十重の皮
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふーむ、「まだ生きているので、埋めないでください」か……。
ああ、先輩お疲れ様です。そろそろあがりですか?
いや、ちょっといま新作を練っているところなんですよ。とはいえ、取材段階なんですが。予定しているのは「新・早すぎた埋葬」です。
早すぎた埋葬といえば、ポーの書いた短編小説。生きているまま、土葬されてしまうことへの恐れを書いた一作ですね。
当時の西欧では土葬が主流だったばかりでなく、検死技術も今に比べれば、まだ未発達。体温、呼吸、脈などが死人に近いものであれば、すぐ埋葬に取り掛かる可能性があったようですね。
結果、土の中で息を吹き返してしまい、抜け出すことも叶わず、改めて苦しい死を迎える羽目になってしまう……と。
意識を失っている間は、いかにも無防備。家屋でも他の人でも、何かしらが守っていなければ、忍び寄る魔の手を感知することさえできないでしょう。
ですから、眠る前の備えもまた、古来たくさんあるようですよ。
私が最近聞いた話なんですけど、先輩も耳に入れてみませんか?
むかしむかし。
とある山村に住まう男性の一人が、行方不明になりました。
朝、家族が起きてみると、寝床がもぬけのからになっていたというのです。昨晩に眠るまで、どこもおかしいところは見受けられなかったとのこと。
夜陰に乗じた人さらいの可能性もあり、近辺が捜索されるも手掛かりは見当たらず。ふた月もすると、よくある神隠しとして家族にも踏ん切りがつこうとしていたそうです。
しかし、事件より半年後。
冬を控えて薪の準備をしようと、村人たちが多めに木をこり出した時でした。
いつもより、やや奥まった木の一本。そこにまさかりを打ち込んでいた村人のひとりが、突然、悲鳴をあげて尻もちをついてしまったんです。
何度か打ち込まれ、深くなり出していた木の幹の傷。そこから真っ赤な液体が流れ出てくるではありませんか。
錆びた鉄にも似た臭い。これが血であることを疑い者はいなかったようです。
何人もその傷を改めたあと、まさかりを打ち込むのではなく、小さい鉈でもって、なかば砕くようにして外皮が削られていきました。
やがて、その刃先へ不自然に引っかかる突起が。
それに沿う形で、ゆっくりゆっくり樹皮をはがしてみると、出てきたのは幹から彫り出したかと思う、男の胸像が出てきたのです。頭から足に至るまでの全身が、表面へ浮き出ていました。
先ほどまさかりが打ち込まれた箇所は、男の右すねに相当したんです。そして、その姿は行方不明になった男とうり二つでした。
――血が出たということは、いまだ生きているということではないか?
すぐさま村人たちが集まり、彼の身体を型抜きのようにして、削り出し始めます。
彼の身体は、完全に木と同化していたわけではありません。あくまで棺のようにして、木の中へ埋められていたのです。
幹と全身とのつながりが刃によって絶たれると、一足先に外れ、倒れていく幹の表面。それに遅れて、あらわになった彼の身体が前にのめっていきました。
微弱ながら、彼の息はありました。
速やかに手当てがなされ、介抱される彼でしたが、その意識が完全に戻ることはなく、数日後に息を引き取ってしまったそうなのです。
しかし、それまでの彼はうわごとをいくつか漏らしました。
「たくわえよ……まだ見ぬときをたくわえよ……」と。
その言葉に反応したのが、村でも最年長の年寄りでした。
彼はまだ小さいころ、同じような言いつけを、親より聞いたというのです。
いわく、人がものを蓄えるように、ものが人を蓄えることもあるのだと。
人の命に対し、木々をはじめとする、ものたちの命はあまりに長い。生涯、出くわさずにいられる子もいようが、偶然にかち合ってしまう者も現れる。
もし、そのように蓄えられる側にまわるときが来たならば、こちらも相応の支度をして備えるべし、と。
私が聞いたところ、その備えは「十重の皮」というようです。
その名の通り、十枚重ねの樹皮のことで、十種がそれぞれ別の木から採れたものであるほど、よいとのことです。
樹皮は一枚あたり、一反の広さを持つことが望まれ、木綿のような薄さへ削がれたうえで、十枚を重ねたものをそれぞれ枕もとへ置いておくよう、指示が出されたのだとか。
男を弔ってより、しばらくは同じようなことは起こらずにいましたが、およそ1年が経ったのち、第二の被害者が出ました。
今度は齢十二の少年。やはり家族が目覚めたとき、こつ然と寝床から消えていたのだとか。
足跡もなかったものの、枕元へ置いていた十重の皮は残っていたそうです。家族はそれをかかえ、村を中心に、森を構成する木々を見回っていきます。
そうして100歩ほど離れた木の一本に、それこそ人ひとりがすっぽり入れてしまいそうなうろが、あったそうなのです。
家族が手を近づけると、それを嫌がるかのようにうろは閉じ合わされ、切れ目を残すのみとなってしまいます。
しかし、あらかじめ老人から聞いていた通り、家族はその切れ目へ、薄く整えた皮を一枚一枚、投じていったのです。
切れ目はそれらをどんどんと飲み込み、とうとう最後の一枚が完全に差し入れられたとき。幹の反対側がにわかに盛り上がり出してきたのです。
あの男性が助け出されたときのように、浮き出てきた胸像は、子供の姿のものだったといいます。
しかし、今度は幹自らが押し出しているかのように、やがて木の表皮にひびが入り出し、ついには見事に砕けて、眠ったままの子供が地面へ倒れ伏したそうなのです。
その呼吸は深く大きく、眠っている者が見せる安らかなものだったとか。実際、翌朝に子供はちゃんと目を覚ますことができました。当人は、自分の身に遭ったことを覚えていなかったみたいですが。
この風習は、かの村で江戸時代まで続いたそうですが、大規模な山火事をきっかけに、かの土地に人が住まうことはなくなってしまったとのこと。
今は良かったとしても、将来、またそこを寝床にする機会がやってきたら、どうなるでしょうね……。