覚書/新海アニメ『君の名は。』ラストの階段
新海誠監督のアニメ映画『君の名は。』(東宝2016年)の有名なラストシーンについて:
主人公の瀧とヒロインの三葉が記憶を失ったまま階段ですれ違うように再会したとき、なぜだか涙が流れて、自分たちの想い人であることを確認。「君の名は――」と互いに言葉を掛け合ってエンディングとなります。
ふとそれが、昔読んだのだけれども失くしてしまった漫画本に既視感がありました。その作品について私の記憶に残っているのは手塚治虫先生の漫画だということと、ラストシーンが対面式ホームの双方に主人公とヒロインがいる図のみで、不甲斐ないことにタイトルを失念しておりました。わずかな記憶を整理しながらPC検索すると、学習研究社の雑誌「高1コース」で1974年4月から1975年3月にかけて連載されていたことが判り、私が読んだのは、かの作品を講談社が再集録した講談社「手塚治虫漫画全集」でした。
内容は、高校生の主人公イッチとくるみちゃんが(死後の世界)異界の戦争に巻き込まれる物語。二人が出会い冒険をして、事件が解決し現世に戻った二人は記憶を失う。線路を挟んだ駅対面式ホームの向こう側に、お互いを見つける二人だけれども、誰だか判らず涙が流れる。
――この場面って、『君の名は』の他に、『シン・エヴァンゲリオン』(東宝2021年)のラストシーンにもありましたね。そう、父親のドッペンゲルガ―であるカオル君と、母親のクローンであるレイさんが駅対面ホームの向こうにいて、会話をしているところです。
他に既視感があるのは、アニメ化もされた漫画家・細野不二彦先生『GuGuガンモ』(『週刊少年サンデー』小学館1982年19号‐1985年16号)。視点者の小学生・半平太君とニワトリもどきの不思議な生き物・ガンモとのお別れの場面。ガンモの正体は鳳凰の卵で、雛がかえった際に割れてなくなり、半平太君の記憶からも消えてしまう。翌日の朝食でお母さんが食卓に、ガンモの大好物だった珈琲をだすと、記憶が消されているはずの半平太君の双眸から涙がこぼれ落ちるというもの。
現代の漫画の基礎は手塚先生が編み出したものだとよく言われますが、名作のオチとして「型」が踏襲されているのは興味深いところです。
ノート20240724