名前
「先生と私の名前一字違いだね」
「どこがだよ、一文字も合ってないぞ」
「結婚したら、だよ」
「あー」
蓮はどうしてもくっついていたいらしい。
立ちっぱなしで俺の背に抱き着くその態勢はしんどくないかと思ったが、残念ながら俺の家に椅子はないので、膝に乗せてやろうかとも思ったが一度やると毎回になりそうだから言わないでいる。
「結婚したら私、佐藤蓮でしょ、一文字違い」
「二人とも漢字一文字なんだから当たり前だろ」
「ひらがなにしたら凄いよ。見て」
蓮がボールペンで付箋に「さとうれい さとうれん」と書き机に貼る。
「これ、子供が絶対言うでしょ。パパとママの名前一文字違いって」
「子供ねえ」
「先生と私の赤ちゃんだよ。絶対可愛いよ」
「まあ、お前の子なら可愛いだろうな」
「早く欲しいなあ。先生の赤ちゃん」
「その前に沢山越えなければならないとてつもなく高い壁があるけどな」
「ごめんね。先生」
「何が?」
「私が子供で。先生しんどいでしょ。私四月に生まれたかったな。何でよりによって二月生まれなんだろ。再来年まで何にもできないよ。先生可哀想」
「可哀想じゃねえよ。再来年なんてすぐだぞ」
「長いよー。長すぎるよー」
「年取ったらあっという間だよ」
「そうなの?」
「ああ、あっという間だ。毎日頑張って生きてる気になってるけど、何にもしないままいつの間にか二十八になってた」
「やっぱり先生しよう」
「今の話の流れから何でそうなる?もうちょっとで終わるから」
「じゃあ、終わったらしましょう」
「だからしないぞ。したらもう俺はお天道様の下を歩けなくなる」
「そんなわけないじゃないですか。だっていつ死んじゃうかわかんないですよ。明日死んじゃうかもしれないのに、私のこと手に入れなくていいんですか?」
「死なないよ。そんな年で死なせてたまるか。つーか、死ぬな。何があっても生きろ。死ぬほどのことなんか何もないぞ」
「ねー、先生。十六歳の私は今この瞬間しかいないんですよ。一分一秒年を取っていくんです。十六歳の私を手に入れなくていいんですか?復刻しませんよ。限定イベントです」
「一時の欲望に負けてお前に手を出したらもうお別れだよ」
「私が許すって言ってるのに?」
「悪いな。これは俺の問題なんだ。俺が嫌なんだ」
「先生。女の子もそういう気持ちになったりするんだよ」
「知ってるよ」
「知ってるの?」
「知ってるよ。なあ、蓮」
「ん?」
「お腹空いてるときって飯美味いだろ?」
「うん?」
「俺は今お腹をずっと減らしてるの。再来年うんと美味いものたらふく食うために」
「急にいっぱい食べたら体によくないから今からちょっとずつ食べたほうがよくない?」
「そうかもな」
「先生、こんなこと言う子嫌?」
「嫌じゃないよ。素直でよろしい」
「私不安なの。私若くておっぱい大きいくらいしか取り柄ないでしょ?」
「お前鏡見たことないわけ?顔死ぬほど可愛いぞ」
「先生私が女子高生じゃなくなっても好きでいてくれる?」
「あのな、女子高生じゃなくなったら何の問題もなくなるだろ?最高じゃないか」
「背徳感なくなっちゃうけどいいの?」
「背徳感?」
「後ろ暗いことがある方が興奮するんでしょ?だから皆不倫とかしちゃいけないことするんじゃないの?」
「先生はそういうのないな。正直高校生とかお前以外興味ないし」
「私以外?」
「ないよ。生徒だし、子供にしか見えないよ。だから矛盾してるけど、高校生に手出す人間とか許せんって思うし。まあこの話は長くなるからな、やめよう。な?せっかく休みなんだから楽しい話しよう」
「私以外興味ないって、そこんとこ詳しく聞きたいなー」
「先生は話したくないなー」
「先生そんなに私のこと好き?」
「好きだよ」
「どのくらい好き?」
うわー。
答えたくねえ。
何だこの展開。
二十八になるオッサンにこの展開はキツイ。
もうそんなことを答えられる年じゃない。
人生においてそんなこと聞いて彼女が今までいただろうか。
そもそも俺が今まで付き合ってきたのは皆年上だったから、年下ってわからん。
年下どころか、生徒とか、俺やっぱ罰当たって死ぬんじゃ。
真面目に生きてきたはずなんだけどなー。
少なくとも去年までは。
「先生?」
「はいはい」
「はいはいじゃなくて、私のこと、どれくらい好き?」
「そうだなあ。抱き潰したいくらい好き、かな」
お、黙った。
でも離れないから引いたわけでもなさそうだ。
ああ、そうか。
固まっている、が正しんだな。
「先生」
「んー?」
「私のこと噛まない?」
「は?」
思わず手が止まってしまった。
かむ?
かむって何だ?
「先生女の人噛んだことある?」
「あるか、お前は俺を何だと思ってるんだ」
「先生の初めてが欲しいんです。というより先生が初めて噛むのは私がいい」
「噛まないぞ。人は人を噛んだりしません」
「吸血鬼ごっこ」
「しないぞ。いくつだと思ってるんだ」
「おっぱい噛むのは諦めるから、耳とかどうですか?」
「一番駄目なとこだろ、噛むとしたら指じゃないか?」
「指?」
蓮が自分の左手の小指を見る。
まるで初めて見るような眼差しで如何にも子供めいて見え、自分はとんでもないことをしていると理解したが、それでもなおこの腕の中から出て行く気にはなれなかった。
「どこならいいかと考えて一番犯罪性がないのが指かなと」
「じゃあ、噛んで」
「噛むか。俺は最近パトカー見るだけでびくついてるんだぞ」
「先生。やっぱり可哀想」
蓮がしゃがみこみ俺の膝に頭を乗せる。
俺は左手で美しい黒髪を軽く一掴みしてみる。
今警察に踏み込まれたら言い逃れできないなと思いながら。
「耳触って」
「耳?」
「冷たくて気持ちよくない?」
「嫌、お前の耳熱いよ」
「えー」
「気持ちいいな。結構」
日曜の朝っぱらから女子高生の耳触ってるとか何してんだ俺。
高校生の俺が今の俺見たら引くだろうな。
どう言い訳したって唯のロリコンだもんな。
ああ、まっとうに生きてきた頃に戻りたい。
「先生」
「んー?」
「私も幸せ」
前言撤回。
戻らなくていいや。
寧ろ時間加速してさっさと再来年になれ。