プロローグ 期待の朝
今後の展開はふわっとしか考えていません。まぁ、でも出来る限り頑張って書きます。
私にとって、あの人は心から愛した唯一の存在だったのだ。自分がこんなありきたりな言葉でしか己の感情を表せないなんて俄には信じられない。でも、彼に対する私の感情はそんな陳腐でチープでありながらも、持っているだけで暖かくなる特別な物だった。
何時からだったろうか。この世界は自分には生きやすく出来ていないのだな、と気付いたのは果たしていつ頃だったろうか。それは恐らく自分が考えているよりもかなり早い時期だと思う。
何だっただろうか。この世界と自分の間にズレが生じている、と気付いたのはどのようなキッカケだろうか。それは多分思ったよりも些細な物だったと思う。
例えば、友達と公園で遊んでいる時、好きな色の文房具を見つけ親に欲しいと言った時、修学旅行の夜に友達と恋バナをした時みたいに、本当に些細で取るに足らなくて見落としてしまう程微細で微小なズレ。
そのズレが重なり合って共鳴し合って掛け合わさってそれはきっと私をこの世界から弾き出してしまう程の崖を形成してしまったのだろう。まるで雪山に突如として表れるクレバスのように。それは底が見えない真っ暗な落とし穴。
だから、きっと彼は私にとって深く暗い穴に向かって手を差し伸べてくれる唯一の存在なんだ。
彼と私が出会ったのは茹だるような暑い日だった。朝目が覚めた時部屋の中はクーラーの人工的な冷気が満ち足りていた。窓の外は目が眩むほど強烈な日光が降り注いでいた。私は短くため息を吐くと枕元に置いてあったクーラーのリモコンでかりそめの清涼感を消した。
リビングに降りると案の定誰も居なかった。父親が新聞紙を捲る音や母親が朝ご飯を調理する気配は微塵も無い。いつもの事だ。外は嫌となるほど明るいのに対し我が家は黄昏時に取り残されたみたいに暗かった。
私の両親はどちらも共働きだ。朝は私が起きるよりも早く家を出て、夜は私が丁度眠りに着くころに帰宅する。その為、ここ三日は真面に顔を合わせていない。別に親子中は不和では無いと思う。親に愛されてないと思わないし、親を嫌いとも思わない。でも、ふと思う事がある。私にとって親の位置についている人はもしかしたら誰でも良いのだろうと。もし、ある日突然今日から貴方の両親は変わります、と言われたとしても自分は、ああそうですか、としか言えないと思う。それはきっと内の両親も同じなのだろうと考えてしまう。伽藍洞なリビングを眺めながら私はそんな不毛な思考に浸っている頭を左右に振る。悪い癖だ。一人になるとついつい憂鬱な思考が頭を擡げてしまう。
私は眠気と憂鬱の狭間に浸りながら台所に赴き、市販の食パンをトースターに入れる。その間、顔を洗い、寝ぐせを直し、学校の制服を着て、焼き上がったパンを牛乳で流し込み、歯を磨き、髪にワックスを掛け、家を出た。
いつもの日だったんだ。「いつも」というガラクタ山に埋もれてしまうぐらいにいつも通りの一日の始まりだった。家の扉を閉め、春の終わりと初夏の間に介在する生暖かさを感じた。空を見上げる。
「ああ……」
無意味な声を咽喉から発する。声と言うには些かお粗末な音の波状。今日も学校に行って、つまらない授業を受けて、友達と薄っぺらい会話をして、誰も居ない家に帰る。
いつも通りだ。笑ってしまうぐらいの日常で、死んでしまいたくなるほどの日々。だからだ。私があんな事を考えたのはきっとこんな日々だっただからだ。でも、私はこの日の自分の決断を手放しで称賛してあげたい。この日、この時、この瞬間の私に魔が差したおかげで私はあの人にで当てたんだから。
突き刺す太陽を眇めながら茫々と考えた。やめよう。今日だけは全部の事をやめちゃおう。学校に行くのをやめて、誰かに合わせるのをやめて、自分自身に嘘を吐くのをやめてしまおう。思い付いたのは一瞬だったかが、思い続けたのは永続だった。
私は急いで踵を返し、再び家に入った。自分の部屋に急いで駆け上がり、制服を脱ぎ捨て、ずっと来たかった服を身に着けた。部屋の姿見で自分を眺める。ずっと着たかったが、着る機会も着る勇気も無かった服。今日ぐらいは良いだろう。私はそう自己解釈を告げて、ふっと微笑んだ。思ったよりも似合ってる。その事実が私の胸中の中心部を優しく響かせる。
「やっぱり、髪は伸ばした方が良いかな……」
自分の髪を一撫でする。この服にはやっぱりある程度の髪の長さが必要と思ったが、そんなすぐに髪の毛が伸びるはずが無い。だから、今日は仕方ない。このままで行こう。大丈夫、知り合いにある事も無い。これから私が出る外は多分いつもよりも生きやすいだろう。私はそんな事を漠然と考えながら、外に出た。