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読書/E・H・カー著/清水幾太郎訳:『歴史とは何か』  


中学校のときに背伸びして買った文庫本なのだけれども、頁はびっしりと文章で埋められていてチンプンカンプンだった。


大学では史学科に在籍した。テキストにこそならなかったが、教授たちは皆読んでいて、同期もけっこう目を通していた。――つまるところ、歴史家にとってのバイブルであった!――私はも何度か目を通していたが、「歴史とは過去との対話」であるという、繰り返されるワード以外は印象に残っていなかった。


E・H・カー(エドワード・ハレット・カー1892年6月28日 - 1982年11月4日)は英国・ロンドン生まれで、1936年まで外務省に勤務した外交官で、以降はウェールズ大学ア米すくとウィス校で国際政治学正教授として教鞭をとった。第二次世界大戦中は情報省(※MI6)に勤務――つまり007の親分だ――、戦後は『タイムズ紙』編集委員となった。――バリバリのマルキスト(左翼)だった。――今でこそ左翼といえば、脳みそが化石化した天然記念物だが、この時代は科学の最先端に左翼がいた。


呟きを有料にしたので、この際、少しずつノートをとっていこうと思う。


― 本文 ―


Ⅰ 歴史家と事実


01 歴史とは何か

総論:歴史はその時代においての、有識者の認識である。しかしそれは狭い視野からのアプローチではないのか?


02 事実村長の時代

ジャーナリストのC・P・スコット(1846‐1932)の引用:「事実は神聖であり、意見は勝手である」:歴史家はまず事実をゲットし、自分流に解釈するものだ!


03 歴史的事実とは何か

リアルな意味での歴史とは、歴史家が選択した事実に過ぎない。


04 歴史的事実が生まれる過程

英国歴史家:パラクルー教授(1908‐■)の著述引用:「われわれが読んでいる歴史は、確かに事実に基づいてはいるけれども、厳密に言うと、決して時事ではなく、むしろ、広く認められている幾つかの判断である。」


続く


ノート20250427




訂正:


「家にとってのバイブルであった!――私はも何度か目を通していたが、」→「…私も…」


「歴史とは過去との対話」であるという、繰り返されるワード」→「……繰り返されるフレーズ」


「呟きを有料にしたので、」→「呟きを有料にし長文が書けるようになったので、」


「02 事実村長の時代」→「02 事実尊重……」




E・H・カー著/清水幾太郎訳:『歴史とは何か』


― 本文 ―


Ⅰ 歴史家と事実


05 無智の必要について

歴史家は、ある時代の信仰(既成概念)にとらわれない姿勢が重要だ。


06 文書が語るもの

1929年に没したヴァイマル共和国時代のドイツ外相グスタフ・シュトレーゼマンが残した膨大な遺稿を例に挙げている。

この第一次資料は、執筆者の主観・願望が混ざっているので、歴史家達が他の資料と比較・調整して真実に近づけない限り、

まだ歴史的事実と認定するわけにはいかない。


07 十九世紀の歴史観

歴史には、歴史哲学が含まれていないとダメだ。ゆえに歴史哲学に無頓着だった十九世紀の歴史家はダメなんだ!

英国首相・ノーベル賞作家のウィストン・チャーチルが著した第一次世界大戦のノンフィクション作品・『世界の危機』は歴史書とは言えない。

というのは、彼の作品には歴史哲学が欠如していたからだ。

――じゃあ【哲学】って何?:辞書:人生・世界、事物の根源のあり方・原理を、理性によって求めようとする学問。また、経験からつくりあげた人生観。


08 歴史家が歴史を作る

英国オクスフォーd大学教授R・G・コリングウッド(1889‐1943)は『歴史の概念』(没後1945年刊行)において、歴史哲学における大きく貢献した。

「歴史の意味」:「歴史家のお香なう研究と、歴史家が研究する過去の幾つかの出来事」といった二つのことを反映している。

~「ある歴史家が研究する過去は死んだ過去ではなくて、何らかの意味でなお現在に生きているところの過去である」

歴史家に対する皮肉:英国政治学者オークショット教授(1901‐■):「歴史とは歴史家の経験である。これは歴史家だけが『作ったもので、歴史を核のは、歴史を作る唯一の方法である。』」


09 先ず歴史家を研究せよ

オークショット教授の歴史家に対する批判の趣旨:

歴史上の事実は純粋なものではなく、記録者という視点者を通して語られるものだ。また、歴史家は自分の好む事実を手に入れようとするものだ。


10 理想的理解の必要

英国哲学者・歴史家ロビン・ジョージ・コリングウッド(1889–194)を引用。

歴史は、歴史家の視点フィルターで描かれるものだから、往時の歴史家がどのような思想下に置かれていたかを知る必要がある。

――うがった話になっていないか、他の史料と比較したりして、バランスをとる必要がある。


※ここまでの所見:ほんものの歴史と違い、歴史小説はうがっているから面白い!



訂正

×10 理想的理解の必要 → 〇想像的理解の必要

午前11:33 · 2025年5月3日

·

44

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狼皮のスイーツマン

@Sweetsman7

·

5月3日

E・H・カー著/清水幾太郎訳:『歴史とは何か』


― 本文 ―


Ⅰ 歴史家と事実


11 現在の目を通して見る

過去の観察のポイント・第三点目:

その時代特有のワード:民主主義・帝国・戦争・革命

――歴史的な出来事の背景にあることだ

>歴史家の機能は、過去を愛することでもなく、自分を過去から解放することでもなく、現在を理解する鍵として過去を征服し理解することであります。。


12 懐疑主義とプラグマティズム / プラグマティック:現実的な、プラグマティズム:現実主義

――以上がコリングッド史観:

 >ロビン・ジョージ・コリングウッド(Robin George Collingwood 、1889年2月22日 – 1943年1月9日)は、イギリスの哲学者、歴史家。/wiki

――ここからはコリングウッドの問題点:「歴史は歴史家がつくるものだ」になってしまう件。

 >コロングウッドは、歴史家による「切り貼り」に反対するあまり、今度は、「人間の脳髄の編み出したもの」→「客観的」な歴史的真理は存在しないという結論に逆戻りしてしまう。

 >「歴史家は全くプラグマティックな事実観に陥り、正しい解釈の基準は現在のある目的にとっての適合性であるという主張になってしまう」

 >歴史的記述におけるソヴィエト額はおよび半ソヴィエト額はのもっとも極端な産物を幾つか通読いたしますと、純粋事実の歴史という十九世紀の幻想の安息所が時に恋しくなる……


13 歴史家の仕事ぶり

>1950年代(本書執筆当時)の歴史家の義務をどう規定すべきか

歴史家の2つの仕事:

第1に:史料を読み、ノートをとる

第2に:史料を無視して、一気に自説を著書としてまとめる

――著者の批判:歴史小説的な著書の飾りとして、史実を引用した場合、それはもはや歴史とは言えないだろう


14 歴史的事実と歴史家

――歴史家の心象風景描写じゃね?

>歴史家と事実(史実)との関係はギブ・アンド・テークの関係

>歴史家は事実の仮の選択と仮の解釈……(歴史家は仮説から作業を始める)

>歴史家は現在の一部であり、事実(史実)は過去に属している

>仮説に証拠を挙げて述べない歴史家アホだ!

>現在に生きる歴史家が、証拠(史料)を論理的に並べることで、過去にある真実(史実)に迫れる。

  →本書表題『歴史とは何か』:キャッチフレーズ「歴史とは過去との対話である」


   ― 第Ⅰ章(了) ―




狼皮のスイーツマン

@Sweetsman7

·

5月9日

E・H・カー著/清水幾太郎訳:『歴史とは何か』


―― 本文 ――


Ⅱ 社会と個人


01 社会を離れた個人はいない

未開人・文明人ともに、社会によって効果的に作り上げられている。

※私見――鶏が先か卵が先か――進化論で考えれば単純なことで卵だ。卵以前は別な種族の母親で、突然変異した個体の卵が孵って鶏になったのだ。


02 個人崇拝の時代

問題提起:社会は複数の諸個人集団で構成される。歴史は諸個人が諸個人を描いたものだという説もあるが、筆者の「歴史とは過去との対話である」というポリシーと照らし合わせて検証する。――歴史上のっ実はどこまで単独の個人に関する事実で、どこまで釈迦的時事なのか?


03 過去は現在を通して

英国歴史家・モムンゼン(1817‐1903)を例に挙る。この歴史家は共和制ローマについては著したが、帝政期には関心を示さず著さなかった。けれどももし、この人が第二次世界大戦後まで生きていたら、ドイツのヒトラーの登場について関心を持ち、帝政期も描いていたかもしれない。


04 保守主義者ネーミア

第一世界大戦後、ロシア革命を契機にマルクス史観が登場する(※著者のE・H・カーはマルキシストである)。これに対し1950‐1960年代現在の英国の保守派歴史家の重鎮はサール・イスネーミア(1888‐■)だった。第二次世界大戦後の歴史家は、マルクス史観か、従来の歴史観のいずれかを選ぶことを迫られた。――歴史を読む場合、歴史家がどんな政治的な立場からの視点者だったのか、歴史書を著した歴史家自体を研究しなくてはならない。


05 時代の流れと歴史家

一人の歴史家でも、長生きすると、価値観感がこんなにもぐらつくものだ。

独国歴史家・マイネッケ(1862‐1954)を例に挙げる。この人は長い人生において三つの時代を体験することになる。――まずビスマルクを宰相とするドイツ第二帝国時代に著された『国家的理性の観念』を著し、民族的理想の実現であると確信する(――著者はキモイと述べる)。次にヒトラー率いるナチスが登場すると、『歴史主義の成立』を著した。その中で、存在するものは何でも正しいと認める礫主義を斥けつつ、歴史的な相対的なものと超合理的な絶対的な者との間を不安な気持ちで動揺・絶望する。そしてナチス=ドイツが敗北して間もない1946年に著した『ドイツの破局』においては、歴史は盲目で仮借ない偶然に翻弄されているとした。




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