ことの始まり
「……ほんと、慣れないな」
エグジスタ。人と魔物を繋ぐ魔術。
常識外のその魔術は実際に目撃するまではどうしても意識から外してしまう。だから気付くのが些か遅くなるのは仕方がない、とティオは内心で言い訳する。
「まぁそんな事だろうと思いましたですが」
唯一ティオが気付いていないことに気付いていたらしいフィアがそんなことを言う。教えてくれてもいいじゃないかと思ったが、なんとなく情けないように思えて口にしなかった。
「改めまして。あの人の墓を造っていただいて、ありがとうございました」
「……ウィルソンさん、か」
「はい。と言っても、あの人の名前はこの間まで存じませんでしたが。……それでも、あの人には……」
メイド姿の女性、ネスレはそう言って懐かしむように笑みを作る。女性、と言ってもティオとそう離れた歳には見えない。10代後半くらいだろうか。少なくとも見た目は。
「確か、傷を負ったところを助けてもらったんだったか」
「はい。魔物として生きていた私には初めての“優しさ”というものでした。当時はそれすらも解かりませんでしたが。なんとなく、敵では無いと思って共に行動し、それがやがて日常になって……」
ネスレは目を閉じる。当時の想い出でも思い起こしているのだろうか。ティオは邪魔しないよう黙って待つ。だが残念なことに、第三者の邪魔が入ってしまった。
部屋の外から再び足音が聞こえる。誰かさんのように露骨な足音はさせていないが、それでも急いでいることは察せられた。
誰のものか当たりをつけたティオはその者の入室を待つ。
「――ティオ様……!」
やや勢いづいて扉を開け放ったのはこの屋敷の家主、ディノ・ライセンだった。
「おはようございます、ライセンさん。治療ありがとうございました。おかげで命拾いしたようです」
「おお……ティオ様……!」
無用な心配をさせないように落ち着いて挨拶すると、ライセンが感極まったように涙を目に浮かばせる。
「ご心配おかけした様で……。ですが、まず状況を確認したいです。僕が負傷してから何日過ぎましたか?」
「あまり無理をされては……いえ、失礼。……こほん」
気を遣おうとしたようだが、状況を鑑みてこちらの意思を尊重したのだろう。ライセンは一旦仕切りなおし、状況を説明し始める。
「――まず、戦いがあったのが一昨日……いえ、昨日の未明ですな。それからおよそ一日と少し、ティオ様は意識を失われておりました」
「その間、敵に動きは?」
「ありません。厳重に警戒させておりますが、不穏な影一つ無く……」
ライセンの報告を聞き、ティオは顎に手を当てて考える。
気にかかるのは、ゼノスが最後に言った言葉だ。ゼノスの標的はティオだと、そう言っていた。
(そう、標的になった、とゼノスは言った。何故だ? 単純に明確な敵対関係になったからか、それとも……あの日の何かが切っ掛けになった?)
ティオは思考すると同時にあの日の記憶を探っていく。あの戦いで何が在ったか、何をゼノスに見せたか。
ティオはしばらく考え込んだ後、一つの言葉を思い出す。
「……ライセンさん。“魔凱”という言葉をご存知ですか?」
「な……何故それを……!?」
ティオの問いかけにライセンは動揺を見せる。少なくとも、何かしらの情報は持っていそうだ。
「それについて……いえ、お互いの情報を全て出し合いましょう。ライセンさんも、気になることがあるでしょう?」
「は、それは……」
ティオがそう言うと、ライセンはチラリと他3人の方へ視線を向ける。ネスレがこうして服を着ている以上、ライセンはある程度の事情を知っているのだろう。或いはその瞬間を目撃していたかもしれない。
それを察したティオは苦笑を浮かべ、改めて提案する。
「では、話し合いましょうか。商会の今後を」
「人間に化ける魔術、ですか。……斯様な魔術があるとは俄かには信じがたいですな」
どこからか持ってきた椅子に座るライセンが難しい顔で頷く。
室内にはライセンに呼ばれた多数の使用人達がいた。昨夜も例の屋敷にいた使用人達だ。ライセンの側近に近い者達だろう。
ティオが療養していた個室に入るにはやや多い人数だが、未だ全快で無いティオを移動させる訳にはいかないと気を遣った結果である。
話し合いに際して、ティオはまず自分の辿ってきた道程を簡単に説明した。ライセン達が気になっているであろうミラ達の素性を明かし、信頼出来ることを示す為だ。
「実際に見なければ信じられないでしょうね。そう言う意味ではネスレの変化もタイミングが良かったかもしれません」
ネスレはライセンを含む数人の目の前で初めてのエグジスタを使ったらしい。その時の状況の混乱具合は想像に難くない。事情を知るミラとフィアがその場にいたのは幸運だったろう。
ライセンはええ、と気の抜けた返事を返しながら、席を立つ。ティオは訝しく思いながらも、ライセンの行動を待った。
するとライセンはティオ達に向き直り、床に座ったかと思うとそのまま頭を下げた。
「…………ティオ様。最も辛い時にお力になれず……申し訳、ありません……!」
その言葉の指すところがあの夜のことであることは、直ぐに察せられた。
「ライセンさん……。頭を上げてください。ライセンさんが責任を感じることではないでしょう……?」
そう、あれはライセンにどうにか出来る問題ではなかった。そもそも、あの場にいたからといってどうにかなったとも思えない。
それは至極当然のことであり、純然たる事実だ。それは、ライセン自身も理解しているはずである。だと言うのに、その謝罪には真に迫るような重みがあった。
それを証明するように、ライセンは搾り出すような声でティオの言葉を否定する。
「……違うのです」
「…………」
何が違うのか。
ティオはその続きを半ば察しつつ、ライセンの言葉をただ待った。
「私は……あの夜の計画を、事前に知っておりました」
「……そうですか」
驚きは無かった。むしろやはり、という心境だった。
それはある程度予想していたことだ。クルーガーの口から裏切り者としてその名が出たことも含め、ライセンがこの件の核心に近いところにいることは。
本気で裏切ったとは思っていない。元々の信頼関係もそうだし、先日のやり取りでも嘘を言っている風には見えなかった。
それでも、ティオの魔素が感情に呼応して僅かにざわめく。それに敏感に気付いたフィアが心配そうな声を掛けた。
「……ティオさん」
(…………解かってるよ)
ティオは目を瞑って気を落ち着かせる。予想していても、どうやら自分で思っていた以上にショックを受けたようだった。
ティオは呼吸を整え、再び頭を下げたままのライセンを見据える。既に魔素も静まっていた。
「――話していただけますか。貴方が知っている、全てを」
その言葉に反応して頭を上げたライセンは、その表情に覚悟を携えていた。
「はい。ことの始まりは、ふた月ほど前。クルーガーに呼び出されたことでした――」
***
一台の馬車が富裕街を疾走する。
「全くクルーガー殿ときたら……突然呼び出されるこちらの身にもなって欲しいものだ。いったい何事だというのか」
その馬車の中ではディノ・ライセンがやや不機嫌そうにしていた。
それも当然だ。ライセンは支店長としての業務中に、予告も無しで呼び出されたのだ。だがいかに忙しくとも、店長としては支配人の呼出に応じなければならない。役職労働者の辛いところである。
「ライセン様。到着いたしました」
「うむ。御苦労。では悪いが、家の者に迎えをこちらに出すよう伝言を頼む」
ライセンは馬車を降り、無理を言ってここまで送らせた御者に銀貨を一枚握らせる。元々マグナー商会に仕える御者の為、特に代金を支払う必要もないのだが、ライセンなりの配慮である。
下働きの者にとって銀貨一枚でもそれなりの金額である。思いがけず大金を受け取った御者は深々とライセンに頭を下げ、その場を去って行った。
「さて……」
馬車を見送ったライセンは表情を引き締め、クルーガー邸の門をくぐる。一応相手は上司である上に、突然の呼び出しだ。いったい何事かと緊張するのも当然だった。
「ああ、急に呼び出してすまないな、ライセン殿。掛けてくれ」
ライセンは案内されて応接間に入るなり、緊張を裏切るような笑顔のクルーガーに迎えられる。その笑顔はライセンの緊張を解すどころか警戒と困惑を更に深める結果となった。
「クルーガー殿。悪いがこれでも忙しい。手短に要件を済ませてくれると助かる。それに……」
ライセンの視線がもう一人に向けられる。ライセンより先に、応接間のソファーに座り込んでいた人物だ。
その目線に気付き、クルーガーはああ、と察した様にその人物を紹介した。
「紹介が遅れてすまない。彼は私の知り合いで、ゼノス殿だ」
クルーガーの言葉を受け、その男、ゼノスは立ち上がってライセンと向き直った。
「初めまして、ゼノスと申します。よろしくお願い致します、ディノ・ライセン様」
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
ライセンの回想です。
基本的にライセンの視点で進みますが、描写はライセンの回想ではなく、時間軸を当時に合わせる形です。
つまり、描写する内容はライセンが知らない、知りえない内容も含みます。




