覚書/「宮崎アニメ『風立ちぬ』と引用された『魔の山』の因果関係を考える」
宮崎アニメでは近代文学の名作がよく挙げられていますので、そこから入っていくことがあります。『風立ちぬ』の軽井沢の場面において、ドイツ人スパイ・カストルプが主人公堀越二郎に、トーマス・マンの『魔の山』の一節を述べます。気になり読んでみました。
ドイツの有閑青年が、従兄弟が肺結核になりスイスのサナトリュウム(魔の山)に入る。サナトリュウムでは欧州・ロシア・トルコといった第一次世界大戦主要参加国出自の患者が療養している。患者たちは出身国別にテーブルにつきコミュニティーを形成。主人公はテーブルからテーブルへ移り、各テーブルの言い分を聞いてゆく。そのなかで年上の美しい人妻と火遊びをするのが物語のクライマックス。そして大戦が始まり、サナトリュウムは閉鎖になり、主人公は戦場へと追い立てられ、物語は終わる。という教養小説でした。
幸福度のパターンでいうならば主人公が、もやもやしていた状態が「ちょっと不幸」、サナトリュウム(魔の山)での生活が「幸福」、サナトリュウムが閉鎖され出征する「不幸」。
宮崎アニメ『風立ちぬ』において、
ドイツ人カストルプが、軽井沢での生活を『魔の山』と重ねて、「ここ《軽井沢》での生活は夢だ。けれども日常に帰ったら忘れしまう《現実は戦争に向かっている》」と、婚約者・菜穂子との悲恋を暗示している。主人公・堀越二郎はそこで、「僕は違いますよ」と言い切るのだけれども、けっきょくカストルプの言葉通りになってしまう。
むかし読んだラノベ入門書の恋愛もの章において、当時の恋愛小説作家様が、「恋愛ものはすべてハッピーエンドにならなくてはならない。『ロミ・ジュリ』は二人の死をもって愛の勝利である。ゆえにハッピーエンドだ」と述べられておりました。『風立ちぬ』も見方によっては、デルタ翼試作機こそ堀越二郎と菜穂子との愛の結晶(子供)をもうけた。そこで卓袱台返し。飛行機の墓場・煉獄を彷徨う堀越二郎がイタリア人飛行機設計者カプローニにぼやく。「僕がつくった飛行機はみな帰ってこなかった」 でも、菜穂子は待っていてくれた。またやり直せると思った。ゆえにハッピーエンド。
――と解釈することにしました。
ノート20250804