極楽浄土
科学やら技術やらが進歩する中で、決して解明されることのない不可侵の領域。地の果ての森でもなければ深い深い海の底でもなく、宇宙を越えた先にある未知の空間、というわけでもない。
それは割と近くにある。もちろんパスポートなんて必要ない。飛行機や船、宇宙船も必要ない。そう、必要なのは少しの勇気とちょっとした高台か、他人の恨みつらみ嫉妬エトセトラ、あるいは剃刀でも縄でも充分な、うん? 嗚呼、そろそろ勘づいてきた奴がいると思うが、そう、多分正解。
さァおいでませ。ここは死後の世界『ゴクラクジョウド』。
___ぺェん。
三味線の弦の震えが鼓膜を刺激し、意識を浮上させる。そっとまぶたを持ち上げると、の眼前には立派な日本屋敷の庭が広がっていた。夢の中のように視界はソフトで、ふと、ドラマで使用されるカメラのレンズを覗き込んでいるのではないかと錯覚する。霧ほど視界が見えづらいわけではなく、だけど秋の夜ほどクリアなわけでもなく、なんとなく霞がかったエフェクト加工が施されたような世界の中で、ぺェんぺェんと三味の音は響く。
「よくいらっしゃった、お客人」
穏やかな低声が三味の間で優しく唄う。否、唄うような美しい声。その声が招く先に開け放たれた部屋があり、その縁に腰掛けた『彼』が三味を奏している。
ほどなく、ぺェん、と強く弦を弾いた後、心地の良い余韻を残して音が止んだ。柔い霞の奥の『彼』の衣擦れ、それから紙を数枚捲る音が微かにくゆる。
「……『ナオミネジン』。死因は大型車両によるひき逃げ、生前は善行者として知られ……ふむ。違いはないな?」
返事をしようと口を開く年頃50程度の男性、ナオミネだったが、閑静としながらも神々しい雰囲気に声を出すことを躊躇い、遠慮がちに頷く。
刹那、ナオミネは不可視の矢に貫かれた思いがした。三味の『彼』の、眠るように閉じられていたまぶたが僅かに開いているのを認め、その眼光に貫かれたナオミネは息が詰まり動けなくなる。
しばらくして、『彼』は再びその眼光をまぶたの奥に隠した。
「……偽りないようだな。ならば歓迎しようお客人、そして祝福する。ようこそ、『極楽浄土』へ」
続くんやで()