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黒い獣  作者: 田宮U
2/12

02

 僕が所属している研究室では、何年か前からどこかの企業と共同で「動くインク」というのを研究開発していた。今年から研究室に入った院生の僕は下っ端なので、実験の記録や図書館から資料を借りてきたり、返したりといった雑用しか任されていないけど、それでも毎日のように新しい発見があり、充実していた。


 しかしインクが動くなんてどうなっているんだろうか。紙に写った状態からランダムに、それこそ生きているように動く……今年から入った僕には詳しいことは知らされていない。


「ねえ、八角ほすみくん。ちょっといいかな?」


「はい、なんでしょう?」


 皆で研究室の片付けをしていたら、教授に声を掛けられた。手には本が五冊入った手提げ袋を持っている。


「片付けはいいからこの本を返してきてもらえるかな?」


「はい! わかりました!」


「返したらその後帰っていいからね。というか戻ってくるころにはやること残ってないだろうし」


 そう言って教授はカラリと笑う。


「そういえば教授。ひとつ聞いていいですか?」


 本当は山ほどあるけど。


「動くインクは何に使うんですか?」


「内緒さ。というか私もよく知らない」


「え? 知らない?」


「ほら、企業案件だからね。知っていても同じことを言うさ。守秘義務というやつよ」


 釈然としないが、僕は納得したふりをして研究室を後にした。






 五分ほど歩いて、研究室から大学内の図書館に着いた。


 僕は入ってすぐの、カウンターの向こう側にいる警備員に会釈をして、学生証を端末にかざす。すると数秒してゲートが開く。駅の自動改札みたいにもっと早くならないものかとも思うが……なに、贅沢は言うまい。きっと駅の自動改札が早過ぎるんだ。


 ゲートを通ってまず目に入るのは最近納入された本のコーナーだ。動物図鑑やらイラストの教本なんかが並んでいる。あとは社会学やら心理学の専門書だ。中には文字の歴史を取り扱った本もある。そういえば、この大学に文字の歴史を研究している教授がいるんだっけ。あとで借りてみよう。


 二階に上がって司書カウンターに向かう。すると、いつものように司書課程の学生と思しき子がそこに座っていた。


 肩にかかるくらいの黒髪に、オーバル型のメタルフレームの眼鏡。眠いのか、元々そういう顔なのかわからないがとにかく眠そうな顔をしている。可愛いというより美人な顔だ。正直好みだ。お近づきになれたらなあ……。


「あのー……」


「なんでしょう?」


 彼女が話しかけてきた。なんだろう?


「返却ですか?貸出ですか?」


 ……ああ、しまった。これでは不審者だ。


「ああ、すみません。返却でお願いします」


 僕は本をカウンターに置く。


「はい。五冊でよろしいでしょうか?」


「はい。お願いします、期限大丈夫ですか?」


「そうですね……ちょっと待ってくださいね」


 そうして彼女は本に貼ってあるバーコードを機械で読み取る。無機質な電子音が一定のリズムで鳴る。


「……はい。大丈夫ですよ」


 そう言って彼女は微笑んだ。


「ありがとうございます」


 僕は会釈をして一階に降りて、文字の歴史の本を手に取って、二階のカウンターにまた向う。当然だがそこに彼女はいた。


「今度は貸出ですか?」


「そうですね」


 そう言いながら僕は本を差し出す。すると彼女は「あっ」と声を出す。


「どうしたのですか?」


「いや、この本書いた人の講義受けているのでつい」


「そうなんですか! 面白そうですね」


 すると彼女は微妙な顔をした。


「いやあ、なんかよくわからないんですよ、話し方なのか内容なのか。聞いたことのない単語が出てきたり。ウルクってどこなのよってなりますね」


「ウルクって確か今のイラクだったはずですよ」


「そうなんですか!」


 彼女は目を丸くする。


「多分、メソポタミア文明とかじゃないかな」


「ほうほう、詳しいですね」


 ゲームででてきただけなんだけど、ここでは黙っておこう。


 そんな話をしていたら、カウンターの奥から身長が190センチはありそうな、格闘家のような風貌の中年男性の司書がやってきて、ドスの効いた低い声で話しかけてくる。


「友利さんとそこの方、ここは図書館ですよ」


「す、すみません!」


 彼女、もとい友利さんは司書さんに謝って急いで貸出の手続をする。


「すいませんお騒がせしました」


 僕も手続きの間に司書さんに頭を下げる。


「気を付けてくださいね、図書館ではお静かに」


 そう言って彼はカウンターの奥に戻っていった。いや怖すぎるだろ。


「すみません、私が話しかけたばかりに。どうぞ、貸出期間は二週間です」


 彼女は気まずそうな笑みを浮かべながら僕に本を渡した。


「は、はい。ありがとうございます」


 僕はそそくさとその場を去った。

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