お菓子
「先生昨日の夜粕汁と何食べたの?」
「えーっと、粕汁とカリフラワー茹でたのを胡麻ドレッシングで食べたのと、ああ、鯖煮た、味噌で」
蓮が豆乳の入ったコップを置き顔を顰めてみせた。
家に来るたびコップ一杯の豆乳を飲ませているが効果はどれほどなのだろうか。
彼女の健やかな美にほんの少しでもに貢献できているならいいのだが。
今のところ誰にも誇れるわけではないが、俺は何だかんだと蓮が綺麗なのが単純に嬉しいしいのだ。
「先生」
「ん?」
「先生って彼女いるがいがない人だよね」
「は?何だそれ、彼女いるがい?」
「鯖の味噌煮なんて何で自分で作っちゃうの、私のやることなくなっちゃうじゃない」
「鯖の味噌煮が作りたいのか?」
「そうじゃないよー。作りたくないこともないけど、そうじゃなくてー、そういう如何にも家庭的なおかずを先生作っちゃうんだもん。そういうのは普通彼女が作るの。先生は何にもしないで食べる人になって、凄いな、こんなの作れんのか、いいお嫁さんになるよって言うの」
「何だそれ、何で見たんだよ。しねえよ。言わねえよ。料理なんて作れる人間がしたらいいだろ。
それにあれだ、お前より先生の包丁歴のが長いから。先生大学から一人暮らしだからもう十年近くやってんだぞ。大体のことは一人で何でもできるよ。やらなきゃしょうがないんだから」
「先生お掃除普通にしてるしー」
「部屋汚いの嫌だろ」
「普通の独身男性の一人暮らしの部屋ってもっと散らかってて、カップめんの容器が散乱してて、足の踏み場もなくて、ビールの空き缶が転がってて、洗ってない食器がシンクに溜まってて」
「俺酒飲まないぞ」
「例えー」
「ああ、悪い。続けて」
「兎に角部屋中散らかってるの。それを彼女が片付けるの」
「お前休みの日まで人の部屋掃除したいの?俺だったら嫌だなー」
「人の部屋じゃないもん。彼氏のお部屋だもん」
「ええっと、部屋汚くしとけばいいわけ?」
「わざとらしいのはダメ。本気で汚くないと」
「そんなに掃除したいの?」
「掃除って言うか、彼女いるがいを感じてほしいんだよ」
「もう十分感じてるよ」
「どこが。だって先生何でもできるじゃないですか。粕汁は美味しいし。鯖の味噌煮は作っちゃうし。先生の味噌煮食べてみたい」
「じゃあ今度作るよ、ってお前が作りたいんじゃなかったの?」
「作りたいけど、先生の作った鯖の味噌煮食べたい。先生がその大きな身体で台所立ってると思うだけで興奮する」
「ああ、そう。蓮」
「ん?」
「豆乳もう一杯どうだ?」
「飲む」
「よし、入れてきてやろう」
「うん。ありがとう。先生」
買っておいたきんつばを出してやると蓮は喜んだ。
スーパーでたった六十八円だったことは黙っておこう。
「きんつば大好き」
「俺も」
「お腹いっぱいでも甘いものって食べれるよね」
「ああ、食える」
「先生おにぎり足りた?」
「ああ、美味かったよ」
「私も美味しいかった。味のりでも美味しいね」
「味のりはなんにでも合うからな」
「うん。このきんつば小豆が大きくって美味しいね」
「そうだな。せんべい食べるか?梅ざらめの」
「食べたい」
「ちょっと待ってて」
「うん」
蓮が来るようになり前日にお菓子を買うのが習慣になった。
元々食べなかったわけじゃないけど、今は自分が食べたいのと言うより蓮に食べさせたいのを選んでいる自分がいて、それを思い出すと恥ずかしくなり、台所にうずくまりたくなる。
だっておかしいだろ、その光景。
十一も年下の高校生の彼女が来るからって、前日にお菓子とかジュースとかをいそいそと買い込んでる二十八歳って。
しかも楽しみにしてるんだぜ、その二十八の男。
しかも教師。
終わってる。
一年前の俺なら同じことをしている同僚がいたら軽蔑しただろう。
そういうことを俺はしているのだ。
「先生?」
振り返ると蓮が俺を見ていた。
長い黒髪がたっぷりとしていて泉から湧き出るようだ。
頬は薔薇が咲いたように彼女の白い頬を競い合うように彩る。
黒い瞳は何もしなくても発光し、いつだって真剣だ。
いつだって本気で俺を見ている。
こんな子が俺のことを好きだなんて、まったくこの世はどうかしてる。
「先生?どうかしたの?」
「嫌。チョコも食うか?乳酸菌入りだぞ」
「食べるー」
輝くような笑顔とはこういう顔を言うんだろうな。
ああ、結局俺は蓮と会えなくなるなんて想像することすら拒絶したい。
この顔をずっと見ていたい。
彼女の清らかさを純粋さを浴びていたい。
少し違うが竹取の翁の気持ちかもしれない。
俺も蓮を見ると苦しいことも腹立たしいこともどうでも良くなるような気がするし、蓮のいる部屋はいつだって明るく、光で満たされていて、闇が近づく気配すらない。
自分への嫌悪は増すばかりだが、こんな自分を蓮が好きだと言うのだから、いちいち後ろ向きにならないで、少しでもマシな人間になる様に努力しよう。
だから規則正しく健康に暮らし、部屋の清潔さも保つ。
愚痴も零さず、懸命に仕事をする。
他人を羨んだりせずに。
今のところ俺にできるのはそれくらいしかない。
あとは蓮の健康と幸福と安全を。
本当のところ、今の俺の望みと言えば、それだけで、それがまた恥ずかしい。
十一も年下の女の子に依存し彼女に未来ををかけているのだから。




