推理劇場までの道のり
時刻は18時30分を過ぎた。
明石紫音は独断と偏見で『今日中に解決してみせるから、勝手に帰宅した場合、自動的に犯人とみなし、教師に言いつける』などと一方的な宣言をしたため、辟易とした態度で、クラスメイトたちが各々着席した。
つまり、各々が部活動に勤しんだ後、「自主的に」授業の復習をするために、1年A組へと舞い戻ってきた、という建前を作り上げた。
もちろん、クラスメイトたちも馬鹿ではないので、明石を無視して帰宅しようとする人もいた。
しかし明石もまた馬鹿ではない。むしろその小賢しさを利用することで、校門前で待ち伏せをし、強制的に教室へとクラスメイトたちを誘った。
そして、現在。
一部の生徒とは一悶着あったが、表面上はおとなしく席に座っていた。
俺はチラッと、教卓に寄りかかるようにして頬杖をする明石を盗み見した。
好奇心の強いぱっちりとした目や肩にかかるほどのミディアムボブの髪の隙間からチラチラと見える白い頸は、一見可愛い女の子に見えた。
こうしていれば、可愛いんだがな。
ただ外見以上に、性格が破綻していることを、今回の件で少なくともクラスメイトたちは認知しただろう。
元々、同学年の同じ中学校出身者からは距離を置かれていた節があるようだから、今回の件でその化けの皮が剥がれたと思えば、ザマアミロ、と思わなくもない。
それは主にその美貌と理知的な頭脳を持っており、親が警察官だかなんだかで完璧超人として畏怖されていることが主な原因だったそうだ。
誰かがそう言っていたのを思い出した。
まあ、すでに俺にとって明石紫苑は、厄介なクラスメイト以外の何者でもない。
入学時はその外見に騙され、歩み寄ろうとした。
もちろん、今になっては軽いトラウマだ。
そういえば、下心を持って明石に近づいた男子生徒が次の日には転校したなどといった噂も流れていたな。
果たして誰がそのような明石を陥れるような噂を流しているのかは判然としないが、いずれにしても、あの面倒な性格と可愛い容姿とが相まって、大半の女子生徒からは嫉妬のようなものを抱かれていることは間違いない。
そう、だから近い未来、クラスで孤立してしまう可能性があると思ったのだろう。
日頃から、桃山玲が明石を気にかけて話しかけている光景を見る。
明石紫苑と親しい同性の友達––––桃山玲。
二人が談笑しているだけで、サマになる。
自動的に、ゴキブリホイホイのように、その麗しい外見に引き寄せされた同級生や上級生たちが、無謀にも桃山玲だけでなく、明石紫苑にまでも告白をしてしまうという失態を犯しているわけだ。
本当に気の毒なことだ。
もちろん、この場合、気の毒なのは、明石に告白をする男子生徒のことだ。
明石の信念はミステリーオタクを通り越して、事件という事件--事件と呼ぶには烏滸がましい些細な問題にさえ首をツッコミ、問題をかき乱して、時には問題を解決することで、その推理を発揮するのだから。
ただし、ほとんどの場合において『迷』という枕詞が付く推理を披露していたが。
では、なぜそのようななへっぽこな自称天才探偵が今まで少ないながらも問題を解決してきたのか。
それは俺が多少なりともまともな助言をしているからに違いなかった。
もしも俺がいなかったら、今以上に迷推理を発揮し、事件をさらに奇々難解な迷宮へと誘うことになっていたことだろう。
これは別に自慢でもなんでもなく、単なる事実だ。
むしろ、二次被害を抑えるために俺が東奔西走していると言っても過言ではないだろう。そう言った意味では正直感謝して頂きたいと思わないではない。功労者として労ってほしいくらいだ。
いやしかし、俺という一個人が犠牲になることで、多少なりとも人の役に立っていると仮定すれば、やりがいが全くないとまでは言わない。
これも将来公務員となった時の住民からの苦情対応への練習であると割り切ったら耐えられないほどではないと、思うことにしている。
などと、ミステリ研究会の会長さんの愚痴を言っている場合ではない。
いつまで経っても始まらない『迷』推理劇場に痺れを切らして、1人の女生徒が席を立った。
「あのさ、私この後、用事があるんだけどっ!」
星野蓮香は金色に近い茶髪を靡かせて、明石を威嚇するように睨んだ。
読者モデルの仕事をしているようで、ファッションが先端なのか、なんだかよくわからないが、水色のアクセサリーが両手首に巻かれている。
短いスカートの丈が揺れて、色白い肌がこれでもかと艶かしさを強調していた。
スクールカーストトップに君臨している女の子––––星野蓮香は猫のような瞳を俺へと一瞬だけ向けてから、また明石へと視線を戻した。
「だから、私これから撮影があるの。とっとと帰らせてくれない?あんたらみたいに暇じゃないんだけど!」
「……」
「ちょっと、何無視しているのよ!?」
「え?私に言っていたの?てっきり、藍沢にアピールしているのかと思ったわ」
「な、全然違うから」と星野蓮香はチラチラと俺へと視線を向けながら、頬を朱色に染めた。
そんな反応すると、本当に俺のことが気になっているかのような誤解を与えることに彼女自身は気がついていないらしい。
この高校は一応ある程度の進学校であるから、地頭は賢いはずなのだが、自分の行動を客観視することは苦手なようだ。
「おい、明石、とんでもない推理––––いや妄想をするな。当てずっぽうにも限度があるだろうが。星野さんともあろう読モが俺ごとき地味人間に興味を持つわけないだろ?だから––––」
と話の途中だったのだが、星野蓮香は何故か今にでも怒りを爆発させそうなほど鋭い視線で、俺を睨んできた。
おっと、何か気に触ることに言及してしまったらしい。
おっかないことこの上ない。
「こほん……早々と『事件』の解決とやらを行っていただけないでしょうかね、会長さん?」
俺は捲し立てるように言葉を変えた。
断じて星野蓮香というスクールカーストトップの存在から睨まれ、始まったばかりの高校生活なのに、今後陰口を言われることを恐れたためでは決してない。
しかし明石はなぜか「わかってないな、こいつ」みたいな呆れたように首を横に振った。
「さすがに鈍感すぎるでしょ、あなた……」
「トンカン、過ぎる?そんな意味不明な受け答えしている場合ではないだろ?とっとと、話を進めてくれ」
トンカンが何を意味するのか判然としないが、俺はとりあえず、教室内に残っているクラスメイトたちからの「早く帰らせてくれ」という無言の訴えを代弁した。
明石は『やれやれ』と呆れたような顔を俺に向けた。
「……?」
「……はあ、何でもないわ」と何故か呆れるように呟いてから、俺から視線を逸らした。そして、教室を見渡した後、桃山玲に向けて言った。
「……時間がないから真相解明の時間といきますっ!」
「えっと……はい、お願いします」
桃山玲の心配そうな視線が、一瞬俺へと向けられた。明石はそんな些細な様子など気に留めることもなく「うんうん」となぜか得意げに頷いた。