古文の授業
「ねえ、先生」
「ん?」
「古文の授業ってさ、青少年の健全な育成に相応しくなくない?」
「は?」
俺は現在テーブルを挟んで、緑髪の美少女と相対している。
美少女はやや大きめに切られたロールケーキをフォークで小さな口に最適な大きさに切り自ら運ぶ。
「だって、不倫というか、道ならぬ恋のお話多くない?」
「あー、まあ」
「不倫てしちゃいけないでしょ?」
「いけないな」
「学校で不倫を教えるのって古文だけじゃない?」
「そりゃそうだろ」
「というより先生が恋愛の話するの古文だけだよね?」
「日本史や世界史もしないか?」
「する?」
「源頼朝と北条政子くらいしか思いつかないけど」
「そういう事実じゃなくて気持ちの話だよ」
「気持ち?」
「好きだなーっていう。源頼朝と北条政子のは夫婦になったって事実だけで政子と頼朝の馴れ初めとか教科書に載ってないでしょ?」
「ああ、まあ、うん」
「先生は図らずも毎日生徒に愛を教えてるんだよ。そのお口で」
今日はやけに口にこだわるな。
俺は気にせずロールケーキを自分のつまらない口に運ぶ。
スーパーのだが馬鹿にできたもんじゃない。
というより俺は生クリームさえたっぷりしてたら生地にはこだわらない。
「愛か」
「愛だよ。先生は毎日愛を囁いているの。そのお口で」
三十近い男にお口って違和感あるな。
そんないいもんじゃないだろ。
「もう一つ食う?」
「食べる」
蓮の皿にロールケーキを追加してやる。
今日はお互いお口が大分忙しい。
喋らなきゃならない、食べなきゃならない。
他の使い道などない。
それでいい。
「このロールケーキ美味しいね」
「ああ」
「生クリームが美味しいよね」
「ああ。しかし授業で愛を教えているっていうのは考えたこともなかったな」
「そう?」
「愛というより美の方が勝ってると思う」
「美?」
「桜見て綺麗だなーって思うあの感じに似てる。昔男ありけりって大した意味なんかないのに綺麗だろ?」
「先生が言うとね」
蓮がこてっと首を傾ける。
風もないのに纏う緑が揺れる様が美しい。
「確かに恋愛を描いているんだよな、でもそうじゃなくってさ、古文って何というか綺麗なもの、単純に、こう、言葉だけだろ、絵巻物とかもあるけど、読むとき目で追うのは文字だけなんだよ、ある意味芸術で最も簡素なのに美しいっていう。だから愛というより美かなって、まあそれだけじゃないんだよな、実際面白いんだよ。まあ好きだからなんだろうけど、最後まで読んでみるとわかるけど、まあ授業じゃそうはいかないからな。授業でやる予定はないんだけど、井原西鶴の好色一代男なんかすっごく面白いんだよ。ある意味ラブコメなんだよな。世之介って男の一代記なんだけど、章ごとにヒロインが変わってさ、生まれた子供捨てたり、子供できたって言われたら逃げだしたり、巫女さんに手出したり、本当にろくでなしなんだけどさ、読みだしたらページめくる手が止まらないんだよ。出てくる女性キャラも皆違うんだよな、老婆のふりしてた美人の話ってのがあるんだけど」
「老婆のふりってどうするの?白いカツラ?」
「杖ついて帽子被って腰かがめてたんだよ。さて問題です」
「はい」
「この老婆は本当は若くて綺麗な娘さんです。何故老婆のふりをしていたのでしょう?」
「うーん、コスプレ?主人公の気を引くためにそうした?」
「違います」
「うーん、アサシン?主人公を暗殺しに来た」
「違う」
「DV夫から逃げて来た」
「近いっちゃ近い」
「えー、借金取り?」
「違う」
「うーん、実は彼女自身が殺人犯で夫を殺し埋めて逃げている最中」
「違う。正解は彼女が美人なので、まあいい寄る人間が多すぎて逃げて来た、です。実際屈強な若者がこの美人を探して美人はいねえかーって騒いでたからね。怖かっただろううな。美人に生まれるっていうのも大変なもんだ。可哀想だよ。まあこの段階では世之介に会えて良かったのかな。まあ一生連れ添うって約束したのに、次の章ではもう置き去りにしてたけど」
「酷い、最低」
「そう酷い男なんだよ、でもさ読んでるぶんには凄く面白いんだよ。当時のお金に余裕のある人間の暮らしがさ、生き生きと描かれててさ。世之介は何もしないんだよな、ひたすらまあ、欲望だけど愛のために生きていたりする。結末も又いいんだ。最後はさ、船に乗ってさ、女だらけの島を目指して旅立っていくんだよ。船にさ、伊勢物語と春画詰め込んで」
「伊勢物語?」
「うん」
「春画はわかるけど・・・」
「当時は好色な本って思われてたんだろ。何か最後旅立っていくとこなんか如何にも長編物の主人公って感じでいいんだよ。ホント碌でもないし、ろくなことしなかったのに、あっさりしてるっていうか、欲望は無限大なのに一人に執着してないからだろな、あっけらかんてしてるからさ、読んでて気持ちがいいんだよ」
現代語訳にするのは簡単だろうけど、割と直接的な生々しい描写があるから、まあ授業でやるには向いてないだろうな。
やるとしたらお坊さんにラブレターの代筆を頼むところかな。
それか四人の女の亡霊の襲来を受ける場面か、人妻に横恋慕して眉間割られるシーンか。
まあやらんけど。
「先生お婆さんのふりする女子好きなの?」
「そっちかよ。別にー」
「私だったら銀髪のカツラ被っちゃう」
「お前似合いそうだね」
「今度してきてあげる」
「ありがとーねー」
「何その棒読み」
「いつもこんなだろ」
「腰が曲がるのはいつか見れるからいいもんね」
「え?」
「お互い腰が曲がるまで一緒にいようね?」
蓮はにこりと微笑むとロールケーキの最後の一口を口に運び空になったお皿を持ち立ち上がる。
俺は蓮の笑顔にすっかり固まってしまい放心していた。
まったく蓮以上に綺麗なものなど見つけられるわけもない。
俺もロールケーキの最後の一口を口の放り込み皿を持ち立ち上がる。
台所で両頬を両手で包み込み恥ずかしそうに所在なく佇んでいる緑髪の美少女に肯定の返事をするために。




