遊び
蓮はこらえきれず俺に背を向けソファに突っ伏したので、俺はスマホに手を伸ばす。
「先生。ごめんね」
「何が?」
「私これじゃあ先生のお家に遊びに来てるだけだよね」
「遊びに来てるんだろ。何の問題がある?」
「本当に遊びに来てるだけだよ。何一つ役に立ってないし、彼女らしくない。彼女の機能を果たしていない、彼女の義務」
「彼女の機能って何だよ。彼女って役職かなんかなの?」
「私ご飯食べて遊ばせてもらってるだけだし」
こいつ自己評価低いよな。
私みたいな美少女と付き合えるなんて先生の人生でこれ以上の僥倖ないんですからねって言うくらいでいいのに。
あれか。
顔が良すぎるゆえの弊害ってやつか。
自分が美しすぎて、美しいことが当たり前だからそれを評価しないため、他人の顔にも自分の顔にも評価をつけるという習慣が持てず、美しさと言うものを武器だと思えないでいると言う。
「蓮、お前はこの世にいるだけで価値があるよ」
無言か。
まあ俺もゲームしながら言ってるけど。
俺達は多分こうやって毎週こんな感じなんだろう。
蓮が落ち込んで俺が慰める。
そうやってる間に時間が過ぎ二年なんてあっという間に過ぎていく。
そして思い出すのかな。
二人で。
あの頃楽しかったよなって。
って、爺さんか俺は。
蓮は何でそんなに何かしてあげたいと思うんだろうな。
俺は他人に何かして欲しいなんて思ったことないんだけど。
まあ逆に他人に何かしてやりたいとも思わないけど。
蓮はあれか、尽くしたい子なのか。
「先生子供のお世話してるみたいじゃない?私姪っ子みたい?」
「先生姪っ子三人いるけどお前程可愛いと思ったことないよ」
「可愛いってお父さんの気持ちなの?」
「お父さんって・・・」
蓮への気持ちを認めたくなかった頃、父性っていうか父親みたいな気持ちなのではと思い込もうとしたことがる。
蓮の幸せを心から願っているし、蓮は幸せであるべきだと思っている。
でもそこに自分はいなくていいかと言うとそんな優しく思慮深い大人にはなれない。
博愛とかじゃない。
俺は本当は心底蓮が欲しい。
この先蓮が大人になって他の誰かを好きになったとして、その時心から彼女の将来のため潔く身を引くなんて男の中の男みたいな芸当はこれっぽっちもできそうもない。
嫌、絶対にできない。
今まで振られたことあるけど、というより今まで振られたことばかりだけど、蓮に振られたらもう立ち直れる自信があない。
年齢的な問題なんかじゃない。
今後生きていて蓮以上に好きだと思えるものができるとは思えない。
見た目の話じゃない。
多分面白い小説を読むのと一緒だ。
そこに心を震わせるものがあるからだ。
単純に感動があったからだ。
感動って色褪せないんだ。
忘れないんだ。
こんな気持ちが娘に対するものであるものか。
確かに生まれてきてくれて嬉しいと思っているけど、生きててくれるだけでいいって思っているけど、何処にもやりたくない。
どこかで自分以外に興味がない蓮を嬉しく思っている自分がいる。
こんな父親いてたまるか。
親ならこんな小さな箱庭に娘を閉じ込めていたいと思うはずがないのだから。
「お前が早く生まれてくれて良かったよ」
蓮が顔を上げる。
俺を不思議そうに見る。
「先生何言ってるの?」
「お前が早く生まれてくれて良かったって言ってんの」
「どこが早いの、遅すぎるよ」
「早いよ。十一歳くらいですんで良かったよ。流石に十五も離れてたらもうなかったなって思うし、いいタイミングだったよ」
「もっと早くが良かったよ。あと二年くらい早かったらなって」
「出逢えただけで凄いって」
この世で出会えないまま終わる人間が同時代にどれだけいるか。
同じ国にいても、すれ違うことすらないまま終わってしまうのに、俺は蓮に出逢えた。
これがよくある少女漫画的展開なら俺の元カノが登場したり、蓮に一途に思いを寄せる同級生的ライバルキャラが出てきたりするのだが、実際俺は別れてから彼女達と偶然会ったことなど一回もないし、今どこで何をしているのか全く知らない。
俺は狭い世界で生きているはずなのにこの世界は思ってる以上に広大で膨大らしい。
俺は完全に変わった。
伊勢物語の主人公並みに恋愛脳だ。
でも歌があれほど詠めるだけで俺は心から尊敬に値すると思うので女性のことばかり考えていても悪くは言えない。
俺は歌一つ蓮にやれないから。
蓮に会う前は何を考えて生きてたっけ。
まあ大したこと考えて無かったろうな。
今は何を見ても蓮に結びつけてしまうようになっただけだ。
俺の根本は変わっていない。
「蓮チョコとって」
蓮がテーブルの上のチョコを手に取る。
袋を開け親指と人差し指で四角形のチョコを摘まむ。
「先生。口開けて。食べさせたげる」
嫌、そういうのはいい。
と言いたいがここは好きにさせてやろう。
嫌、ダメだ。
そういうのをやる年じゃない。
そんなバレンタインのラブコメイベントは俺の人生に相応しくないし、俺はそれを望んでいない。
俺はいつだって穏やかで静謐な日常だけを望んでいる。
それこそがかけがえのないものであるということも知っている。
嵐のような鮮やかさは蓮だけで十分だ。
俺がいつまでたっても口を開けないので蓮はチョコを自分で食べた。
俺がやりたくないというより、結局のところ恥ずかしくなったんだろう。
とんでもないこと言う割にこういうとこがあるから、離せないんだろうな。
「先生、お茶野飲みたい、お茶入れていい?」
「ああ」
蓮はチョコを箱ごと俺に渡し台所へ逃げ込んだ。
その背が小さくて、伊勢物語の芥川に出てくる女の様に鬼に一口で食われてしまいそうだと思い、腰を上げ蓮の背を追いかけた。




