無情
目覚ましの無情な音に目を覚ます。
二時間くらいじゃあんまり寝た気はしない。
「蓮、起きろ。もう着替えないと電車に乗れない」
「もう少しだけー」
「起きろー。もう駄目だって」
と言いつつ俺も起き上がろうとしない。
羽根布団の軽さと温かさが心地良すぎて、もう目を覚ましたくないとさえ思う。
蓮もいるし、ここには全てがある。
寝ていたい。
誰にも起こしてほしくない。
俺は再び目を閉ざしそうになるが、寸でのところで回避した。
美少女と布団は破滅への第一歩だ。
瞳を閉じてはいけない。
「蓮。起きるぞ」
俺はがばっと威勢よく跳ね起きる。
「蓮」
「ねーむーいー」
「眠くても起きる。健康で規則正しい生活は幸福への第一歩だ」
「誰が言ったの?お坊さん?」
「いいから、起きて。着替えるぞ」
「うー」
「うーじゃない。ほら起きろー」
「あとちょっと」
「そのあとちょっとが命取りだ。起きるぞ」
俺はベッドから抜け出し、机の上に放置された眼鏡をかける。
「蓮、ジュースでも飲むか?」
「うん」
蓮は一人になり広くなったベッドで寝返りを打つ。
布団から小さな頭しか見えてないせいか、ますます人形味が増していく。
これなら家に置いていても人形で通るんじゃないかと思えるくらいに。
「蓮、オレンジジュースでいいか?」
「うん」
気のない返事だな。
「黒酢もあるけど」
「うん」
聞いてない。
仕方がないので俺は思い切って掛け布団を追いはぎの様に剥ぐ。
黒髪が柳の様に細い背に伸びているのが美しくて、もう起こすのが間違っているような気がしてくる。
本当に蓮がいっそ人形であってくれたら良かった。
そうしたらもうずっと一緒にいられる。
こんな風に時間を気にしなくっていい。
俺の命が続く限り。
江戸川乱歩に人形と心中する話があったな。
蓮が帰ったら読もう。
「蓮」
「うん」
俺は蓮を米俵を抱える要領で右手で抱える。
「せんせー」
「はい。先生だよ」
「私こんな風に抱っこされたの初めて」
「そりゃ良かった。先生も女の子こんな風に荷物みたいに抱えるの初めて」
「先生力持ち」
「お前軽いもん」
「どこ行くの?」
「洗面所だよ。着替えないと、そのまま帰れないだろ」
「うん」
洗面所に蓮を下ろし、ドアを閉めると蓮がすぐ出てきた。
「どうした?」
「先生。着替えたらもう一回してね」
「何を?」
「抱っこ」
「今のでいいならな」
「うん」
冷蔵庫から黒酢を出して飲むとむせた。
咳をしてると蓮が洗面所から大丈夫?と言ってきたので、大丈夫と返し、水を飲む。
「先生」
「ああ」
洗面所から出てきた蓮は朝来た時と同じ青い髪をしていた。
頬は相変わらず薔薇色だ。
青い髪は最高にファンタジーなはずなのに、この世に存在してることに何の無理もない色、無理のない美しさに見えた。
蓮が全部自然にしたからだ。
「抱っこ」
「子供か」
「子供でしょ?」
「子供だな」
「抱っこ」
「はいはい」
蓮を再び右手に抱えた。
突っ立てるのも何なので取りあえずうろうろと狭い家の中を歩いてみる。
「お前、これ嬉しいの?」
「うん。だってお姫様抱っことか先生恥ずかしいでしょ?」
「別に、誰も見てないからしてもいいけど」
「じゃあ、次のお休みにとっとく」
「取っとくほどのもんか?」
「このまま私のこと抱えてビルからビルに飛び移ってくれたら楽しいのに」
「お前は先生のことなんだと思ってんの。先生唯の人間なんだからできないよ」
「それはできなくても二人で追手から逃げたいなー」
「追手って、俺ら何か悪いことしたの?」
「してない」
「してないなら何で追っかけられてんの?」
「わかんない。そこはいいの」
「設定ガバガバなの?」
「うん。唯先生に私を荷物の様に抱えて走って欲しいだけ」
「自分で走らないわけ?」
「抱っこしてもらうのがいいの。如何にもお荷物感出るでしょ?先生一人なら悠然と逃げられるのに、私を好きになったばっかりに抱えることになるんだよ。恋は足枷」
「一人で逃げてもしょうがないだろ。足枷になんかなんないよ。寧ろ他に何持って逃げるんだよ」
「え?」
「俺が身一つで逃げてどこ行くんだよ。それこそもう何にもないじゃないか」
「先生」
「ん?もう下していいか?そろそろ帰らないと」
「先生。大好きよ」
「知ってるよ」
「逃げるなら連れてってね」
「連れてくよ。寧ろ荷物お前だけになるかも」
「服とか後で買えるもんね」
「現実的だな。何なの?失踪のススメ?」
「駆け落ちでしょ」
「下すぞ」
「うん」
蓮は時間が迫って来ているので、じゃあまた明日ねと言ってあっさり帰っていった。
駆け落ちか。
確か同意があっても未成年者略取とかになるんだったな。
基本的に物語なら死へとセット売りだ。
美少女と幸福になるとか平凡な男主人公には許されていない。
考えない、考えない。
買物へ行き、ゲームをして、寝る前に少しだけ本を読んで寝る。
また明日から学校だ。
蓮にも朝一番に会えるな。
そこで俺達は素知らぬ顔をする。
いつも通り、それを繰り返す。
再来年の三月まで。




