第1話
ユルッとしたミステリーぽい何かです。
五話で終わりますので、あまり深く考えずに、お付き合いいただければ幸いです。
海の中で夢を見た。
僕と同じ背格好の男が海の底でもがいている。
思わず手を伸ばして彼を上へと押し出す。
その時見た彼の顔は、僕と瓜二つ。
ああ、これがドッペンゲルガーっていう、もう一人の僕なのか。
僕はもう助からない。
あの女に首の辺りを刃物で切られ、血が流れ出していた。
僕は、もう一人の僕に心の中で訴える。
『いのりを救ってくれ』
祈里は、従姉のまだ幼い娘だ。
従姉はもう手遅れだから救えはしない。
どうか神よ、小さな命を守り給え。
あの母親の餌食にはしないでくれ。
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「ここはどこだ?」
目を覚ますと、そこは知らない場所だった。
白い天井、壁、寝具。
どうやら病室らしい。
身体に付けられた器具が煩い。
「すぐに医師が来ますからね」
誰か女性の声がして、バタバタと足音が聞こえた。
僕の名前は歴木 英児だったはず。
なのに、今は違う名前で呼ばれている。
「佐藤 志恩さん、佐藤さん」
知らない、そんな奴。
だけど、それが今の僕の名前だった。
「ライフセーバーでしたっけ。 台風の影響があったとはいえ、人命救助で自分が死に掛けちゃいけませんわ」
「あ、はあ」
どうやら海で他人の救助に向かって、そのまま自分が溺れかけたらしい。
佐藤という男性は、黒の短髪、精悍な顔付きで陽に焼けた逞しい身体をしている。
でも記憶にある僕は普通の中肉中背の茶髪の大学生だったはずだ。
医師も看護師も、僕の家族だという中年夫婦も首を傾げる。
「一時的な記憶障害でしょう」
そんな会話が耳に入った。
いや、僕は自分のことは覚えてるさ。
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あの日、僕、歴木 英児は従姉に呼び出された。
家から近い港の埠頭。
台風が近づいていたのに一人で出掛けたのは、彼女からではなく、数少ない大切な友人からの連絡だったからだ。
「やっぱりあんたか」
そんな気はしていた。
僕は早くに両親を亡くし、母方の弟、叔父夫婦に引き取られて、その娘である従姉を姉として育った。
「ごめんなさい、お友達を利用してしまって」
従姉は儚げな美人だ。
結婚して都会に住み、今は子供もいる。
落ち着いた、と思っていたのに。
この従姉が厄介な病気持ちだと知っているのは、ごく一部。
いや、皆、彼女の儚げな外見に騙されて信じないだけか。
だけど、僕はずっと前から気付いていた。
「何の用?。 それとも今度は僕を殺すつもりなの?」
驚いた顔も綺麗だね、従姉さん。
「何を言ってるの、そんな訳ないでしょ。 私はただ、弟同然のあなたを心配して」
僕はもうすぐ大学を卒業する。
就職も決まっているし、アパートで念願の一人暮らしをする予定だ。
「あー、違うか。 あなたは自殺や事故に見せかけて他人を巻き添えにするのが趣味なんだっけ」
沈黙が降りる。 波の音だけが煩い。
台風が近いせいで、じっとしていても強風で足元を攫われそうな埠頭で、僕たちは向かい合って立っていた。
「……そう。 私のこと、そんな風に思っていたのね」
何を言ってるのやら。
すでに精神科のクリニックに通って治療中のくせに。
「でもね。 私、気が付いたの。 私が死ねないのは、誰かが邪魔してるからなんじゃないかしらって」
従姉は、日頃の憂いを帯びた優しげな表情から、今は暗い目をした病人の顔になっている。
僕は今まで彼女の犯行を察知し、先回りして計画を潰してきた。
僕を埠頭に呼び出した友人は、その手助けをしてくれている幼馴染だ。
言わば秘密を共有している特別な友人だった。
彼もやはり男。 人妻で子持ちでも、こんな美人に迫られたら口を割るか。
「あんたを死なせないためじゃない。 巻き添えになる人たちを救いたかっただけだ」
ギリッと音がしそうなほど彼女が唇を噛む。
「そう、分かったわ。 私が死ねば誰も死なずに済むということよね」
彼女はこれ見よがしに海に飛び込む。
助けようと僕が後を追って飛び込むのを待っている。
分かっていても、僕は彼女を助けるしかなかった……。
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佐藤という、ガタいの良い二十歳の大学生になった僕。
夏は海でライフセイバーもやるが、普段はスポーツジムでインストラクターのバイトをしていた。
「おはようございます」
無事退院し、今日はバイト先に挨拶に向かう。
見舞いに対するお礼と、しばらく休むことになると伝えに来た。
「おう、佐藤、今日から復活かー」
「いや、今日は挨拶だけだ」
アハハと拳を突き合わせて友人と挨拶を交わす。
だけど僕は体育会系は苦手だ。
「なんだー?、ノリが悪いな。 記憶喪失ってマジなのか」
「はあ、すまん」
筋肉を動かすことは身体が覚えていたし、世間の一般常識は問題ない。
「実はまだ記憶の一部が戻らなくてさー」
問題は、自分のことや身の回りの人間のことを一切覚えていなかったことだった。
だって、僕は違う人間の情報しか持っていなかったんだから。
自分の顔を鏡で見ていても違和感しかない。
そして、もう一つの驚きは、今の日付けが歴木という僕が海に落ちて死んだ年よりも、五年も前だったことだ。
(時間が巻き戻った?)
もしかしたら、今の僕は元の僕を助けられるかも知れない。
少し希望が見えた。
佐藤は大学近くのマンションで一人住まい。
案外良い暮らしをしているのは資産家である親のお蔭らしい。
兄弟も兄と弟がいるので、家のことはそっちに任せて好き放題している。
僕は真っ先に、携帯端末に入っていた女性との通話履歴を丹念に調べ、飲み会やナンパで知り合ったらしい名前を削除した。
残ったのは家族や親戚関係者くらいである。
そして、歴木として生活していた街へ出掛けた。
安いビジネスホテルに泊まり、あの頃の僕を探す。
「ドッペルゲンガーって会うと死ぬんだっけ?」
そんな話があったような、なかったような。
あ、もう僕は死んでるんだった。
じゃあ怖くない。
しかし、僕は出会ってしまった。
一番恐れていた相手に。
「あの、どうかされました?」
歴木として通っていた高校の近くの駅。
自分に会うつもりだったが、学校は夏休みで、歴木は受験生だから会えずじまい。
戻ろうとして、ふいに目に入ってきた女性に気を取られ、携帯端末器を落としてしまう。
それを拾って渡してくれた美女。
「あ、いえ、あ、あはは」
忘れもしない。
五年前の、まだ大学生の従姉である。
彼女に会うのを避けるため、実家には近寄らないようにしていたのに。
「あのう、私の顔に何かついてます?」
怪訝な顔をされてしまうほど見入っていたようだ。
「す、すみません!、あんまりキレイだから」
「まあ」
恥じらうように頬を染める女。
だけど、僕は知っている。
この女はこの時、すでに何回か自殺未遂を繰り返していた。
巻き添えになった人間を僕は何とか理由をつけて助けている。
勿論、感謝されることのほうが少なかったけど。
「おい、お前。 俺の女に色目使うんじゃねえ!」
あ、ああ、この頃に付き合ってたのはヤンキーっぽい年下の男だったな。
「いえ、そんなつもりは」
一緒にいた男に胸ぐらを掴まれたが、僕のほうが背が高く腕も太い。
ちょっと手を払ったら相手は尻餅をついた。
彼女の前での失態に、真っ赤になって「覚えてろよっ」と捨て台詞を吐いて逃げて行った。
えー、何この展開。
「ありがとうございます。 付き纏われて困っていたんです。 助かりました」
嘘つけ。 誰でも良かったから声を掛けて来た男と付き合ってただけだろ。
「いえいえ、僕は何もしてません」
本当にちょっと振り払っただけで。
クスクス笑う美女に周りが振り返る。
「お礼がしたいわ」
……連絡先を交換する羽目になった。




