表情
「先生は性的で理性的」
「は?何それ、神谷蓮は清廉で可憐で俺マジ試練とか言えばいいのか?」
「よくそんなの思いつくね」
「お前が始めたんだろうが」
「先生ってホント理性の塊だよね。もっと感情的になったらいいのに」
「先生は常に冷静でいたい」
「私はもっと先生の中の修羅が見たいんだよ。もっと肉食獣のような先生が」
「俺がそんなん嫌だわ」
「私にぶつかって来てほしいんだよね。正面から」
「俺に何をしろと?」
「先生のさ、慌てふためく様子が見たいんだよね。もっと狼狽してほしい」
「どうやって?言っとくけど年取るとそう簡単には驚かないぞ」
「先生さ、私が今服脱いだとしても、服着なさいって言うだけでしょ?」
「当たり前だろ。普通人ん家来て服脱ぐか?」
「人ん家じゃないもん。彼氏の家だもん」
「彼氏の家で服を脱ぐのは大人になってからな」
「先生顔までそうなんだもん。もっと先生の激しい部分にっていうか、本気に触れたいんだよ」
「顔はいつもこんなんだろ。あと本気じゃなかったら生徒となんか付き合ったりしないからな」
「うん。先生が私に本気なのは知ってるよ。でもなんていうか長期的な本気でしょ?もっと局地的な本気がみたいの。感じたいの」
まあ、言いたいことはわかるけど。
わかるんだけど。
「先生の欲望を曝け出して欲しいの。むき出しにして欲しいの、本性を」
「そんな蓮の妖精さんみたいな顔で言うかなー」
「言うよー。もっと煩悩にまみれて懊悩して欲しいんだよ」
言葉遊びがしたいのか。
若い子の考えることはわけがわからん。
まあ子供でいられるのも今のうちだもんな。
そのうち嫌でも大人なんだし。
友人関係、家庭環境が上手く整備されていたら、高校生が一番楽しいかもな。
そんな人生で一番楽しいかもしれない時期に、この楚々とした春の庭のような美しさを持つ少女が人目を忍んで会いに来てるのが冴えない国語教師っていうのは・・・いいか。
いいもんだ、うん。
凄くいいと思う、その国語教師が俺じゃなかったら。
「せーんーせーいー」
「はいはい」
「はいはいって、なんとかして」
「なーにーをー?」
「このもだもだしてるような弛緩した空気を」
「いつもこんなだろ」
「あっ」
「何?」
「煩悩にまみれて懊悩して私を堪能して」
「はいはい」
「先生」
「今考えてるよ」
「何を?」
「どうやったら説得できるか、説得っていうか、納得か」
「さっき世之介は欲望のままに生きてるって言ったでしょう?」
「ああ」
「先生はそうしたくないの?」
「したくない。先生は欲望のままに生きている人間なんて好きじゃない」
「でも面白いんでしょう?」
「作り話だからな。実際そんな人間の話聞いたって面白いと思わないけど、何だろうな、言葉になっているからかな」
「言葉?」
「言葉で説明されているからかな、世之介の行動が。そう言われたらそうだな、現実世界で世之介みたいに働きもしないで親から譲り受けた財産で好き放題している人間の話なんか聞いても興味もわかないけど、何だろうな、何でこんなに面白いんだろうな」
「さあ」
「不思議だな」
「不思議。説得は?」
「今考えてるんだよ。そうだ、お前はゲームでもしてなさい」
「彼氏が真剣なことを考えているのに一人でゲームなんかできないよ」
「そういうのいいから、考えてるんだけどさ、今俺達は何でもめてるんだっけ?」
「先生の快楽に溺れる顔が見たいって話」
「三十近い男に言うことか?」
「先生顔にちっとも出ないんだもん。いっつも何でもない顔するでしょ。何にも起きてないかのような。あれだよ、赤面するとこ見たい」
「男の赤面が許されるのは少女漫画とラノベだけだよ。そして厳しいようだが十代限定」
「そんなわけないでしょ。三十だって四十だって許されるはずだよ。ときめきの表現じゃない」
「嫌、ないって。十代の子相手に赤面する三十って引く。普通に引く」
「私引かないよ」
「あのな、表情には出ないかもしれないけど、俺はいつも蓮といると動揺してるし、高揚してるし、痛痒を感じない」
「最後無理ない?」
「無理があったな。栄養を取らねばと感じている、は?」
「それも無理じゃない?」
「うーん」
「先生。話逸らさないで」
「逸らしてない、あれだよ。もうあのな、先生な」
「うん」
「お前のことが凄く好き」
どうやら時を一瞬止めたらしい。
蓮は真顔を維持しようと必死だが、表情の無さなら負ける気はしない。
「先生」
「ん?」
「ホントずるい」
「そうか?」
「それ言ったらどうにかなると思ってるでしょ。ホントずるい」
「ずるくないだろ。正攻法だよ。ど真ん中のストレートしか投げてないよ」
「私打ち返せないよ、それ」
「そうか。さあ、今日は何をして遊ぼうか?」
「ホントずるい。表情変えずに言えるんだもん。無敵じゃない」
「そうか?」
「もう」
「お茶飲めば?」
「うん」
説得するため古典に知恵を求めても残念ながら答えはない。
あの世界では皆愛のためにひたすら生きているので、年の差だとか法律だとかつまらないことを考えたりはしないのだ。
でも特に羨ましくもないと、透明なグラスに入ったウーロン茶をコクコクと飲み干す蓮を見て思う。
愛と美のために生きられるのは物語の世界だけだ。
俺達はそうはいかない。
一先ず危機を脱したので、もう昼飯の話といこう。
愛と美もいいが美味いものというのは実にいいものだ。
一日三回も取れるなんて何という幸福か。
それに愛と美は間に合っている。
向かい合う少女によって。
過剰なくらい毎日摂取している。




