1.公爵令嬢は婚約を破棄される
「私、ケナード・ウル・フェルセンは、ルナティア・ミリア・トバイアス公爵令嬢との婚約を破棄する!」
この王国で一番大きな研究機関として名高い、王立魔法学園。デビュタントを終えた貴族の令息令嬢が集まるその学園は、将来の王国を支える貴族令息たちの「コネ」をつなぐ場所であり、結婚を控える貴族令嬢たちが結婚相手を見つけ出す場所だった。令息たちは伯爵や公爵、その上は王子といった高位貴族の令息に気に入られようと奮起し、令嬢たちは婚約者のいない貴族令息に狙いを定め、ありとあらゆる手を使ってアプローチを仕掛けていた。
今日はそんな学園の卒業パーティーで、会場であるホールには学生だけではなく、様々な家の当主や夫人が出席し、自分たちの子供と共に社交を楽しんでいる。そんな最中に響き渡った場違いなこと甚だしい声に、私はひとり、ため息をついた。たった今婚約破棄を声高に宣言された、ルナティア・ミリア・トバイアス伯爵令嬢とは、何を隠そう私のことである。
「聞いているのか、ルナティア!」
パーティーの司会がいるはずの舞台の上では、私の婚約者、ケナードが私を睨みつけ、その横で小動物を思わせる華奢で可憐な少女がケナードの腕にしがみついていた。その様子から自分の置かれている状況は把握できたが、こんな公の場で婚約破棄をするなどという愚かさに、またため息が出そうになってしまう。さっと目だけで周りを見れば、先ほどまで歓談の声が忙しなく聞こえていた会場は、誰もがこの婚約破棄騒動の動向に注目しようと、異様な静けさに包まれている。私は小さく深呼吸をし、ケナード達を見つめ返した。
「聞いておりますわケナード様。突然、何をおっしゃられるの?」
努めて冷静に言葉を返すと、ケナードは得意げな顔で私を指さし、こう言ってのけた。
「お前の悪行はすべて聞き及んでいるぞ!私と懇意にしているこのリリィ・モナ・ブレイアム男爵令嬢に嫉妬し、リリィに向かって暴言や暴行を加え、あろうことか殺そうとしたことまで全てな!」
ざわり、と観衆がどよめく。まさか、とかそんなはずは、という言葉が途切れ途切れに聞こえてくる。それもそのはず、私は王国内で有数の公爵家の令嬢であり、自分で言うのもなんだが容姿もそこそこ整っているおかげで、社交界では「お淑やかな美しい公爵令嬢」で通っている。そんな私が嫉妬に駆られて人を殺そうとするとは、誰も思いはしないだろう。もちろん私も、そのようなことをするはずもない。観衆の反応に良い気になったのか、ケナードはさらに得意げな顔で私がしたらしい悪行について延々としゃべっている。
「…と、言うのが、恐ろしくもそこのルナティアが行った悪行である!私はそれを根拠に陛下及び父上に婚約破棄の許可を頂くつもりだ。陛下もこれほどの悪行を行う悪女とあれば、婚約破棄を許してくださるに違いない。そしてその暁には、我が最愛のリリィと婚約する!!」
そこまで言ってのけ、ケナードはしてやったりという顔で私を見た。ちらりとケナードの横にいる男爵令嬢を見やると、こちらはこちらで笑いたいのを堪えて被害者のような顔をしている。私は何度目になるかわからないため息をまたつき、もう一度ケナードに目を戻した。
「ケナード様のお気持ちは理解いたしました。ですが、わたくし達が学園を卒業した時点でケナード様は伯爵位を継ぎ、即刻婚姻を結ぶ…というのは婚約した時より決まっております。わたくしの父とケナード様のお父上でいらっしゃるフェルセン伯爵様が本日お見えにならないのも、その婚儀の準備のためだと伺っておりますが。…この状況下で婚約破棄など、認められるとお思いなのですか?」
「ふん、そんなもの、私の花嫁が変わるだけの些細なことだ。婚儀は滞りなく行うつもりである。」
つまり、ケナードは結婚相手を私からリリィ男爵令嬢にそっくりそのまま入れ替えてしまえば、婚儀の準備は無駄にならないだろうと、とう思っているらしい。その準備の費用は、ほとんどすべて私の父であるトバイアス公爵が出しているものだということを、ケナードは知らないようだ。あまりの愚かさに呆然としていると、ケナードが再び私を悪女と罵り始めた。
「お前のような悪女は正当な罰を受けるべきだ!ルナティア、貴様の行った悪事について、この場でリリィに謝罪をしろ!」
「謝罪しろ、とおっしゃいましても…。先ほどケナード様が仰っていたことは、わたくし全く身に覚えがないのですけれど」
「反省して許しを請えば許してやらなくもなかったが、この期に及んで…。なんという悪女だ!」
全く私の話に耳を傾けようとしない。幼いころからの婚約者だったが、これほどまでに嫌われていたのは驚きだ。確かに昔から私のことを目の敵にしていたが、少し我儘な性格によるものだとばかり思っていた。しかし、驚いている場合でもない。忘れそうになってしまうが、ここは学園の卒業パーディーの場なのだ。私たち個人が婚約破棄だなんだと話し込んでいい場所ではない。
「反省しなければならないことなどしておりませんと言っているではありませんか。ケナード様、一度双方の父に相談するということで、この場はおさめていただけませんこと?ケナード様もリリィ様も、この話題で注目を浴びるのは喜ばしいことではないのでは?」
「そうして自分の悪事をなかったことにするのだな。良いだろう、この場にいるすべての者がお前の悪事の証人だ。見栄を張っていられるのも今の内だと思っておくが良い」
「ええ、そうしておきましょう」
ケナードが男爵令嬢を連れて舞台を降りると、徐々に観衆も元通りの歓談に戻っていく。私はケナード達に遭遇しないようにしつつ会場を歩き、パーティの責任者に謝罪の言葉を述べた後、静かに会場を後にした。会場には父の代わりに兄が出席していたはずだが、ケナードが騒ぎ始めた頃に姿が見えなくなった。すでに兄が父に騒動の報告をしているはずだ。
「お嬢様、気をしっかり持ってくださいませ」
馬車に控えていた私付きの侍女マリーが心配そうな顔でそういった。大丈夫、と微笑んで見せたが、頬が引きつったように思う。
愛は見込めなくとも、伯爵家当主とその女主人として、良い関係が築ければと思っていた。…が、それすらも今夜の騒動で望めなくなってしまったと思うと、将来への不安が胸中を支配していくようだった。




