名探偵 黒井尺伸弘
プロローグ
みなさん、こんにちは
私は、名探偵 黒井尺伸弘という者です
職業は、自分で名探偵というぐらいですので、もちろん探偵です
実は先日、とあるパーティーに出席したのですが、その席で不可解な殺人事件が起こりました
その、事件をものの見事に解決して見せたのが、誰であろう、私黒井尺なのです
今日は、皆さんにその事件のお話をさせて頂きたいと思います
C01
何かが気になる・・
金田光義は、えもいわれぬ違和感を感じていた
部屋の中央にはマホガニーのデスク。壁一面の本棚には、分厚いSFの洋書が傲然と並べられている
ここは、金田の自宅の書斎である
書斎の空気がいつもと違う。普段の暗澹とした雰囲気が少し和らいでいるような感覚
しかし、いつもより冷たい感覚
なんだろう、この違和感は・・?
C02
梅雨明け後の蒸し暑い日
夏とはいえ、この数日の暑さは格別だった
それに、追い討ちをかけるように、蝉たちの鳴き声が暑さをいっそうかき立てる
花火が夜空を彩る季節。盛夏の頃
連日の猛暑に庭の草木もぐったりしている
黒井尺伸弘もぐったりしていた
この、探偵事務所にはエアコンがない。値段的な問題もあるが、何よりこの事務所には構造上、エアコンを取り付けることが出来ない
なぜか?それは、この事務所が築三十年の木造アパートであるからに他ならない
つまり、自らの住居を探偵事務所に仕立て上げているというわけだ
仕事の以来も乏しく、亜熱帯と化したこの事務所でただぐったりしているのが、最近の彼の仕事であった
そんなある日、夏祭りの太鼓と囃子の音が届く頃、黒井尺のもとに一縷の涼風が届いた
それは、豪邸金田邸で和装美女会食パーティーが開催されるという情報だった
なぜ、和装か。それは、季節感も去ることながら、大部分が金田光義の趣味である
そして、その趣味は黒井尺のそれと一致していた
なんとかして、そのパーティーに参加出来ないものか?
黒井尺は呻吟した
C03
その屋敷は、人里を遥かに離れた山林の中に鎮座していた
黒井尺は和装コーディネーターと偽って、その屋敷を訪れた
この金田邸に黒井尺がコーディネーターとして招かれたのは、少なくとも偶然の結果ではない
多少の時間とささやかな投資が、それなりに必要だった
それほどまでに、和装美女は黒井尺伸弘個人にとって看過できない重要項目だったのである
だから、パーティー参加が決まった先週頃から彼はとても上機嫌で、同時に、軽い緊張感に襲われた
大きな仕事をするときの緊張感ほど、健康によいものはないだろう
屋敷の二階のベランダに出て煙草を吸っていた黒井尺の耳に、話し声が聞こえてきた
彼は静かに手摺まで身を寄せて、下を覗き込んだ。ちょうど、すぐ下の小道を、人が二人通りかかった
和装美女のおでましである
一人は真っ赤な紗袷に黄色い半幅帯、髪はツインテール。黒井尺がいることに気づき、こちらを見上げて、彼女はにっこりと微笑んだ
まったく曇りの無い笑顔だった
もう一人は、青い袴に紺色の細帯、髪はシニヨン。二人は友人同士らしい
これで、察したとは思うが、何も夏だからといって浴衣で来いという決まりではない。ようは和装ならなんでもいいのだ
二人は煉瓦塀の陰になり、すぐに見えなくなった。時刻は、夕刻の五時。ひぐらしの鳴き声が、心地いい涼味をはこんでくれる
時刻はわかっているのにまた時計を見た。パーティーは五時半からである。金田家の面々と、あとは十数人の来客(和装美女)
今の彼女たちも、ゲストであろう。食事のとき、彼女の笑顔がまた見られるかもしれない
予想通りの楽しみの出現を味わいつつ、彼は煙をゆっくりと吐き出した
C04
五時半になり黒井尺がラウンジへ下りていくと、すでに十数名の和装美女たちが、歓談していた
訪問着、付け下げ、小紋、紬、袴、浴衣等等、様々な和装に身を包んだ美女たち。先ほどのふたりも、そこにいた
一人一人を詳細に紹介したいところだが、本題である事件にはあまり関係ないので省くことにする
ここで、注目すべきは、先ほどの赤い紗袷を纏ったツインテールの美女の存在である
なぜ注目すべきか?それは、後に起こる事件に深く関係してくるからである
黒井尺は、その赤い和装美女に声をかけた。名前は、佐倉香織というらしい
「ところで、えっと、佐倉さん、どうしてこちらへ?」
「私は・・・、うーん、なんでだろう」
彼女は無邪気な表情で、天井を見上げた。黒井尺も思わずつられてシャンデリアを見上げてしまった
「私、金田さんと、お友達なのです」
「これはまた、予想外に簡潔なお答えですね。どちらの金田さんですか?」
「あ、もちろん、ご当主の金田光義さんです」
「金田光義氏は、確か・・、七十七?」
「はい、つい先日、喜寿をお迎えになったばかり」
「お友達にしては、その、歳が離れていませんか?」
黒井尺は尋ねる。目の前の和装美女は、サイボーグでもないかぎり、どう見ても十代後半から二十代前半
金田家の主とは、軽く半世紀もの隔たりがある
「いけないかしら?」
首を傾けながら彼女は目を細め、余裕の表情を見せる
「それに、そういうのって、面白いコンディションだとはおもいません?」
「コンディション?」
「川の向こう岸が遠いほど、思いっきり走らないと飛び越えられないわけですし」
彼女は口元を緩めた
「それ、意味深な比喩ですね」
「ええ、私、ちょっと今、酔っていますの」
今まで気づかなかったが、窓際のテーブルに、小さな空のワイングラスが立っている。ドリンクサービスがあったようだ
C05
「それにしても遅いな」
黒井尺は腕時計を見た。もう、六時をとっくに回っている
「そうですね」
「うーん・・」
周りにいる十数人の和装美女たちも時間を気にし始めたようで、歓談のざわつきかたが、先ほどまでと変わってきている
「私、見に行ってみます」
彼女がそう言い、歩き始めたその時。この館の、執事新井が、驚天動地の表情でラウンジに飛び込んできた
「た、たいへんだー!! 光義様が、光義様が、し、し、死んでいます!!」
「な、なんだってー!?」
黒井尺は大袈裟に声をあげだ
「な、何者かに殺されているんです!」
「なぜ、殺されたとわかるの?」
佐倉が質問した
「胸に・・、ナ、ナイフが・・」
「・・そう」
ラウンジの和装美女たちの大騒ぎがひとしきりついたところで、黒井尺は自分が探偵であることを説明し、自分が現場検証をするという旨を全員に伝えた
「私もいきます」
佐倉香織が声をあげた
「なぜ?」
「お友達だから・・。それに、あなたが犯人でないという保証もないわ」
「なるほど」
「証拠を隠滅する為に行くのかもしれない」
「わかりました」
観念したように黒井尺が言った
「では、ここにいる全員で現場を見に行きましょう」
「え?」
「だって、私と佐倉さんが共犯だという可能性もあるでしょう?」
「ああ、そうですね。では皆さんで行きましょう」
C06
金田光義の書斎
そこには、確かに金田光義の死体があった。胸にはナイフが突き刺さっている
金田は、驚愕の表情を顔に貼り付けて倒れている。ぴくりとも動かない。動かないはずだ。彼は死んでいるのだから
「なんてこと・・」
呟きが聞こえる。佐倉は両手で口元を押さえていた
「大変なことになりましたね」
黒井尺が佐倉の反対側から金田に歩み寄った。しゃがんだ黒井尺は、慎重な手つきで背広姿の金田に手を伸ばし、そっと上着の襟をつまみ上げる
白いワイシャツに赤黒い液体が染みこみ、不恰好な模様を形作っていた
「あ、これは何!?」
和装美女の一人、佐倉の友人(名前は高田紗由という)が床を指をさした
黒井尺もしゃがみ込む
「これは・・、ダイイングメッセージだ!」
床には、金田が自らの血で残したと思われるダイイングメッセージが残させれていた
『くろいきもの』
「黒い着物・・、ですか」
佐倉が、周りを見回す
「この中に、黒い和装の方は一人もいませんね」
黒井尺が沈痛なオーラを声に滲ませて
「まずは現場保存が第一です。とりあえずこの部屋を出ましょう」
C07
ラウンジ
「さて」
と黒井尺が佐倉に話しかける
「ちょっと考えるべき事態が発生したようですよ」
「そうですね」
と佐倉。黒井尺はふっと唇を笑みに戻した
「この状況は、まさしくクローズドサークルですよ」
「そんなことはとっくに分かっています」
「そして、一見すると殺人事件でもあります」
「自殺には見えませんからね」
「さらに、容疑者はここにいる全員です」
「犯人は、この中にいると?」
「そういうことになります」
黒井尺はラウンジに全ての和装美女がいることを確認したのち、全員から懇切丁寧にアリバイを聞き出した
その結果、全員にアリバイがあった
和装マニアの黒井尺なら分かりきっていることだが、着物を一度脱ぎ、黒い着物を着て犯行を行った後、また元の着物を着てここに戻ってくるには、最低でも三十分以上はかかる
しかし、十分以上ラウンジを離れた和装美女は、誰もいないという
全員が、全員の証人であるというわけだ
しばらく、思考した後、黒井尺が口を開いた
「犯人に心当たりがあります」
「えっ?本当に?」
佐倉が驚く
「ちょっと、失礼」
「え?」
黒井尺が佐倉の和装の袖口に、やおら腕を突っ込んだ
C08
「ちょっと、なにするの!?」
「ありました」
黒井尺が佐倉の袖口から取り出したものは、二つの電球だった
「え?なに、それ・・?」
「しらをきるつもりですか?しかし、もう遅い」
佐倉の表情が固くなった
「これが、証拠です」
「電球・・よね?」
佐倉の友人、高田紗由が尋ねる
「そうです。見ての通り、電球ですが、普通の電球ではない。よく見てください」
黒井尺は、その電球を高田の顔に近づけた
「青い・・」
「そうです。青い電球です」
「あ、そうか。だから、黒い着物!」
「察しか早くて助かります」
ざわつく和装美女たち。まだ、状況が理解できていない様だ
黒井尺が説明する
「つまり、佐倉さんは書斎の電球を予め、この青い電球に摩り替えていたのです。青い光の下では、赤い着物は黒い着物に見えるはずです」
「で、でも、電球が青くなっていたら、金田さんが気づくんじゃあ?」
高田が問う
「金田さんは、色弱だったのですよ。佐倉さん、あなたは先ほど、金田さんと友人であると言っていました。友人なら、その位の事は知っていて当然です」
「知っていたわ。・・でも」
「でもとだっては通用しません。さあ、警察に行きましょう。私が付き添います」
佐倉は観念したような顔で歩きだした
エピローグ
あらためまして、黒井尺伸弘です
どうでしたか、今回の事件は?
私の頭脳明晰ぶりが、みなさんに少しでもわかって頂けたら幸いです
ところで、実は私、皆さんに一つだけ隠し事をしていたんです
それは、ダイイングメッセージ「黒い着物」の事なんですけどね
実は、あれ、私が少しだけ、手を加えたものなんです
本当のダイイングメッセージは・・・
『くろいきもの』ではなく、
『くろいさしの』だったんですよ
それでは
一応解説
全ては、黒井尺が仕組んだ事だったんですね