての海王丸が来るのが見えました。――民主党菅直人政権期は、ここまでで10日。さらに原発消火活動を妨害し水素爆発させています。――比べて、自民党岸田政権は1月1日16時の地震発生から4日(実質3日)と、かなりの速さだと思います。
ノート20240108




