母様からの通告
姉様とカインが雪まみれになって遊び回り、僕がキースの言葉に少なからずショックを受けた日の夕食後。
食後のサロンはブリザードに襲われていた。
腕を組み立ったままの怒れる貴婦人ーーー母様の前で項垂れる姉様。
姉様は今日の行動をガッツリ叱られている所だった。
メイドから報告が有ると分かっているだろうに、何故怒られることをするのか....?
「リナリア、貴女が反省すべき事柄を述べてみなさい。」
今日の母様の怒りはいつもと違い、表情は固く両眼は細くすがめられひたっと姉様を見据える。色白で息子の僕から見ても琉麗な造形の顔は一切の感情を感じさせないほど無表情で、一切の言い逃れを許さないかの様に姉様を凝視している。さらに機嫌のいい時は鈴を転がすようと形容される声色は熱を失った冬の風よりも低く、冷たく淡々とした口調で、ーーーまるで極寒の雪山の吹雪の様に、冷た過ぎる怒りのオーラが部屋中を満たしていた。寒さで身を切られるような....と表現されるくらいの冷気が母様の憤怒によって形成され、見えざる氷刃が飛び交っている様に感じる。
直接怒られている訳でもない僕にまでその怒りの大きさが感じられた。
アカン。
コレは下手に口を挟むことも出来ないヤツだ....
いつもは娘大好きな父様も今日の母様を前にしては、姉様に助け舟も出せず書類を読むふりしている。
「ら、来客が有ると知りながら運動着で遊んでいた事....です....」
姉様が青い顔をしながらか細い声で答える。
怜悧な表情の母様は組んだ腕に指をトントンと当てながら、
「........あとは?」
ムチの様な母様の次を促す冷えきった声。
「....で、殿下が来るのを、誰にも教えなかった....事....」
えっ?
カインが来る事知らなかったの、僕だけじゃないの!?
トン....トン....
「........あとは?」
ヒョオオオオオオーーー.........
吹雪く音が聞こえる気がする。
「あと?....えっ、あと........?」
姉様が言葉につまる。
僕もそれぐらいしか思いつかないんだけど....
「....そう....きれいさっぱり忘れているのね。」
母様の声色と共に体感温度もどんどん下がっていく。
あれ?ストーブってついてるよね?
姉様は思い当たる事柄を探しているのか、目を左右にキョロキョロさせている。
「私は今日、お茶会に出かけた先で参加されていた他のご婦人方から思いもよらない言葉を聞かされたわ。」
母様、今日はご婦人方のお茶会だったんだ。
何を聞いてきたんだろう?
トン....トン................
「先日の王宮お茶会でーーー....」
すぅっと息を吸って母様が言葉をつむぐ。
「ーーーリナリア、貴女カイン殿下としかほぼ交流して無かったとか?」
姉様の身体がビクッと跳ねる。
あー....確かに姉様はほぼカインとしか会話が弾んでなかったな....途中で忠告したのにな....
「ユリウスがカイン殿下の従者になり、ほぼ毎週のように我が屋敷においでになってあなた達と交流を深めているのは大変喜ばしいことですーーー」
「ーーですが」
「だからと言って他の方との交流を怠って良いことにはなりません。」
「........はい....」
シュンッと項垂れる姉様。
「しかもッ」
語気を強める母様
「あろう事か、同じテーブルに殿下の婚約者候補のベルアーニャ侯爵令嬢が同席されていたとか?」
「....えっッッッッ!!」
驚く姉様。
ん?
なんでそんなに驚くんだ?
「カインとフローレンス様って婚約してたの!?」
姉様....知らなかったのか........
いやまあ、正式発表はされていないけどね
姉様が知らなかったと知った母様が肩の力を抜くようにため息を着く。
「....ああ、そういえば春からこっち一度もお茶会に行っていないのだったわね。....ええ、私の参加しているお茶会ではそういう情報になっているわ。」
母様のブリザードが少し和らぐ。
「あちゃ〜....」
「あちゃ〜ではありませんッ!言葉が乱れてますよっっっ!」
姉様のうっかりな相槌をピシャリと叱る母様。せっかく弱まったブリザードがまた戻ってきた。
「今日のお茶会で貴女が殿下の婚約者を差し置いて殿下を独占しているだの、実は婚約者として内定しているだの、従者のユリウスだけでなくリナリアの婚約でシャルマー二家が次次代王家を牛耳るだのっっ!!憶測でとんでもない噂が広まっているのですッ!........はぁ....」
母様が喋りながら貯めていた鬱憤をため息と共に吐き出す。
そ、そんな噂が....
「殿下や貴女がどう思っているかはこの際問題では無いのです。我がシャルマー二家は宰相の役職を担っている家、宰相とは王の意向と民の間に立ち国政を補佐する役目を負うもの。そんな我が家が必要以上に権力を持てば憶測だけで反発する勢力が増えてしまう。適度な距離感でお父様が頑張ってバランスを取っているその我が家が王家を牛耳るだなどと!噂だけでも到底許容できるものではないわ。」
母様の怒りの根底には我が家の立場を守っている父様に対する誇りと理不尽な噂に対する苛立ちと、迂闊な姉様への怒りがあったのだ。
ちなみに父様はこの母様の言葉に感極まって乙女の様に口に手を当てながら涙ぐんでいる。
....キモイ....
「ーーーという事で、早急にこの理不尽な噂を払拭するために一刻も早くカイン殿下に婚約者の決定とお披露目をしていただけるように、(クルリと振り返り父様を見て)ユランタスとユリウスは王家に働きかけて下さい。」
母様が父様と僕にとんでもないパスをよこしてきたっ!?
「「えっ!?」」
これには父様も驚きの声を上げた。
「それからリナリア、貴女は来年から学園に入学させます。」
「「「はっ!?」」」
姉様と僕と父様の声が重なる。
「春になったら身の回りの生活を一人で出来るように訓練するために、私の実家のスタンフォール辺境伯領に行きそこで生活しなさい。」
「えっ!?」
「ちょ、ちょっと待ってカナリア。リナリアにはまだ早いってこの前二人で話したじゃないか!?」
姉様以上に驚いて反論する父様。
突然すぎる母様の発言にもはや返事すら出来ない姉様。
春になったら姉様が居なくなる....
その事に呆然としてしまう。
遠くで父様が必死でなにか言っているが耳に入ってこない。
姉様は僕と一緒に入学するんだと、姉様のフォローは僕がしなくちゃと、勝手に思い込んでいた。
まさか僕より先に姉様が学園に行く事になるとは....
「とにかくッ!噂を払拭する事が一番の重要な事柄です!リナリアは殿下と接触禁止。これは絶対です!ユリウス、殿下には貴方からお伝えしてちょうだいね。」
母様の決定に誰も反論できず、その日は呆然としたまま寝たのだった。
翌日僕は意気消沈して王宮に登城した。
挨拶もそこそこに昨日の話をしたら、カインの顔色が青ざめた。
「そんなっ....接触禁止だ....と?」
「母様が言うには、宰相である我が家にこれ以上の王家との繋がりは過分だ、と。」
接触禁止の理由にカインが小さく震える。
ショックを受けているのがよくわかる。
僕だって昨日どうやって寝たのかよく思い出せないのだ。
だが、言わなければならない事はまだ有るのだ。たとえそれがさらにショックを与える事になってしまうとしても。
「それで....姉様は来年から学園に入学する事になって....」
「学園に....入学!?....だっ、だがそれは、夏終わりからだろう?」
「ええ、入学は夏終わりだけど....その前に入学準備のために、スタンフォール辺境伯領に行くようにって....」
「スタンフォール辺境伯領!?」
それまでうつむき加減だったカインがギョッとした顔でこちらを向く。
「なんで....そんな辺境に....?」
「スタンフォール辺境伯領は母の実家なんだ。姉様はそこで寮生活の訓練をしなさいと母様に言われていたよ。....ああ....姉様が遠くに行ってしまう....」
「そんな....ではリナリアは、いつスタンフォール辺境伯領に行くのだ?」
「春になったら、と。」
「春....あとふた月か....このままリナリアに会えないまま学園に入学してしまうというのか....」
悲壮感たっぷりの呟きをこぼし、うつむいて黙り込んだカインにどう言葉をかけようか悩んでる間に、座学の先生であるエバンス=ドゥルーガ卿が入って来たので僕らはひとまず午前の授業を受けた。
「思い出したんだが、リナリアは確かベルアーニャ嬢と一緒に王宮に遊びに来る約束をしていたよな?」
エバンス先生の授業が終わるやいなやカインが確かめるように僕に聞いてきた。
「そういえば....そんな話をしてたな....」
お茶会の最中に何がどうなってか、ベルアーニャ嬢が姉様を誘って王宮に遊びに行く、という予定を入れていた。
「じゃあその時は会えるよな?」
カインは一筋の光を見つけた様に明るく同意を求める。
「確かに、母様もベルアーニャ嬢からの招待でなら断わらないと思うけど....」
「じゃあその時に何かシャルマー二侯爵夫人が断り難い理由をつけて接触禁止を解いてもらえば?それならいけるかも!?」
カインは何とかして接触禁止を解いてもらおうと理由を考え始めた。
だが、果たして母様を説得出来る様な都合のいい理由なんて有るのだろうか?
疑問はもう一つ有る。
そもそもカインの内々の婚約者候補のベルアーニャ嬢が、王子ととても親しげに盛り上がる姉様に、何故一緒に王宮へ行くなどという提案をしたのか....?やはり婚約者候補としては面白く無いから何かしらの牽制の意味があったのだろうか?だが、カインは婚約を破棄する予定だと言っていたし....
ん?
婚約する気がない....って事は、カインと姉様の噂が払拭される事も無いのでは....?
むしろ、姉様と婚約する為にベルアーニャ嬢との婚約を破棄したのかも?って言われちゃうのでは....?
僕はそんな恐ろしい予想に気付いて、恐る恐るカインに聞いてみた。
「あの....カインってベルアーニャ嬢と婚約するつもりが無いって言ってたよね?」
「ああ」
何を言うのか?といった顔でカインがうなずく。
「母様の話だと、女性のお茶会では婚約者はベルアーニャ嬢だって話が定着してるらしいよ?」
「えっ!?....嘘だろ....」
僕の言葉にギョッとするカイン。
「母様的にはそこでの噂の払拭が第一の目標だから、その噂が払拭されない限りは接触禁止を解いて貰えないのでは....?」
「エッ!?そんなの....無理じゃん。」
あまりにも困難過ぎる現状にカインはがっくりとうなだれる。
僕もそう思う。
そもそも事実でもないのに、さも決定事項かのように話が流れるのが社交界だ。
その噂の真偽をどれくらい正しく確かめる力があるかどうかが、貴族の力量とも言われている。上級貴族ともなれば噂を操作して社交界を渡っていくのが当たり前とすら言われているのだ。
まだデビュタントもしていない僕らではその噂の払拭どころか、噂の上書きすらままならない。
それこそ王家による公式発表ぐらいしか噂の払拭なんて無理なのである。
「あああああ....どうすればいいんだ!?」
目の前の壁の高さに思わず頭を抱えるカイン。ふと、僕は根本的な疑問を口にした。
「そもそもベルアーニャ嬢との婚約の何が問題なんだよ?」
何となくカインがベルアーニャ嬢と距離を置いているのは分かるのだが、その理由を僕は知らされていない。
姉様と会えないことが寂しいという理由だけでここまでカインがショックを受けるのも、よく考えると少し大袈裟な気もする。
普通は婚約者候補以外のご令嬢とは、お茶会以外で顔を見ることすらないはずなのだから。
つまり、カインが姉様とあんなに打ち解けるほど会っていることがおかしいのだ。そうでなくても遅かれ早かれカインと姉様は会えなくなっていたはずだ。
今は従者である僕との信頼関係を構築する為にカインがお忍びでシャルマー二邸に遊びに来ることを黙認して貰っているが(むしろそれがしたくて僕を従者にした様なものだし)、学園入学前には僕もカインも入学準備のために泊まり込みで学生寮生活の練習をしなければならなくなる。そんな頃には婚約者でもない姉様とカインは会う事すらままならない予定なのだから、今回の接触禁止は僕らの予想より早いだけで、来るべき事態である事には変わりない。
僕にとって自宅に帰っても姉様と会えないという衝撃に比べれば、カインの接触禁止はそれ程の痛手とは思えない........と思ってしまうのは少し心が狭いだろうか?
僕の問に少しバツの悪そうな顔をして、カインは答えるのを渋っていた。
リナリアはちょっと貴族令嬢としてやり過ぎてしまいましたね。
そりゃ怒られるって(笑)
そしてとばっちりは姉様大好きユリウスと、流れ弾に盛大に被弾したカイン殿下。
今年も月1ペースで頑張って投稿したいと思います。
よろしくお願いします。