その3
「お医者様になってはどうでしょう?」と死神はそう言った。
この揺れる電車がどこに向かっているのか、下りなのか登りなのかわからないが
真っ暗な反対車線を勢いよく電車が駆け抜けていく音が聞こえた。
その風圧で少し車内がガタガタと振動し、こんな古そうな窓なんて粉々になってしまうんじゃないかと
思った。
「医者はいいですよ?お金も儲かりますし、自殺して人生的に負け組みなのに一気に勝ち組です」
「そんな簡単になれるもんじゃないだろ」
いわずもがな医者なんて職業はそんなに簡単になれるものではないだろう。人の命を預かる仕事だ。
「いえいえ、人は何にでも成れるものなんですよ。人が名乗れば何にでも成れる。犬にでも、豚にでも
狐にでも、そして王様にでも神様にでも、名乗ってしまえば何にでもなれるものなんです」
貴方さえ望めば、死神にだってね・・・。
笑えない死神ジョークを言う。ジョークにもなっていないけれど・・・。
「成ったとしても、俺には医者としての知識は何にもないぞ?痒み止めをぬったり絆創膏を貼る程度だよ。あとは張りぼての雑学しかない」
「貴方にそこまでの知識があるとは、ワタクシ共も期待はしていませんよ。そこまで張りぼての見栄を張る必要もございません」
だんだん慣れてきたのか、扱いが辛辣になってきた気がする。
「ワタクシ共が貴方にしていただくのは、ただ念じて手を叩くだけです。」こうフラメンコのように・・・。とその黒い背広のような格好にはお世辞にも似合っているとは言えない、それこそ張りぼての
フラメンコのポーズをとっていた。
「するとどうなる?」
「人間には必ず一人、担当の死神が憑いています。その人が死に直面していたりするとそれはくっきり見えるものなのです。それをこのおまじないで祓うわけです。浄化するわけです」
「どっちかっていうと医者というより祈祷師って感じだな」
厳密に言えばそれよりも単純という気もする。
「大病を患っている人なんか、足元にその死神がべったり張り付いているものですよ。実に不気味な有様です」
自分の同業者を気味悪がる死神だ。
下手をすれば自分の事なのかもしれない。
「ただし、この死神が人間の首にまで巻きついてしまっているとダメです」
「ダメ?」
「タイムオーバー。そうなってしまっている場合は潔く死んで頂いています。」
つまりは寿命を全うしている。そういう事らしい。
自分の有様に耐えられなくなって自殺した俺にしてみれば、逃げてきた俺にしてみれば「おつかれさま」と言って現世からの卒業を黙ってみてやるべきなのだろう。
俺なんかにそんな激励を送られても何とも思わないだろうが・・・そう悲観的になる。
「で、どうですか?お医者様になってお金を稼ぎ、恋人を奪い返しに行くことも出来ますよ?」
真っ暗の中で走る電車は更ガタガタとカタカタと揺れる。
ぶら下がるつり革がまるで催眠術のコインにも見えた。
「それとも何もせずに、このままワタクシ共とあの世へランデブーしますか?」
死神と三途の川のツアーを渡りますか?と
YESかNOの選択を迫られる。不愉快な例えだが借金の催促を思い出す。
借金まみれの現世に戻っても何もいい事なんてないだろう・・・。
だったらこの胡散臭い死神と共に地獄へ行くのも別にいい気がした。
考えている間に貰った缶コーヒーはすっかり冷めていた。
そういえば、アイツは猫舌だからと言って冬でもホットの缶コーヒーを冷やしてから飲んでたっけ
ならわざわざホットなんて買わずに、最初からアイスカフェオレでも買えばいいのにと思うが
けれど日和はそうはしなかった。
「この微妙な生温さがいいの!トウヤはわかってないな!」と怒られた。
「熱いのと、暖かいのと、温いのは違うの!!」だそうだ。
今の俺の手の中にあるコーヒーは、その日和が好きな温さなのだろうか?
「あぁ・・・温いな・・・」
「あれ?」
気がつくと、俺は暗黒に囲まれたボロボロの電車の中ではなく、
自動販売機に囲まれた休憩室のベンチに腰を落ち着かせていた。
周りを見ると腕に点滴を差したお爺さんや子連れの女性が俺と同じようにベンチや椅子に座っていた。
どうやらどこかの病院のようだ。
「あ、お疲れさまです。如月先生も休憩してたんですね。珍しい」
「お、お疲れ様・・・。えっと高槻さんだっけ?珍しいかな」
「はい、高槻です。新人ナース3ヶ月と2日、高槻です。珍しいですよ如月先生が休憩なんて。だってだって普段は仕事熱心で仕事が恋人みたいなところがあるじゃないですか!」
仕事をする為に生まれてきたみたいなところがあるじゃないですか!と続けた。
生まれてきたというより、生まれ変わったと言ったほうが正しいんだろけど、仕事が恋人って
果たして俺は生きていたときは仕事をそれほど真剣にやっていたのだろうか?
もちろん、そこまで身を粉にして仕事していたとは言い難いところだ。
「俺だって休憩くらいするさ。ロボットだってたまには油さしてやらないとガタがくるだろ?」
「ですかぁ」
まぁ、今俺が飲んでるのは油じゃなくて温くなってしまったカフェオレなんだけどな。
「さて、そろそろ仕事戻ろう。午後からもやる事多いしな。」
「はい。ありがとうございました。如月先生とこんなに会話できるなんて思ってなかったので光栄です」
「大袈裟だなぁ」
俺は新人であると思われる高槻としばらく雑談したあとで休憩室を出た。
しかし、この「新人の高槻」という女性とは初対面のはずなのに、どうして俺は彼女の事を認知しているのだろう。
そしてよっぽどの事がないと俺が呼び出される事がないのは
これは死神の恩恵なのだろうか?
目を凝らすと歩く患者を含め人の身体に黒い靄が掛かっているのが見える。あれが死神なのかよくないものなのだろうか・・・。
何人か急患で人が運び込まれてきたりして、俺もあの死神が教えてくれた『おまじない』というやつで
死神を追い払った。
年老いた老婆だったり、若くして重い病気を抱えた青年だったりした。
確かに死神が言った通り、患者にへばり付く死神のその有様は不気味なものだった。
その死神本人にも黒い靄が掛かっていて、死神というより黒い炎のような状態だった。
死に近ければ近いほどに、その「黒」の形ははっきりしていた気がした。
それに応じて強く念じて手を叩くおまじないを行使するものの、念じるだけで体力を消耗した。
干からびそうなほどに、スライスされたジャガイモのように神経を鉋ですり減らされたような気分だった。
「あ、いたいた!!如月先生!!急患だそうです!!来て下さい!!」
先程の高槻が俺を見つけるやいなや廊下を走ってきた。
「おちつけ高槻、廊下走るな。」そういうと息を切らしながら謝っているようだが何を言っているのか
定かではない。
この日は急患だの何だので、あっちやこっちやで俺はひっぱり蛸状態だったので
もう毎度の事のようにツッコミを入れる。
この子はなんだか俺担当の呼び出しインターホンのような扱いになっている。
雑な言い方をすればパシリだ。
しかし、俺はまだこの時はやはり何も知らなかったのだろう。
この医者としての仕事を温く生きている様に成れている罰が当たったのかも知れない。
だからこそ俺は彼女が運び込まれているのを目の当たりにしたときに地に足が着いてるのが不思議に思うほどに驚いたのだ。
驚愕した。
「・・・日和?」
かつて手の届くはずだった日の光が、一変して曇り空になったのだ。
第3話の閲覧をありがとうございます。
さてとさてと、この物語は落語の「死神」がオマージュであるのです。一応はね。
フラメンコで客が手拍子や拍手をすると怒られるそうです。手拍子班が居るので邪魔になるからみたいですね。
演技の妨げになってしまいますからね。
ロックでは頭を振り乱したり飛んだり跳ねたりするのはウェルカムだし、とはいえバラードでは手拍子したりまったりと聴くのもいいですが、それしか知らない人にとってはフラメンコで手拍子して怒られるというのは、一度体験してしまうと目から鱗のようなものなのかもしれません。
どういう事であれ、何であれ、許される事も許されない事も人それぞれ国それぞれって事ですね。
場所やものが違うと携わるマナーも暗黙の了解も変わってくるというわけです。
まったくもって本編の内容にはかかわりのない単なる雑談となってしまいましたが、
次も是非読んでいってくれたら幸いです。




