表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
76/97

覚書/能登地震(20240101発生)について

1990年代、能登半島先端にある、石川県珠洲市に所用があり1泊したら、電力会社の方2名がいらっしゃり、夕餉・朝餉を共にしました。聞けば原発建設のために住民説得に来られたのだとのこと。結局珠洲原発計画は、3.11を受けて計画2011年に撤回されることになります。


3.11(2011年3月11日15時前)のときは水戸付近に出張していました。それから首都圏にある本社に戻り資料を作成・提出して、21日に休暇をもらい、200キロ先の福島県にある実家に帰省しました。常磐道は不通。上司が内陸部の道を通ると良いとPCのグーグルマップを指して助言してくれたのですが、結局のところ、橋が落ちていたり、通行止めばかり。水戸を過ぎたあたりにあった町の茨城県警駐在所に道を尋ねると、国道6号線だけが使えると判り、そちらへ移動しました。勿来の関の手前、北茨城市の道路が半壊。土木業者さんが片側車線だけれども通れるようにしてくれたので、1泊してですが、帰省できましたよ。東北に比べ、無視されがちですが茨城の被害も甚大でした。小名浜港近くに知人がいたので立ち寄って物資を届けたとき、大小の船が防波堤に乗り上げたり、市街地や公園に乗り上げられ、人気がなく火星にでも降りたようでした。このときになって自衛隊ホバークラフトが上陸・がれき撤去を始め、関係者宿泊基地としての海王丸が来るのが見えました。――民主党菅直人政権期は、ここまでで10日。さらに原発消火活動を妨害し水素爆発させています。――比べて、自民党岸田政権は1月1日16時の地震発生から4日(実質3日)と、かなりの速さだと思います。


ノート20240108

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ