05
司書業務を終えて、校門を出たところでスマホを確認すると八角さんからメッセージが届いていた。
『今日は突然すみませんでした。あの後は大丈夫でしたか? 怒られませんでしたか?』
あの後というのは山内さんのことだろう。小言を言われたがそこまでではなかったと伝えて数分、校門前の坂道を下ったところで返事がきた。
『そうですか、それはすみませんでした。改めて自己紹介させてください。僕は理学部の院生です。今回連絡させていただいたのは連絡先を訊いたのとは違うんですけど……、今日僕が返した本になにかおかしいことはありませんでしたか? その、ページ内に汚れがあったりとか……』
ページ内に汚れ? いったい何のことだろう。今日書庫に戻すときに簡単に確認はしたがそのようなものは見受けられなかったので「なにもなかったですよ」と送った。
すると即レスで返事がきた。
『そうですか、ありがとうございます。小さなことでもいいです、なにか変なことが起きたら教えてください』
私はそのメッセージを受け取って、とりあえず了解した旨を伝えた。そんな返事を送ったところで、歩行者信号が青になった。しかし変な事とは具体的になんなのだろうか? 私は少し不安になった。
***
友利さんから了解しましたと連絡がきたのを確認して、僕は彼女に嘘をついた罪悪感に苛まれていた。もう変なことは起きているのだ。
「失礼します、また同じ本を借りてきました」
「ああ、ありがとう……。その、さっき私に連絡したことは本当なのかい?」
真っ青な顔で尾形教授は尋ねてくる。
「ええ、本当ですよ。冗談にしては性格悪すぎます」
僕は手提げ袋から五冊の本を取り出し、実験机の上に置く。
冷房の効いた教室なのに、彼女は顔に汗を浮かべながら、本に手を伸ばす。
「見なきゃいけないとだよなあ、確認しなきゃ駄目だよなあ」
他には胃が痛くなってきたとかぶつくさ言いながら、使い捨て手袋を着けて、積まれた本を手にとって、一冊、また一冊と中身を確認する。そしてそれに比例するように彼女の真っ青だった顔はさらに青ざめて、さっきもかいていた冷や汗がさらに出て、手はプルプル震えていた。十分しないくらいかかっただろうか。彼女は全部の本の確認を終えて、椅子に座りこむ。その際、最後に手に持っていた最後の一冊を落としてしまう。開かれたページには文字と呼べるようなものはなくなっていた。
さっき図書館と研究室の間の道すがら確認した時は、触れても何もなかったが、僕も使い捨ての手袋を着けて、本を手に取る。表紙や背表紙などには何も影響がない。しかし問題があるのは中身だった。文字が他の文字と混ざり合って継ぎ接ぎのようになっていたりするのはマシな方で、紙が挟まっていた三冊目の液体を扱った本に至ってはカラーページを残した、黒いインクによる印刷すべてが、液体のようにページの下部に澱み溜まっていて、紙面上を蠢いていた。試しに本を傾けてみる。するとどうだろうか。重力に従う液体のように動いているではないか。なんだこれ。
「いや、待てよ……」
僕は文字が継ぎ接ぎになっている本の表紙を見る。この本は分子結合について書かれているようだ。すこし落ち着いた様子の教授がそれを覗き込んで、置いてあった動物図鑑の中を見た。覗いてみると文字が集まって、動物のような形になって、ページの中狭しと駆け回っていた。いや、実際に狭かったようだ。文字が継ぎ接ぎになっている手元の本の別のページを見てみたら文字の動物が継ぎ接ぎになった文字を齧っていた。
「本から本に移れるしなんならインク同士共食いするのね……」
教授がとても、本当にとても嫌そうな顔でため息をついた。さっきに比べたら少し元気になったようだ。
「この動物図鑑の動物が厄介ですね……勝手に本から本へ移っているようですし書庫内の他の本にも移っているかも……って、これ、図書館に連絡したほうがよくないですか?」
「でもスポンサー企業がどう言うかよね……あと学校よね……首が飛ばなければいいけど」
「教授、そんなこと言っているうちに文字やら本が飛ぶかもしれませんよ」
そう言うと教授は声にならない悲鳴をあげた。
「それはもっと困るね。覚悟決めるしかないか……とりあえず、偉い人達には私が連絡しておきます」
というわけで今日は帰っていいよ、と彼女は続けてどこかに電話をかけ始めた。