マスク
玄関を開けると緑色の髪をした可愛らしい生き物がポツリと立っておりました。
予てよりお付き合いしている十六歳、現在高校二年生の彼女でした。
「おはようございます」
「おはよう」
いつ見ても美形って凄い。
マスクして眼鏡かけてて、形のいい鼻梁と均整の取れた品のいい口元が見えていないのに美少女だってのが結局は隠しきれていない。
どうやったらこれだけの美を隠せるのか、最早それが俺は知りたい。
「先生私キャベツみたい?」
「そんな可愛いキャベツがあってたまるか」
蓮が笑う。
マスクをしていても声に出さなくても、もう笑ったのがわかる。
何だか近くにいるのに御簾越しに会話しているようで胸が騒ぐ。
平穏な日曜日で、鼓動などできるだけ休ませておきたいのに。
「そっか、私可愛いんだ」
「可愛いに決まってるだろ。どうやってこの可愛い生き物を隠そうかと今必死で考えたぞ」
「どうして隠す発想になるのかな。普通自分のものにしたいわってなるんじゃないの。先生はホントにわけわかんないよ」
「自分のものにしたいってのが隠すことだろ。誰かに見せびらかしたいなんて思わないよ」
「まあ、そっか。私も先生隠しときたいもんね。畳んで持って帰りたい」
「怖えよ。こんなでっかい身体畳むって発想がもう怖い」
「可愛いでしょ」
「うん」
「可愛いの?」
ソファの傍まで来ても蓮はまだマスクを外さない。
すっとと背筋を伸ばしたまま瞳の力だけでこの場を制圧しようとする。
「可愛いよ。俺お前が鉈持って先生死の?って言ったとしても俺多分その鉈持ってる小さい手だけで可愛いと思う自信あるもん」
「鉈って・・・そんな危ないもの私持たないよ」
「でも先生死の?はいうだろ?」
「言わないよ。先生そんなに私と死にたいの?」
「嫌。死にたくないけど、最近心中ものばっか読んでたから」
「先生も影響されやすいんだね」
「そうだな。なあ」
「ん?」
「いつになったらマスク外すわけ?」
蓮が笑う。
それでもマスクを外そうとしない。
「先生、マスク外してほしい?」
「欲しい」
「どうして?」
「どうしてって単純に顔見たい」
「見てるじゃない?」
「見えてないだろ。鼻も口も」
「見てどうするの?」
「どうするって、何だどうした?」
また何か言いだすのか。
それともあれだろうか。
吹き出物でもできたのだろうか。
「そんなにマスク外してほしい?」
「欲しいよ」
何かどういう展開になるのかわかんないけど、蓮に任せてみることにした。
蓮の望むことなんて恐らく可愛らしいものでしかないんだろうし。
「先生私今日はマスク外さない」
「何で?」
「だってお口を使うことなんて何にも先生しないじゃない」
「は?」
「だってマスク取ったって先生キスすらしてくれないじゃない」
「は?」
「だから取らない。彼氏のお家に遊びに来てお口を使うことなんてそれ以外ないでしょ」
は?
もうそれ以外ないんだが流石に三回も言うのは憚られた。
もう何というか発想が凄いな。
そんなのもう俺の年になると思いつかない。
一体何を読んだんだろう。
まあ、マスクして眼鏡かけてないと言い出せないあたり本当に可愛いなと思うけど。
「あのな、蓮」
「うん」
「口ってのは本来食い物を食べるためにあるんだよ」
「うん」
「蓮は俺ん家に来て飯食って帰るだろ?」
「うん」
「なっ?」
「なっじゃないよ。答えになってない。やり直し」
「えー」
「えーじゃない。してくれるまでマスク外さないもん」
「昼飯食わない気か?」
「先生がしてくれたら食べれるよ」
「しないよ。犯罪だろ」
「どーうーしーてー」
「そんなことしたら先生明日から学校行けなくなる」
「誰にも言わないよ」
「ただでさえ今先生は職場恋愛してる気分になったりするんだよ。本当に拙いだろ。授業中さ、時々黒板の方向いてはにやけそうになるんだよ」
「どうして?」
「お前のこと思い出すから。学校じゃわりと大人しくってすましてるとまではいかないけど、割と騒がしくないからさ。俺といると本当に子どもなのに」
「子供だと思ってるんだ」
「当たり前だろ。子供だ」
「もう十六なのに。結婚できるのに」
蓮が眼鏡を外し俯く。
ぽたぽたと涙が零れ堕ちる。
何に影響されたか知らんが、子供ってのは大人からしたらどうでもいいことを真剣に考えていたりするし、小さなことがものすごく重要だったりする。
蓮は容姿に悩まなくてもいいぶん全部そっちに行くんだろうな。
「蓮」
「赤ちゃんだって作れるのに」
「あのなー」
「だって」
「だってじゃないよ、その子供が好きだから俺はもうどうしようもないんだよ」
「子供子供って、先生は私のこと女の子だと思ってないの?」
「あのな、滅茶苦茶思ってるよ。女性だと思っています。意識しているから面倒なんだろ。子供なんて思ってないよ」
「本当に?」
「ああ。だから本当に拙いんだよ。でも学校でお互い知らん顔してるのが又楽しいんだよ。嘘つきだなって」
こんな可愛い子に嘘つかせてるってもの又趣があると思う俺は最高に性格が悪いと思う。
俺は今全世界に嘘をつき続けている気分なんだ。
蓮の教室で黒板に向かう顔は決して見せられない。
それでも俺は何食わぬ顔をし続けて、一人身勝手な高揚感に浸る。
心はいつも凪の状態でいたいのに。
「先生」
「ん?」
「もう恥ずかしいからマスク取れない」
「嫌、取れよ。先生のがよっぽど恥ずかしいこと言ったぞ。一人で思い出して笑ってるとか気持ち悪いだろ。三十近いオッサンが喜びを隠しきれないんだぞ」
「うん、そうだね」
「そうだねって」
「私もそうなの。先生のこと思い出していつも笑ってる。いっつも帰りの電車の中で笑ってるの。マスク手放せないの。学校でもそうだよ。だから知らん顔してるの。先生に興味ないですよって、でも先生私のなんだと思うと嬉しいの」
「あっそ。なあマスク取ってくれよ。時が惜しい」
「そんなに見たい?」
よくわからんが涙は止まったらしい。
蓮といて無風状態でいられるわけがなかったな。
蓮とこうなってからは心臓がうるさい動きを止めない、ずっと稼働しっぱなしだから止まるの早いんじゃないかと思う。
そんなことより顔を見せろ。
たまには眩いものが見たかったりするんだ。
例え目が眩んでも。
「蓮」
「恥ずかしい」
蓮がソファに突っ伏す。
凄いな、運命の瞬間を切り取った名画に見える。
俺は蓮の隣に腰を下ろす。
「蓮」
「ごめんなさい。恥ずかしい。また先生に恥ずかしいこと言った」
「別に。人間なんて恥ずかしいことしかしてないよ。大したもんじゃないんだから」
「私は特に恥ずかしい」
「今後生きていたらそれ以上恥ずかしいこといくらでもあるよ。顔見せてくれ。顔見たい。その顔滅茶苦茶好きだから」
「キスしたくはならないのに?」
「美味いもん食わせたいとは思ってるよ。美味いもん食わせといて、血色良くして頭からバリバリ食おうと思ってるからな」
「キャベツだけに」
「そう、キャベツだけに」
蓮は動かない。
長い髪に覆われているが細い腰は一目瞭然だ。
触れることが躊躇われる。
こんなものどうやって食うというのか。
勿体ないから一生飾っとくな、もう一生このままにする。
そんなことを考えてたら、蓮がむくっと起き上がり俺を見た。
「にらめっこか?」
蓮はふるふると首を横に振る。
俺は蓮の左耳に手を伸ばし、マスクのゴム紐を外す。
微かに触れただけだなのに暖かい。
手に体温が移ったみたいだ。
それにしても、何だよ、その顔。
どんな顔してると思いきや、全然普通だろ。
風なんかどこにも吹いていない。
世の恩寵を受け続けている。
一体これ以上何がいるっていうんだ。
俺なんか手に入れる必要あるか。
お前はこれ以上ないくらいなんでも持ってるよ。
寧ろ世界の美を独り占めしてるんだから、彼氏とキスしたいとか我慢しなさい。
そこまで考えてみたけど、一つも蓮には言えそうにない。
俺は間抜けに妙に納得するだけだ。
「お前」
蓮が困ったように目を逸らす。
そっちのが好都合だ。
俺の間抜け面を曝すことなく一方的に蓮を享受できる。
「ホント綺麗だわ」
蓮は俺と目を合わせることなく、もう、と小さな声で呟いた。




