いつもの
「帰りたくない」
またか。
毎週これやる気だな。
蓮はベッドの前で現在三角座りをして俺に背を向けている。
どんな顔をしているのか見なくたってわかる。
俺はお気に入りの世界一座り心地のいい椅子に座り悠々とその小さくて頼りなげな柳の下にいるような蓮を眺める。
我ながら性格が悪い。
だって俺は今ひたすら楽しい。
俺は今この光景をとても美しいと感じている。
日曜日の夕方に毎週見たいとさえ思う。
これで明日からも仕事頑張れる。
こんな男に引っかかっちゃって蓮、可哀想に。
でも離してなんか絶対にやらないけど。
もう決めたから。
「明日学校で会えるだろ。一時間目から」
「会えるけど、会えるんだけどー」
「お菓子、持って帰っていいぞ」
「子供じゃないです」
「子供です」
「寂しいよう」
「毎日会えるだろ」
「でも寂しいの。先生。私遠距離恋愛なんて絶対できない。先生の顔三日も見れないとか耐えられない」
「耐えろ。人生は長いんだぞ。三日くらいすぐ終わるよ」
「先生」
「なあ、顔見せてくれよ。顔見たい」
「先生は毎日見れるから私の顔なんか三日くらい見れなくてもいいんでしょう」
「そんなわけないだろ。俺も毎日見たいよ。お前の顔好きだから」
「顔だけ?」
「全部好きだよ。でも特に顔」
「この顔じゃなかったら好きになってくれなかった?」
「嫌。そんなことなかったな。一生その顔見れなかったとしても好きになってたと思う。今その後ろ姿見てるだけでいいと思うし」
「どんな顔か知ってるからでしょ」
「それだよ、そういうところ。そういうこと言いだすとこだよ。レベル違うくらい美少女なのに俺相手だととんでもなく自信なくて、俺相手にぐるぐるしてかっこ悪いとこ簡単に見せてくれるとこだよ。すぐ泣くし」
「そんなとこがいいの?」
その、解せないって声、最高に可愛い。
蓮じゃないけど、俺も今録画したい衝動に駆られている。
今なら気づかれないから撮り放題だが、そんなことはしない。
だって本物のがいいし、蓮は来るたびに俺の好きを更新していく。
本当にこれ以上好きにさせてどうするんだ。
こんな三十前の、たいして金も持っていない男を。
「どんなとこだっていいよ。どんなことしてたって可愛いよ」
「先生すぐ可愛いって言うから、先生の可愛いはきっとおはようとかこんにちはと一緒なんだよ」
「どんなキャラだよ。俺がそんな息をするように可愛いって言う人間に見えるのか?」
「見えないけど。でも先生、私のことすぐ可愛いって言ってくれるし、綺麗だって褒めてくれるでしょ?それこそ一分に一回」
「そんな言ってないだろ。カップラーメンもできないじゃないか。そんなに言ってないよ」
「でも、割と可愛いって言ってくれるよね。好きも言ってくれるし、先生言いそうにないのに」
「先生は正直だから」
「嘘」
「嘘じゃないだろ。本当に可愛いよ」
「先生、ごめんね」
「んー?」
椅子をくるっと一回転させる。
回転しても蓮はさっきのままだ。
「オムライスの材料どうするの?」
「ピーマンと人参と玉ねぎと鶏肉だろ。夜野菜炒めにして食べるよ」
「いいなー」
「野菜炒め好きなのか?」
「先生が作ったものがいいなーだよ」
「そんなもんでいいなら又作ってやるから」
「うん」
「今日はもう帰らないと、もう四時だぞ」
「うん、何か先生の方が奥さんみたいじゃない?」
「料理する方が奥さんとかいつの時代の話だよ」
「先生家事スキル高すぎて・・・私悲しい」
「お前より十一年長く生きてるんだからそんなの当然だろ」
「結婚したらすぐ追いつくからね」
「いいよ、そんなの」
蓮は俯き身体を益々小さくする。
そのまま畳んでしまってこの部屋の家具の一部にでもなりかねないけど、それならそれでいいような気もする。
俺だって毎日家に蓮がいたら楽しいと思ってはいる。
仕事の合間に顔見れたらそれだけで元気になりそうだし、肉体と精神のいい栄養補給になって又頑張れる気がする。
多分ビタミンB2とかビタミンB6とかより効く。
「蓮、帰ろう。もう四時だ」
「うん」
「ゾンビ映画借りとくから」
「パジャマも」
「わかった。パジャマな」
「白衣もね」
「白衣はなし。コスプレNG」
「聴診器は?」
「何だ、それ?」
「お医者さんごっこ」
「するか、もう、蓮」
蓮はとうとうそのままの姿勢で床に転がった。
起こしに来いと言うことか。
俺は椅子から立ち上がり、蓮の小さな背の後ろで胡坐をかく。
「蓮」
「帰りたくない」
「どうして?」
「先生と一緒にいると楽しすぎるの」
「楽しいことの後は楽しくないこともしなきゃだろ」
「先生といると何にもしなくても楽しいの。こんなの初めて」
「それは良かった」
「来週のこと考えると楽しみで楽しみで不安になるの。その楽しいこと終わっちゃったらどうするんだろうって」
「また次の楽しいことがあるんだろ」
「そうなの?」
「当たり前だろ。俺は毎週楽しいよ。同じ一日なんて一日だってないよ。お前は毎週面白いし、可愛いし」
「面白い?」
「面白いよ。俺も来週楽しみだよ。またお前が何言いだすのか。どうやって帰る時ごねるのか」
「ごねる前提なんだ」
「毎週ごねてるだろ。ほら、もう駄目だ。四時過ぎたぞ」
「うん」
蓮は観念したのか起き上がると振り返り俺を見た。
おかしな話だが初対面のような名前を聞くところから始められそうな予感めいた新鮮さがあった。
「帰るね」
「ああ」
そこからの蓮は早かった。
洗面所に飛び込むと手早く金髪のウィッグをつけ眼鏡をかけて、玄関に向かった。
「お前かっこいいね」
「え?」
「お前はかっこいいよ。そうやって俺に背を向けてさ、颯爽と堂々と背筋伸ばして帰っていくんだもんな。ホントかっこいい」
「先生何言ってるの?」
蓮が笑う。
その笑みが如何にも上級者めいていて余裕が感じられた。
変装は自信をつけるのだろうか。
そういうとこも又可愛いし、面白いのだ。
やっぱり目が離せない。
ずっと傍にいてほしい。
どんな姿でもいいから。
「お前は本当にかっこいいよ。かっこいい女の子だよ」
俺の方がよっぽどかっこ悪い。
いつも一人で戦わせてる。
いつもその小さな背を安全な場所で見送っているんだ。
情けない。
「先生」
「ん?」
「先生もかっこいいよ」
「どこがだよ」
「そうやって自分のことかっこいいと思ってないとこがかっこいいよ。今の先生私しか見てないとか思うとドキドキする」
「さよか」
蓮はまた笑う。
「もう帰るね。帰らないとずっと玄関にいなきゃならなくなるもんね」
「ああ、そうだな」
「私はそれでもいいけどね」
「俺は嫌だ」
「私も嫌。先生とはもっと快適なところでイチャイチャしたい。べったりしたい」
「はいはい」
「先生。バイバイ」
「はい。バイバイ」
蓮が玄関のドアを閉める。
もう蓮が見えなくなる。
蓮は一人で風を切って歩いていくんだろう。
その背を簡単に想像できる。
その背に俺を並べる必要はあるかと自問するが、蓮はそれでも頼りにならない俺を必要としてくれるだろうから、俺は少しゲームをしてから家事スキルを上げてしまう夕飯の用意に取り掛かる。
今日は鶏肉と人参とピーマンと玉ねぎと残っていたキャベツで野菜炒めをして、昨日買っておいた鰆の西京焼きを焼いて、冷ややっこに生姜とネギを乗せて食べよう。
ああ、あと忘れないうちに怖くないゾンビ映画を調べないと。
下ネタとラブシーンのない子供と見ても安全なやつを何本か。




