適切な距離
「先生って見た目思いっきり理系のテンプレみたいなのに、文系なんだよね」
「理系のテンプレって?」
「眼鏡」
「それだけか。眼鏡かけてたら全員理系か。日本の男ほとんど眼鏡かけてるぞ」
「そんなにかけてるっけ?」
「多分」
「先生絶対白衣似合うのになー。先生の白衣見たい」
「白衣?」
「ねえ、八月の先生のお誕生日白衣プレゼントしたら着てくれる?」
「コスプレNGだから」
「えー、白衣はコスプレですかー?」
「コスプレだろ。切る必要のないものを着るというのは全てコスプレに当たるだろ。国語教師の白衣はコスプレだ」
「毎日スーツ着てるじゃない。コスプレみたいなものじゃないの?」
「スーツは当たり前だろ。先生なんだから」
「でもさ、先生。私達も毎日コスプレしてるようなものじゃないの?学生の」
「お前は本当に学生だろ」
「そう、それなの。制服着てたら誰でも学生に見えるでしょう?」
「誰でも?」
「うん。誰でも。例えばある特定の生徒を暗殺するために雇われたエージェントとかでも」
「十代ならな」
「先生だってそうだよ。スーツ着て学校の廊下を堂々と歩いていたらもう先生にしか見えないでしょう。実はある特定の生徒を暗殺しに来たエージェントでも」
「今その設定が好きなんだな」
「うん。できれば先生とそれやりたい」
「どれ?」
「二人ともある組織の一員なの。で家の学校のある生徒を暗殺しに来るのね。でもどの生徒を暗殺するかわからないの。先生と私が相棒で二人で力を合わせて暗殺するの」
「するか。生徒だぞ」
「その正体は世界を亡ぼす鍵を持ってるとかいう設定で人間じゃないから大丈夫」
「お互いの正体がばれるわけにいかないから学校でも私と先生おしゃべりしたりしないの。メールも電話も禁止」
「どうやって連絡取り合うんだよ」
「お互いの式神とか召喚獣とか」
「ファンタジーなのか?暗殺なのに?」
「うん。でね、この案件が終わったら先生は組織を抜けるって私に言うの。でねお前も一緒に来るかって言いたいけど先生言わないの」
「言わないのかよ。何で?」
「まだ私の気持ちがわからないから」
「先生の片思いなわけ?」
「ううん。両思いだけど、言えないんだよ」
「なあ、でもその設定だと先生死なないか?この案件が終わったら俺は組織を抜けるって死亡フラグわざわざ立てただろ。どう考えても死ぬやつだろ」
「死なないよ。暗殺失敗して二人で逃げるんだよ」
「どこに?」
「日本中を二人で逃亡するの」
「すぐ捕まるよ」
「捕まんないよ。すぐ逃げるもん」
「授業中そんなことばっか考えてるのか?」
「まさか。ちゃんと聞いてるよ。先生の授業で妄想してたら勿体ないもん。先生の声聞き洩らしたくないもん。だって先生の声聞き放題なんだよ。最高じゃない。幸せすぎて私一日中国語でいいもん」
「他の授業も聞いとけよ」
「聞いてるよ。私ちゃんとしてるでしょ」
「まあ、成績はそうか」
「私高校入ってから国語好きになったよ。古文も現代文も好きじゃなかったのに。でも今は大好き。先生の声聞けるし。先生の綺麗な字見れるし。先生の背中見放題だし。黒板の字ねいつも消さないでって思うの。写真撮っと来たいなって思うの、でも我慢してるんだよ。ばれたら先生困るし」
「悪い」
「先生悪くないよ。私が勝手に好きなだけだし」
「勝手じゃなよ。俺も好きだし」
今俺達の間には秋には炬燵として大活躍し、俺の寵愛を一身に受けるテーブルがある。
テーブルを挟んだ俺と蓮を隔てる距離はおよそ七十二センチ。
これが十代の少女と先人男性との適切な距離だ。
嫌、これでも近い。
実際はもっと遠く、お互いがメガホンを持って叫ばないと声が聞こえないくらい距離を取るべきだ。
あらぬ誤解を受けないために。
ただ俺のは誤解じゃないため、それが余計罪深い。
悪いのは俺だ。
蓮は何も悪くない。
「お前は何も悪くないよ」
ああ、やっぱりこの距離も適切じゃない。
少し身を乗り出した少女のテーブルに乗せられた小さな白い両手を、向かいに座り頬杖を突きながらでも簡単に握ってしまえるこの距離は、不適切だ。
「先生・・・迷惑じゃない?」
「迷惑じゃないよ。俺なんか好きになってくれて、寧ろありがとう、だよ」
「先生・・・」
また泣くだろうなと思ったら案の定蓮は泣き出した。
涙を止めようとお茶を一気に飲もうとしむせて、ごほごほと頬を赤く染め咳をする。
その背中をさすってやりたいがそれすら躊躇する。
こんなに動けなくなるものかと感心する。
付き合っていて、お互いのことが本当に好きなのに。
こいつ毎週泣いてるな。
まあ泣かせてるのは俺なんだけど。
本当は千の言葉より一の行動だろうなとは思う。
でもできない。
この距離を詰めるわけにはいかない。
この距離を保ったままにしたい。
もう大分脱線してる気もするが、まあまだ神様もお許し下さるはず、だ。
どうか少しだけ目を瞑ってていただきたい。
後二年我慢しますんで、手を繋ぐくらいは大目に見て下さい。
俺は涙を拭った蓮がチョコレートに伸ばした手を取った。
蓮は泣いたりしなかったが、今にも泣きそうな顔で笑った。
「先生」
「ん?」
「私もう一生チョコレート食べられなくってもいいよ」
「お前欲なさすぎ、チョコくらい千個でも二千個でも食べさせてやるから」
「うん」
「お茶はゆっくり飲めよ」
「うん。もうちょっとこうしててね」
「あー、うん」
「左手でゲームしてていいから」
「もういいよ」
「先生の手暖かいね」
「冬は冷たいよ」
「じゃあ私が暖めてあげるね」
「炬燵があるからな。炬燵があったら無敵だ」
「炬燵いつだすの?」
「秋になったら。十一月には出してるかな」
「じゃあ秋になったら炬燵に入ってお鍋しようね」
「ああ」
「約束だよ」
「ああ」
結局蓮がお茶を飲み終えるまでずっと手を握った。
人生は本当に不思議だ。
手を放す適切なタイミングとその後どうしたらいいか、そんな正解があるのかさえも定かではないものをこの年になって真剣に考えるのだから。




