お風呂
「先生、写真撮らない?」
ピンクのウィッグを被り長い黒髪を隠した蓮が洗面所の鏡の前で言う。
しかし、こんな二次元美少女カラーを容易く自分のものにするとは、持っているモノが違うな。
こんな桜より鮮やかな色、有り得ないぞ普通。
「俺がもし携帯落としたらどうするんだ。写真は無理」
「これじゃあ私ってわかんないよ」
「それ、何かのキャラなの?」
「知らない。お姉ちゃんのだし」
「そっか」
「ねえ、写真撮って。このカッコの私可愛くない?」
「いつも可愛いから特には」
「こっちお風呂?」
「ああ」
蓮が風呂場のドアを開け、何故か湯船に座り込む。
帰る前になるとまあ、いつもこんな調子だ。
だからいつも早めに帰すようにはしているが、気持ちはわかるから少しだけ好きにさせる。
帰したくないのは俺も一緒だ。
明日からは又先生と生徒だし。
「先生も来て」
「あのなー」
「お風呂一緒に入れないんだからお風呂ごっこならいいでしょ?」
「お風呂ごっこって・・・」
子供か。
あー、子供だった。
すまん。
「先生も入って。今日これで終わりにするから」
「入ってどうするんだよ」
「起こさなかったでしょ?お仕事終わったの?」
「終わったよ」
「せーんせーい」
「はいはい」
蓮の向かいに三角座りになる。
「先生体長いから足伸ばせないでしょ?」
「足伸ばせるほど広い風呂なんてそうないだろ。お前ん家伸ばせるの?」
「伸ばせないよ。ねえ、そっち行ってもいい?」
「駄目」
「何でー?」
「過度な接触は禁止されている」
「や、行くもん」
「おい」
蓮が俺の身体に倒れ込む。
首筋に暖かな気配が増す。
「先生」
「んー?」
「先生はー」
「うん」
「彼女とー」
「うん」
「手繋いだりした?」
「手ぐらい繋ぐだろ、中学生か」
中学生か、この間で中学生だったんだよな、この子は。
「中学生でもしてるのに、私は先生と手繋げないの?」
「手なんか繋いだからってどうなんだよ」
「私先生と手繋ぎたい」
「蓮、そろそろ帰らないと。暗くなる。心配だから早く帰ってくれ」
「そんなに帰したい?」
「帰したいよ。お前が家に着くまで気が気じゃないんだ。お前に関しては俺は異常に猜疑心が働くんだ。世界中の男が悪意ある動物に思えてくる。冷静でなんかいられない。俺の姿が見えなくなったらとか本気で思い込むんだ、もう三十にもなるのに」
「二十八でしょ。どれだけ大人になりたいの」
「なりたかねえわ」
「私は今すぐなりたい。早生まれなんか大嫌い。先生、私達の子供は早生まれにならないようにしてあげようね」
「そんな上手くいくか」
蓮が大人しく笑う。
首筋に春のような息吹を感じる。
俺は今恐らく手中に天使を収めている。
「じゃあ、先生の指触ってもいい?」
「指?」
「触るだけだから、ね?」
「触ったらもう帰るんだぞ。四時過ぎた」
「うん」
蓮が俺の右手に自分の左手を絡める。
指の感触を一本一本確かめる様に。
こんなことがしたいのか。
これは蓮が触りたいと言ったからノーカウントだと言い訳する。
他人の骨を感じることがこれほど心地いいとは。
「先生」
「うん?」
「好き」
「ああ。俺もだよ」
俺は蓮のピンクのウィッグに手をかける。
美しい黒髪が天使の羽根の様に舞い落ちる。
「先生?」
「やっぱりこっちのがいいな」
「先生」
蓮が俺の首筋に頬を摺り寄せる。
ああ、これだからいつも別れ際は嫌なんだ。
やっぱり家で会うのは辞めた方がいいだろうか。
でも外で会うとなると、俺も変装すべきか。
変装か。
それこそラブコメっぽいのか。
二十八にもなって?
違うな。
ラブコメなら、変装は主人公が他の女性キャラクターと出かけるのを尾行するヒロインがする。
二十八の男が変装するとしたらそれは、後ろ暗い相手と会うからだ。
まあ、まさに俺か。
やはり俺にラブコメは遅すぎて無理らしい。
「あー、離れるのやだなー」
「そうだな」
「一生こうしてたいな」
「そうだな」
「でも、もう帰るね。先生の寿命縮めたくないし」
「そうだ、そうしてくれ。先生は長生きしたい」
「うん。ストレスが一番よくないもんね」
「ああ、そうだぞ。何でもストレスが良くない」
「じゃあ、やっぱり我慢しないでしようよー」
「しない」
「お腹なら触って良くない?」
「いいわけあるか」
「うー」
「うーじゃない。ほら、もう立って」
「抱っこ」
「は?」
「抱っこして。抱っこして玄関連れてって」
「あのなー」
蓮が再びピンク髪になり立ち上がり俺を見下ろす。
それを見上げる俺は何となく今世界で一番幸せなんじゃないかと思った。
「抱っこは次のお楽しみにしておくね」
「ああ」
「じゃあ、先生帰るね」
「ああ、気をつけてな」
蓮が眼鏡をかけマスクをして靴を履き玄関に立つ。
「じゃあねね、着いたら電話するね」
「ああ」
「バイバイ、先生」
「ああ」
蓮が両手で俺の右手を取り、左右にぶらぶらと揺する。
「時間ってあっという間に経っちゃうね」
「そうだな」
「二年くらいあっという間だよね」
「ああ、あっという間だ」
「お邪魔しました」
「気を付けてな。また明日」
「はい」
蓮が手を離し、玄関のドアを開ける。
一度だけ振り返り俺に手を振り、ドアは閉ざされる。
部屋に戻りソファに見慣れたはずの毛布を見つけるが、自分のものであるはずなのに蓮が忘れていったもののように見えるから不思議だ。
蓮が帰った後はいつもそうだ。
もう完全に侵食されている。
机に貼られた付箋を撫でる。
自分が帰った後うんと年上のいい年をした付き合っている男がこんな風に余韻に浸ってるなんて蓮は思いもしないだろうな。
俺は蓮が思ってる以上に蓮のことが好きなんだけど、まあそれはいいか。
ホントにいい年して何やってるんだろうな。
こんな馬鹿な二十八の男いるのかな。
こんな三十を前にして好きな女の子のことばかり考えているなんて。
でもまあ、仕方ないか。
俺の彼女は二次元美少女も裸足で逃げ出すくらい、世界一可愛いのだから。




