シロクマ
「ではまたね!」
「はいッまた!」
貴族子女としてはどうかと思われるような挨拶をし、ルリアちゃんは一人で馬車に乗った。
ルリアちゃんを乗せた馬車は自宅のあるファミーユ子爵領ファル市に向かって出発する。
次に何時会えるかまだ分からないが、同郷の友人としてこれからの彼女の未来を応援すると同時に、こちらで仲良く付き合えそうなのは嬉しく思う。
「さあ、私達も帰りましょ!」
私達も馬車に乗り込み二台の馬車は無表情なメイドさんのお辞儀で見送られてクーベルタン老の屋敷から出発した。
馬車はセライラ市の門を出て森の中を走っていた。
「……おかしい。」
馬車の窓から外を見ていたラナちゃんが呟いた。
「ん?……どうかしたの?」
「セライラ市から出てもう二時間は経つのに全然川につかないじゃないですか。セライラ市からサルム川までそんなに離れてないはずなのに…」
そう言われれば川の気配は全くなくて、むしろ森が深くなっている気がする。
「でも、こういう森の中の川って突然現れるんじゃない?」
「う、うん…」
私が気楽にそういうとラナちゃんは釈然としない感じでうなづいた。
「ねぇねぇそれよりさ、こんな森の中だとアレ思い出さない?」
「……アレ、とは?」
私はさっきからずっと頭の中でリフレインしている歌を歌った。
「……リナ様…それ、フラグだったら物凄く嫌なんですけど……」
「え!?そんなハズないじゃん!だって今冬だよ?冬眠してるでしょ?」
「ワイルド種だったら冬眠関係ないんですよ!?」
「え〜っまっさかぁ!」
そう。私の歌った歌はある日森の中で落し物を拾って追いかけてくるクマの歌だ。
その時ガタンッと御者台から音がして直後に馬車のスピードが上がった。
むき出しの地面を硬い木の車輪が走る。
前世の車と比べて雲泥の差が有る今世の馬車のサスペンションではそのスピードによる衝撃を吸収できない事は明白で、座席に座っていた私達は車内で文字通り跳ね上がった。
「〜〜〜ッッ!」
座席から転がり落ち、固いトランポリン状態の車内であちこち打ち付けながらも何とか体勢を立て直すと、しがみつきながら後ろの窓から外を見た。
すると全身真っ白な体毛に覆われた軽自動車サイズの何かが猛スピードで追いかけてくるのが見えた。
「な、な、な、何アレ〜〜~ッッッッ!!」
私の横で同じくしがみつきながら窓の外を見たラナちゃんが答えてくれる。
「アレは……ホワイトベア!……しかも大きい!?……やっぱりっフラグじゃ、ないですかっ!?」
飛び跳ねる身体を庇いながら途切れ途切れに言う。
「そんなっ馬鹿なっ!」
真っ白なデカイクマーーービッグホワイトベアはみるみる近付いて来る。
地球のクマだって時速40kmで走れるって聞いた気がするのだから、この世界のクマもそれぐらいの速さで走れるのだろうーー多分。
軽自動車サイズが時速40km……ってそれもう普通に車じゃんッ!
馬車の速度と車の速度じゃあ競争にもならない。
ビッグホワイトベアの足音が聞こえるくらいまで近付いてきた。
このまま馬車の横を走り抜けてくれれば……と、思わなくもないけどベアの視線はこの馬車にピタリと合わせられている。
襲われる気しかしない。
何とか…
「何とかしないとッ……」
でもどうすればいい?
ここに武器は無い。
例え剣があったとしてもアレに通用するほど私は鍛えてないけど……。
飛び道具とか……
何か…何か武器になる物…ある訳ないか…
馬車の中をキョロキョロしながら武器になりそうなものを探すが、そもそも貴族の乗り物にそんな物騒な物は置いていない。有るのはふかふかのクッションに、寒さ対策で置いてあったブランケットだけだ。
およそ武器になるとは思えない。
「そうだっ!風華、私達の気配を隠してくれる?」
気配隠蔽すれば気付かれないですむじゃない?ナイスアイデアよねッ!
(…リーナよ……もしあの獣対策で気配を消してやり過ごすつもりなら、それは無理じゃ。)
呼びかけに応えて目の前に現れた風華が申し訳なさそうに言った。
「えっ!?……な、なんで?」
(気配は消せても匂いは消せぬ。動けば多少音も出るし、空気も動く。人相手ならば見つからずに移動できるが、野生の獣相手ではかなり難しい。)
「そんなぁ…」
いいアイデアだと思ったのに…
「……ホワイトベアとはいえ、野生動物…足止めとか…」
ラナちゃんも色々考えてくれてる。
「うぅぅ…こんな時に思い浮かぶのがラノベの知識ばかりなんて…使えないじゃんっ!」
「ラノベの知識ってなんですかっ!?」
「魔法とか魔法とか魔法よッ」
「クッ…この世界じゃ冒険者しか使えないじゃないですかっ」
「……え?」
なんですって!?
「ラナちゃんッ!?」
「ッはい?」
「精霊魔法じゃなくて!?」
「精霊魔法ですよ?」
「精霊魔法なら私も使えるけど、そんな凄いこと出来ないわよッ!?」
今だって獣相手じゃダメだって言われたばっかりだし。
「彼らは訓練してるから。」
「訓練!?訓練でどうにかなるの!?」
「精霊って属性の現象なら大なり小なり使えるじゃないですか?それを利用するんですよ?」
「属性……風華!風華の属性は!?」
(我は風じゃ……リーナも知ってるじゃろが!)
そうだったわ。
「風……ウインドカッターとか出来る?」
(練習も無しにそんな事したらリーナごと全てがみじん切りになってしまうぞ!?)
「私ごとみじん切りッ!?怖っ無理無理!」
やっぱりそんな簡単にはできないのね。
さっきよりも近付いてきてるシロクマ。もう表情もはっきり見える程近い。
「クマって…あんな怖い顔してるのッ!?」
つり上がった目は鋭く、開いた口は体毛の白とは対照的に赤くヨダレでヌメヌメと光っている。少し黄色みがかかった牙は鋭く、もし噛み付かれたらと思ったら思わず身震いしてしまう。
「あの目…こっちを狙ってるあの目がめっちゃ怖い……!うぅぅ…目隠ししたいッ!」
らんらんとこちらを狙う目が怖すぎて思わず非現実的な事を言ってしまう。
「目隠し……目潰し…?……ハッ!」
ラナちゃんが何かに気付いた。
「リナ様ッ!精霊魔法で風を使ってこのブランケットをホワイトベアの顔に貼り付けれませんかッ?」
ひざ掛け用に置いてあったブランケットを持ってそう尋ねてきた。
「風華ッどう?やれそう?」
(それくらいならどうということもないぞ?)
「ラナちゃん、やれるって!」
「何秒くらい貼り付けていられますか?」
(一分程じゃ。)
「一分位だって!風華凄いッ!」
(練習すればもっと複雑な事もやれるのじゃぞ?)
胸を張る風華を見る事が出来ないラナちゃんはブランケットを広げて馬車の窓を開けた。
「リナ様ッ窓から投げればよろしいですか?」
(できるだけ広がるようにしてくれ)
「広げて出してってッ!!」
「わかりましたッ……離します!」
ラナちゃんのその言葉を合図に馬車の窓から出されて広げられたブランケットは、風に乗ってヒラヒラとビッグホワイトベアの方に漂って行き、直後ベアの顔に張り付いた。
「グァァァッガァァッ!!」
突然の目隠しにホワイトベアは走るのをやめ、顔に張り付いたブランケットを取ろうともがき始めた。
だが魔法で張り付いているブランケットは少しもズレず張り付いている。
たかが一分。
されど一分。
その場でもがいているホワイトベアを置き去りにし馬車は何とか逃げきれた。
「た、……助かった……。」
車内からホワイトベアが追ってこない事を確信した二人は、抱き合って床に座り込んでどちらともなく呟いた。
それからさらに十分以上馬車は早足で走り、道の横に出来ている休憩用の空き地にたどり着いた。
さすがに馬達に水を飲ませようと、御者は休憩する為に空き地に止まった。
道の横の空き地には水が補給できる水場が東屋の中に出来ており、リナリア達以外にも冒険者のパーティが昼食休憩していた。
御者のおじさんは馬車から馬を外し馬用の柵に繋いで水を汲みに行った。
「私達も用意してもらったお弁当をいただきましょう!」
馬車の荷物入れの中をのぞくとお弁当のバスケットはひっくり返っていた。
そりゃあね。
アレだけ跳ねたんだもの。
荷物なんてシェイク状態よね…
くしゃくしゃの他の荷物を適当に退けて弁当のバスケットを取り出す。
普段、こういった事は侍女やメイド達がやってくれるので、自分で荷物を取り出すとかとても久しぶりだ。前世ぶりだろうか。
バスケットを開けるとサンドイッチだったとかろうじて分かる物が入っていた。だが食べられないことはないギリギリなラインの残念具合だった。
それでももう少しで弁当なんか食べられない状態だったかもしれないと思うと、ありがたく思う。
「ラナちゃん、お水汲んでこようか。」
コップを持ってそう声をかけると、ラナちゃんが慌てて立ち上がった。
「水なら私が汲んで来ますよ。リナ様は座っていてください。」
「何言ってるの?私だって水くらい汲んでこれるわよ?」
「そうではなくて…貴族のお嬢様があの冒険者達に近づくのを止めているんです。」
「…だから水汲みに行くんじゃない。」
私は小声でそう答える。
冒険者という職業にも前から興味があった。
だが前回の炊き出しの時には挨拶以外で会話らしい会話をさせて貰えなかった。
今回はいっぱい会話出来ると思ったら誘拐犯だった。
貴族令嬢だからこそ、こういうチャンスは逃せない。
「ほ、ほら。こういう身の回りの事を自分でやるのは学園に入る前には身につけておかなきゃいけないのよ?」
「……」
「そ、それに…さっきのクマのことっ!言っておいた方が良いわよね!?」
「……そうですね。」
ラナちゃんは諦めを含んだ声色で返事をした。
私はラナちゃんと二人で水場に向かった。
水場に向かいながらその近くで休憩している冒険者達を観察する。
男女混合の六人パーティだ。
「…リナ様、あの人達って……」
ラナちゃんが何かに気付いて話しかけて来た時、その冒険者達の一人と目が合った。
「…!?」
私がハッとするのと同時に、向こうも立ち上がって走り寄ってきた。
「あぁ、やっぱり!確か…『灯火』の…チェニスさん!?」
そう。
去年の秋の炊き出しの時に手伝ってくれた冒険者パーティのリーダーの人だ。
「お久しぶりです、シャルマーニのお嬢様。」
チェニスはそう言って礼をした。
「水場にみえるのがどんな冒険者の方だろうと緊張していましたが、思いもかけず見知った方々で安堵致しました。」
「……ワクワクしてましたよね?」
小声でつぶやくラナちゃんをまるっと無視して侯爵令嬢としてのよそ行きの言葉で話す。
「そうだわッ!ちょうど良いから私達も御一緒させてもらってもよろしいかしら?」
「「えっ!?」」
リナリアの提案に明らかに困惑の混じった声が返ってくる。
私はそれに気付かないフリをして強引に話を続ける。
「ちょうど今からお昼をいただくところで…私達二人だけですし。こちらにバスケットを持ってきますね!」
「あ、私が取ってきます。」
「ありがとう。じゃあ水を汲んでおくわね。」
「えっ…えっ!?」
私達のやり取りに呆気にとられたチェニスを置き去りにラナちゃんはバスケットと地面に敷くためのブランケットを、私は飲むための水をコップに汲むために二手に別れた。
チェニスは我に返ると慌てて仲間の所に走って行った。
「ホワイトベアが追いかけて来た!?」
私は『灯火』の輪の中に(無理やり)混じってサンドイッチを食べながら先程の事を話した。
「この時期にホワイトベアが出るのは不思議ではないが……馬車を追いかけるなんて聞いたことないぞ?」
大剣をすぐ横に置いた剣士が首を傾げる。
私が精霊魔法を使えると知られるのはダメだとユリウスに言われたのを思い出したので、その辺はボカシて伝えたが、ラナちゃんもそこにはあえて触れないので彼等には誤魔化せれているのだと思う。
「とても恐ろしかったです。」
「ああ、向かってくる獣は怖いですよね。」
「とても大きかったんです。」
「ビッグホワイトベアですよね……でも目は光ってはいなかったと。」
私の言葉に頷きながら返事をするチェニスにラナちゃんが情報を補足する。
「はい。目は普通でした。だから多分ビッグホワイトベアで間違いないと思います。」
「ワイルド種だったら今頃ココには居ませんでしたね。」
サラッと怖いことを言う。
つまりそれだけワイルド種かそうでないかで脅威度が変わるということだ。
「まあ、ワイルド種じゃないなら俺らの敵じゃねえな……ないです。」
身軽な格好の男の言葉に、横に座っていた女性が足を踏んで言葉遣いを訂正させる。
「さすがですね!それを聞いてとても心強いです!」
そう相槌をした時、森の中から叫び声が響いた。
私が振り返ると森から走り出て来る全身血塗れの御者と、その後ろからのそりと立ち上がる大きなホワイトベアを見た。
シロクマパニックまだ続きます。




