ごっこ遊び
「じゃあ行ってくるから、先生私がドア閉めたら鍵かけてね」
「俺が家にいるのに鍵開けて入るのか?」
蓮の右手には高野山土産のお坊さんのキーホルダーのついた俺の家の鍵があり、お坊さんは心なしか柔らかな笑みを湛えているように見える。
こうなるともうその鍵もう俺のとこに帰って来たくないんじゃないかって思う。
「確かにそうかも。じゃあ先生も外に出て。私が先生のいないお家に先に帰ってご飯用意しているって設定にするから」
「そうなんだ」
「念のため眼鏡とマスクするね」
「そうだな。ついでにその金髪も」
今日の蓮は金髪のウィッグでやって来た。
ここまでせんでも眼鏡とマスクだけで大丈夫そうなものだが、蓮はどうやらこの変装が楽しいらしいらしい。
先生だって私の変装楽しみでしょと言われたが、否定はしなかった。
確かに蓮がマスクを取って眼鏡を取り、ウィッグを外し蓮の長い黒髪が姿を現した時高揚する自分がいる。
「私金髪似合う?」
「何でも似合うよ。さっさとやって飯にしよう」
「うん、じゃあ、先生出よ」
「ああ」
二人で外に出て蓮がドアに鍵をかける。
「じゃあ、先生。おかえりなさいしたいから少したってからピンポン押して」
「ああ」
「ただいまー言ってね」
「わかった」
「じゃあ、スタートね。先生今いないからね。私だけ帰ってきたの」
「はいはい」
蓮が鍵を開けて、誰もいない俺の家へただいまーと言い入っていく。
俺は何も言わずそれを見送る。
何だこれ。
二十八になる男が休日の昼間っからすることか?
思ってる以上に俺はとんでもない世界に足を踏み入れたらしい。
ごっこ遊びをこの年ですることになろうとは。
まあ仕方がない。
ごっこ遊びしかさせてやれないのだから。
俺はピンポンを押す。
そういえば自分で押すのはこれが初めてだ。
ドアを開けてもらうのも恐らく。
「お帰りなさい」
「ただいま」
白いエプロンをした蓮が立っていた。
黒い髪に黒いスカートに黒いタイツに黒いカーディガンとブラウス以外全身黒ずくめだったため白いエプロンが雪景色に赤い花が咲いたように映える。
でも少し残念だ。
黒髪が降りてくるところを見たかった。
いいものは何度見てもいいのだ。
「もう先生早いよー。まだ何にもできてないよー。早くなる時はメールしてって言ったでしょう?」
「携帯持ってねえよ」
「もう、いっつもそうなんだから」
ああ、そうか。
そういう設定なのか。
「もう、簡単なものしかできないからね」
「何でもいいよ。食えたら」
「いっつもそうじゃない。毎日ご飯の用意するの大変なんだからね。食べたいもの聞いても何でもいいって言って、何でもいいが一番困るんだからね」
「あー、はいはい」
「はいは一回。もういいから着替えてきて」
「はい」
何だこの茶番。
というより蓮はこんなこと言うキャラか?
何だこの紋切り型の彼女、彼女と言うより嫁?
「大体先生は時間は守らないし」
俺は時間は守る。
十五分前行動は常識だ。
「私がいないとカップ麺ばかり食べてるし」
俺は毎日自炊している。
カップ麺も滅多に食べないし、外食もしない。
なのでこれはもう俺ですらない。
「服は脱ぎっぱなしだし、私がいないとごみ屋敷になっちゃう」
もう完全に俺じゃない。
確かに俺の部屋は本だの漫画だのDVDだの荷物は多いがちゃんと掃除しているし、洗濯もちゃんとしてる。
「あとは、うーん」
「もうないだろ?そろそろ飯にしよう」
「そうですね。何か違うし」
「何が?」
「先生じゃない。だって私の先生は時間厳守だし、お味噌汁自分で作っちゃうし、お部屋綺麗ですもんね」
「そうだな」
「でもお帰りなさいは良くなかったですか?」
「良かったんじゃない」
「ときめきました?」
「そこまでは」
「えー」
「だからそういうの別に望んでないし。そんなに飢えてないんだよ、家族に」
「家族はそうでしょうけど、彼女は?」
「彼女はお前いるだろ。飢えてないよ」
「何にもできないエアー彼女でも?」
「お前みたいな存在感がある空気いるか。マスクして眼鏡してても隠し切れんほど顔輝いてるぞ」
「先生輝いてるって凄いこと言うね」
「だってホントにそうだからな。お前顔綺麗すぎて顔から光出てんぞ」
「もういいよ、ご飯にしよ」
「ああ。そうだ蓮」
「何ですか?」
「何でもない。食おう」
「はい」
お帰りなさいは、何とも思わなかったけど、私の先生は正直いいと思ったよと言おうと思ったけどやめにした。
こんなこと二十八の男が言うのは恥ずかし過ぎるし、言ったら蓮は今日一日中私の先生言いそうだからな。
揶揄われるのは好きじゃない。
例えそれが十一も年下の可愛い彼女であっても。




