観光地
「先生ここ行ったことある?」
テレビではもうゾンビは影も形もなかった。
代わりに俺でも知っているようなお笑い芸人の二人が映っている。
どうやら中尊寺金色堂に行くらしい。
「行ったことないな。先生は東北地方は行ったことない」
「私、いつか先生とこういう観光地ってとこ行きたいな」
「そうか」
お笑い芸人達は金色の仏像群にすげーすげーと連呼しているが、俺はそれが語彙の貧弱さだとは思わない。
本当に凄いものを見た時の人間の反応はそんなに大差ないものだと思う。
俺も見たら多分こんな反応をする。
「観光地に行ってね、ご当地グルメを食べて、ご当地キーホルダー買うの」
「一番お土産に貰って困るやつな」
「困る?」
「先生はあんまり嬉しくないな」
「いいとこだね。中尊寺」
「いいな」
「行きたいねー」
「行きたいな。お前やっぱりいいな」
「え?」
「嫌、その、お寺とか行きたいって言ってくれるのがね、先生は遊園地とか好きじゃないから。できれば行きたくないから、こういうとこ行きたいって言ってくれるの非常によろしい」
「私もテーマパークとか、ああいうとこ好きじゃないよ」
「そう、それだよ。お前って何ていうか、こう言ったらおこがましいけど、俺に取ったらお前ってあまりにも都合の良すぎるヒロイン像っていうか、俺のために用意されたかのような、だってお前って可愛いし、滅茶苦茶綺麗だし、優しいし、俺に異常に甘いし、何ていうか世界が俺に優しすぎてそのうち罰が当たるんじゃないかと思う」
「先生、それはそういう私を先生が好きになっただけじゃないの?」
「は?」
「だって私は先生に会う前からこの私なんだし」
「そうなのか?」
「そんなに変わってないよ。多分。でも私自分が学校の先生好きになって告白するような子になるとは思わなかった」
「それは俺もそうだな。自分が生徒を好きになって付き合うようになるとは思わなかった」
「私達似た者同士だね」
「そうなのか?」
「うん。だから上手くいくんだよ」
「いってるか?」
「いってるよ。私達これ以上ないくらい相思相愛でしょ?」
「そうかもな」
蓮が俺の肩に小さな顔をこてんと乗せてくる。
俺は今俺の肩に乗っているのは非常に精密に作られた世界最高級の等身大フィギュアだと言い聞かせる。
「先生といろんなとこ行きたいなー」
「そっか」
「色んなとこ歩いて色んなもの見るの」
「ああ」
「美味しいもの食べてー、お土産屋さんをぶらぶら見てー、温泉とか入りたいなー」
「いいなー、温泉」
「すっごい実感こもってるね。腰痛いの?」
「腰は今のとこ別に」
「肩は?」
「肩も別にいい」
「足は?」
「痛くない」
「広いお風呂入りたいよねー」
「入りたいな。美味いもん食って、温泉入って、行ったことない場所ってだけで癒されそうだし、いいな、旅行」
「先生疲れてるんだね?」
「まあ、なー。兼好法師さんも旅いいわーって言ってるよ」
「そうなんだ。旅行いいねー。先生と行きたいな、いつか行こうね?」
「ああ」
「卒業したら行けるよね?」
「ああ、先生が休み取れたらな」
「夏休みも休みじゃないんだもんね」
「研修に行ったりするしな、でも二泊三日くらいなら行けるよ、多分」
「早く卒業したいなー。先生としたいことだらけだよ」
「そうか」
俺は唐突に武者小路実篤の愛と死を思い出す。
主人公は友人の妹と洋行から帰国したら結婚しようと約束するが、彼女は主人公が帰国する前にスペイン風邪でこの世を去る。
ヒロインの名は夏子。
俺が特に秀逸だと思ったのは主人公が帰国し夏子の部屋に入り丸を書いた紙を見つけたところで、何百個も書いてある丸が十何個消されずに残ってあったくだりだ。
蓮が帰ったら久しぶりに読もう。
俺は今までそんなに未来に過剰な期待をして生きていなかったと思う。
でも今は期待している。
未来に期待しすぎている。
そうなると厄介だ。
あんまり未来に期待しすぎると、叶わない気がする。
俺と蓮が大手を振って歩ける未来。
本当のところそんな日は来ないんじゃないかと思う。
主に蓮の天女じみた美貌のせいで。
「あんまり寝心地よくないね」
蓮が俺の膝に右頬をぴたりと付ける。
その仕草が地球の音を聞いている月の世界の巫女の様に静謐で美しい。
珠玉とはこういうことを言うに違いない。
「な?人の身体ってそんなにいいもんじゃないだろ。固いし」
「固いね。私の膝も同じかなあ」
「人間だからな。それに膝って安定感ないぞ。枕に向かない」
「うん。理解した。これは先生にやってあげようと思わないなあ」
「わかってくれたか?」
「うん。でも暫くこうしてていい?」
「お前がいいならいいよ」
「先生、これ終わったら先生の脚の間に挟んでほしい」
「は?」
「先生の両脚の間に座りたい。ちょこんって」
「何で?」
「問答無用で可愛いでしょ?」
「可愛いって、お前は何もしなくても可愛いよ」
「そんな私が先生の脚の間に挟まったら益々可愛いでしょ?」
「可愛いかもしれんが、それはダメ」
「どうして?」
蓮が俺の膝の上で仰向けになる。
精巧な人形だと言い聞かせるが、無理だ。
その白い頬を触ってみたいし、黒髪を梳いてみたいと思う。
人形にそんなこと思わないだろう、寧ろ人形であってくれたらどれだけマシだったか。
「先生?」
「うん」
「どうしてもダメ?」
「駄目」
「じゃあ、私の脚の間に挟まる?」
「もっとダメだろ」
俺は蓮の白い頬をつねってみる。
それほど伸びない。
そういえば女の子をつねるのは生まれて初めてかもしれないと気づく。
「先生?」
「ん?」
「夢じゃないでしょ?」
「ああ」
「先生私のほっぺ触ったんだから脚の間挟んでよ」
「いいな、お前。ほっぺ言うのな」
「えー?」
「ほっぺとか可愛いなって。そうか、ほっぺかー」
「先生の可愛いがわかんない。今の私は?」
「可愛いよ」
「じゃあ、脚の間挟んで。らぶらぶになるんだって」
「どこで読んだんだよ。なんないよ」
「やってみないとわかんないよ」
「先生はそういうのより、あれだから、あのな、あー、もうそろそろ飯にしよう」
「先生国語の先生だから言葉に反応するの?」
「別にそういうわけじゃ」
「綺麗な日本語喋る子が好き?」
「別にないけど、ほっぺかって思ったんだよ。特に意味はない。忘れてくれ」
「いとおかし」
「いいって」
「よばひわたりける」
「そういうのじゃないなー」
「ほっぺかー。先生はわかんないなー」
「俺もわからん」
「ほっぺたは?」
「それもいいな。でも最初のほっぺのインパクトが強すぎてな、やっぱりほっぺ最強」
「おめめ」
「違う」
「あんよ」
「ない」
「おねんね」
「ない」
「しぇんしぇい」
「はいはい」
「わかんないー。日本語難しい」
「確かに」
俺はもう一度蓮の頬をつねる。
意外と悪くない。
寧ろ癖になったら困るなとさえ思う。
「先生私のほっぺ好きでしょ?」
「うん」
「すなおー」
ほっぺどころか全身好きすぎて困っている。
どうにかしてくれ。
まあどうにもならないことは俺が一番わかり切っているんだけど。




