あの射
*安土:あづち。的を置くために造られた壁状の土。
練習後の円陣で、全体へのコメントをする機会を作ってくれた。
いいたいことは山ほどあったけど、
たぶんみんなを傷つけることになるから、いわない。
「みんなの射を見て思ったのは、
ハヤケの人が多いってことだね。
それから胴造りと引分けが充分になってない子もいたから、
一度基本に戻ってみるといいかもしれないよ」
だから当たり障りのないことをいった。
「ハイ」という掛け声のような返事を聞いて、
道場に礼をして、円陣は終わった。
先に帰ろうとしたら学に呼び止められた。
なのに、何か話してくれるわけもなく、そのまま部員と話している。
この場所に私の思い出はなかった。
思い出は思い出のなかだけにある。
もうここに来たくなかった。
気疲れするだけだ。
家電量販店でお客様の足音を聞きながら電池の品出しをしているのと同じだ。
道場に残る部員もまばらになる。
残ってる子たちも私を除けば雑談をしているだけだから、
体育館裏にある部室へ移動してしまう。
空はうすら赤くなっていて
矢道の草は冷めた紅茶の色を帯びていた。
整備された安土の真ん中に残された的が、
夕日に照らされている。
学が練習するのだろうか。
「じゃ、俺、ちょっと残るから」
「放課後の個人レッスンか」
「アホか。帰れ帰れ」
「報告楽しみにしてるぜ」
「なんもねえからな?」
学たちの男子高校生らしい戯言が終わる。
ふと学と目が合った。
道場には私と学の他に誰もいなかった。
目を逸らしたくなる。
男子高校生の猥談なんてかわいいものだから何とも思わなかったけど、
学の顔を見て、今まで現弓道部に対して
失礼なことを考えていたことに気付いて恥ずかしくなってしまったのだ。
「美苗さん、さっき円陣でいってたの、あれ本音じゃないっすよね?」
「そう? 結構的を射たこといったつもりなんだけどなあ」
とっさに冗談っぽく返したけど、
学には私のいい加減さを見破られていた。
いや、当然かもしれない。
あんなつまらないアドバイスなんて、
誰も真剣に耳を傾けないだろう。
「少なくとも、俺の知ってる美苗さんだったら、もっとちゃんとしたこといいます」
「直接指導したことなんてなかったのに、よくそんなこといえるね」
「射を見ればわかりますよ! 俺が弓道を知った、あの射を見れば!」
その声は大きく、強がっているように見えたけど、表情は曇っていた。
学が真面目なことを話そうとしてるのはわかったけど、
あくまで冗談の姿勢でいた。
相手は学なのだ。
弟分の悩みを湿っぽく受け取りたくなかった。
「俺、美苗さんの射が見たいんす」
風が吹いて、紺色の垂れ幕を揺らした。
じめりとした風が足元をさらった。