彼女
「先生。彼女が玉ねぎ切って涙目になるとこ見なくていいの?玉ねぎ切っちゃうよ」
「それはこの先何百万回と見れるだろ。仕事は今しなきゃいけないんだ」
「そんなに玉ねぎ切るかなあ?」
「切るだろ。あらゆる料理に玉ねぎ入ってるだろ。玉ねぎなかったら料理成り立たないぞ。だから大丈夫」
「エプロン似合う?」
「は?」
振り返ると白いエプロンをした蓮が立っていた。
グレーのセーラーカラーのワンピースの上に着ているせいか、制服の上に着ているみたいに見え、やっぱり子供なんだとまたしても自己嫌悪がぶり返したが、恐らく今後自分はずっとこうなのだと気づき、もういい加減腹をくくれと思った。
どんなに気にしたところで自分がしていることは何も変わらない。
この目の前の少女を世界一可愛いと思った時点で自分はもう駄目だったのだから。
「可愛いよ」
「ホントに?」
「ああ、だから仕事させてくれ」
「うん。じゃあ世界一美味しい炒飯作れるね」
「ああ」
先生できたよーと蓮に呼ばれるまでパソコンに向かった。
それでもまだ終わらない。
先生食べよーと蓮が言い、顔だけ蓮の方へ向けると秋には炬燵になる机に炒飯が二皿向かい合っている。
「美味そうだな」
「でしょ?いっぱい食べてね」
「ああ、豆乳も飲もう」
「先生のお家くるたび豆乳飲んでる」
「体にいいんだぞ豆乳」
「牛乳のが美味しくない?」
「どっちも美味い」
「先生小さい頃牛乳いっぱい飲んでた?」
「まあ、毎日飲んでた。家でも飲むし、給食でも飲むし、飲んだな」
「それでそんなに背伸びたのかな?」
「さあな。まあどっちも飲め。栄養が違う」
「先生暖かいうちに炒飯食べて」
「ああ。いただきます」
「いただきます」
腹が減ってるときの火の通ったものの一口目って何でこんな美味いんだろうな。
玉ねぎも細かく切れてるし、人参も薄くいちょう切りにできている。
ピーマンも丁度いい。
美味い。
「美味しい?先生」
「美味い」
「良かった。お仕事終わりそう?」
「まあ、何とか」
「じゃあ、これ食べ終わったら私と遊んでね」
「まだ無理だからちょっと一人で遊んでてくれない、か?」
「えー」
「えーじゃない」
蓮が漫画なら頬を膨らませかねないようなつまんないって顔をした。
そんな顔したってどうしたって可愛んだもんな。
可愛い顔っていうのを可愛くなくさせるのは余り可愛くない顔を可愛くする以上に難しいらしい。
大人になってこれほど可愛い顔を拝むだけでなく、向かい合って食事をすることになるとは、人生は不思議だ。
「先生いつになったら彼女らしいことさせてくれるの?」
「今正にしてるだろ。彼氏に手料理なんて彼女そのものだろ。有難うな」
「先生肩揉んであげようか?」
「は?何で?」
「デスクワークで疲れてるかなって」
「嫌、別にいい」
「肩揉むのも駄目なの?」
「駄目じゃないけど、別にいい。基本的にお前に何もしてほしくない」
「私は何かしたいもん。せっかく先生の彼女になれなんだから」
「もう十分すぎるくらい貰ってるよ」
「先生欲ないんだね。そんなんで大丈夫?」
「欲望だらけだよ。煩悩にまみれて嫌になるくらいだ」
「そうなの?」
「そうなの。だから心配いらない。いてくれるだけでいいって言っただろ」
「うん。でもせっか密室で二人きりなのに」
「密室言うな。犯罪性が増す」
「密室でしょ?ドア閉まってるよ」
「まあ、言い訳もできないくらい密室だな」
「二人っきりだし」
「そうだな」
「これで何も起きない方がおかしいから何か起こそう。先生」
「いいよ。そっち方面はいい」
「じゃあ、膝枕したげる」
「膝枕はアウトだろ」
「タイツ履いてるよ」
「そういう問題じゃなくって、えーっと、友達にしないだろ?」
「先生は友達じゃないでしょ?彼氏だし、将来を約束した男の人だし」
「現時点じゃ先生と生徒だろ。絶対なし」
「でも付き合ってるよ」
「付き合ってるな」
「こんな密閉された空間で向かい合って炒飯食べてるんだよ。もうその時点でアウトじゃない?」
「アウトだな。言い逃れできない」
「ねえ、何にもしないのにどうしてお家に来ていいって言うの?何かしたいからお家に呼ぶんじゃないの?」
「外で一緒にいるとこ見られたらそっちのが不味いのと、俺がまあ、休みの日くらいお前に会いたいからだよ。学校じゃこんな風に話せないからな」
炒飯を食べ終えご馳走様でしたと俺は手を合わせた。
蓮を見ると俺を不思議そうな目で見ている。
瞳から涙を零しそうになりながら。
「先生」
「何?どうした?」
「机邪魔」
「は?」
「机邪魔だよ。先生に抱き着けない」
「えっと、何言ってんの?お前」
「今先生にすっごく抱き着きたい」
「あー、はいはい」
「もう、ホントに机邪魔。この距離が嫌。先生に抱き着けない」
「今机には炒飯と豆乳の入ったコップが乗っているからな。食べ物を粗末にしたら駄目だぞ」
「わかってるけど、こういうの何ていうんだっけ?感に堪えない?」
「正解」
「抱き着きたいー。先生机どけて」
「立ち上がってこっち来たらいいだけだろ」
「そんなんじゃ私のこの情熱とか衝動が伝わらないよ。机に飛び乗るくらいじゃないと」
「お行儀が悪い。兎に角食えって。食ってからな」
「えー。今すぐ抱き着きたいよー。先生大好きー。あー、抱き着きたいー」
「食ったら好きなだけ抱き着かせてやるから、取りあえず食え」
「ホント?」
「ああ」
「はーい」
蓮がスプーンで炒飯をすくう。
その一口が大盛りすぎて、俺は蓮のことをまだ何も知らないのだと思い、それを嬉しいと思っている自分に気づき、またしても自己嫌悪に陥る。
そして自分が抱き着くのはアウトだが、蓮からくるぶんにはいいだろうと誰に聞かせるわけでもないのに言い訳を一人するが、目の前の蓮を見ているとどうでも良くなる。
彼女が本当にどれだけ俺に望みを抱いているかわからないが、今黙々と小さな口に炒飯を運ぶ彼女とそれを眺める俺との間は怖いくらい足りないものがなくて、机くらいなきゃいけないだろうと空腹が満たされ眠気が増した頭でぼんやりとそんなことを思った。