08
「おや、友利さんとあなたは先日の……どうしたのですか? 友利さんは今日、実習じゃないですよね?」
八角さんを連れて、図書館に来てみると、職員の方々はいつも通りの様子で仕事をしていた。おかしい。なんというか、こう、少しくらい慌ただしくなっていてもいいと思うのだけど。
「山内さん、この人は尾形教授のとこの院生です。話は聞きました。なぜ私に知らせてくれなかったのですか?」
すると、山内さんは罰の悪そうな顔をして、少し生えたあごひげをいじり出した。
「あー、それはですね……大事にしない方針で話し合ったのでね、正規の職員以外には伝えないことにしたんですよ。とりあえず書庫は書架整理で使えないということにしていますので、そこの点は来たときに伝えようかと思っていましたけど……しかしそうですか、あなたは尾形教授のとこの生徒さんでしたか。あ、自己紹介がまだでしたね。私は山内昇やまうちのぼると申します」
山内さんは私に説明した後、八角さんに視線を向けた。八角さんは山内さんに会釈をする。少し怯えているのか、動きがぎこちない。
「はい、あ、僕は八角計です。この度はうちの研究室がご迷惑をおかけしてしまい本当に申し訳ございません。駄目になってしまった本も沢山あると思うのですが」
「いえ、そこは何とかします。とりあえず今のところ怪我人が出ていないのが幸いですかねえ……」
山内さんはため息を吐いた。
「怪我人? 怪我するようなことってなんかありましたか? 本が襲ってくるとか?」
「ああ、友利さんと八角さんは見てませんでしたね。我々も確認したのは先程ですし」
そう言いながら山内さんはスマホの画面を見せてくれた。どうやら書庫内を撮影したようだ。
***
「なんです、これ……気持ち悪い……」
山内さんは友利さんにスマホの画面を向けている。友利さんは庭の大きめの石の下を覗いたかのような反応を示した。つまり不快そうな顔をした。気になって僕も覗こうとするが画面の反射でよく見えない。
「すみません、僕にも見せてください」
「ああ、失礼。どうぞ」
山内さんは僕に画面を向けた。
金属製の本棚、リノリウムの白い床、薄暗い蛍光灯。初めて見る画面越しの書庫の中の風景。初めて見ている景色なのに、明らかな違和がそこには写し出されていた。
床が、本棚の本が、ところどころ黒く汚れているのだ。まるで黒い液体が飛び散ったかのように。そして、中心にはそいつがいた。ミミズのような頭部、犬のような身体。背中からはイソギンチャクのような触手が三対、生えている。大きさは大型犬くらいだろうか。
「これって……」
山内さんは頷く。
「今朝、書庫に入った時にはすでに居ました。恐らく、インクの塊が一つの生き物として動き出したんでしょう……信じられないですけど。尾形教授の話を聞く限りはそうなのでしょう」
「これは尾形教授には知らせましたか?」
「ええ、もちろん。尾形教授はこれからインクがどうすれば動かなくなるのか調べるみたいです」
とりあえずそちらに行ってみては? そう山内さんは続けた。
「そうですね。無闇に書庫に乗り込んで、変にこいつを刺激してもいいことはないと思いますし……」
僕がそう返した直後、何やら物音が書庫の鉄の扉の向こうから聞こえた気がした。
「なんか変な物音が聞こえませんでした? ガリガリガリ~って感じの」
どうやら友利さんにも聞こえたらしい。山内さんが書庫の扉に近付いて、扉についている小窓から中を覗いた。
「うおっ」
山内さんは小さく驚いたのか、声をあげた
「どうしたのですか? そっち行っても大丈夫でしょうか?」
「え、ええ。どうぞ」
僕は山内さんに許可をとってカウンターの内側に入り、奥にある扉の小窓を覗く。
***
「うわっ……びっくりした」
窓を覗いた八角さんが小さい声で、そう言ったのが聞こえた。全然びっくりしたように見えない。
「どうしたんですか? 私にも見せてください」
私は八角さんにどいてもらって、少し背伸びして小窓を覗く。
「うわっ!」
小窓を覗いた瞬間、写真の黒い獣はいなくて、物陰か奥にいるのかと目を凝らした瞬間、窓の下からそいつの顔? が飛び出してきて視界が真っ黒になったのだ。この生き物は窓の外が気になるのだろうか?
「友利さん、気持ちは分かりますがここは図書館です」
思わず声をあげてしまったので山内さんに注意されてしまった。